2018年09月21日

戦後を見据えた日本の布石2≪地政学で見る投資と敗北≫


前回の続きで「戦後を見据えた日本の布石≪地政学で見る投資と敗北≫」をお送りいたします。

前回のリンクを書いておきます。

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★支配地への投資
明治から大戦後に至るまでの大日本帝国の各地に対する投資戦略が、戦後にどの様に日本や世界のパワーバランスに影響を与えているかは、重要な事である。ここでは当ブログで考察した事をより詳しく纏め様と思う。


①台湾(独立維持の産業力へ)
台湾が日本の植民地になった後、太平洋戦争終戦まで日本の投資を受け発展し、終戦間際には内地に対して貿易黒字を計上するまでに産業が発展しました。貿易黒字を日本本土に対して計上できると言う事は、台湾が域内で生産した過剰生産物を内地に対して輸出し富を蓄えれるだけの産業力を得ていた事を意味している。

この産業の供給能力があった為、太平洋戦争後の国際社会に放り出された時に、日本に計上していた余力を国防費などに向ける事によって、自勢力の存続を行えたと考える事が出来るのです。

そして、この供給能力があったからこそ、国共内戦に敗北した国民党(蒋介石)は、圧倒的に小さな台湾でも独立を維持し、大陸を制した中国共産党に対抗できたのである。

その後の台湾は、ユーラシア大陸外円部の島国と言う地理的位置を生かし、中国と米国の間で緩衝国家として生存させる事に成功した。


②満州(中原制覇の原動力に)
満州も台湾島と同じく太平洋戦争の終戦頃には、内地(日本)に対して貿易黒字を計上する地域になっていた。この他国に輸出できる余力こそが、第二次世界大戦後の国共内戦で、中国共産党が国民党に勝利できる軍事力を整える事の出来た理由だと思われる。(これは台湾と同じである)

日本に対して黒字を計上できる産業能力を軍事力に投入していた事と、日中戦争の頃から日本陸軍への支援に経済力を回していた事、そして何よりもソ連の軍事援助が、国共内戦の勝利を中国共産党にもたらした要因であると言える。

そして重要事がもう一つあり、日本の影響下にあった満州で戦前戦中に五族共栄のスローガンにより周辺地域で暮らす民族(漢民族、日本人、朝鮮人、モンゴル人、満州族)が共同で暮らせるようにする政策を行っており、この政策が内乱明け暮れる中国大陸において満州地域が唯一のオアシスとして認知される要因として働いた。

そのせいで混乱している中原から多数の漢民族が難民として流れ込み、タダでさえ漢民族の多い土地になっていた満州地方を、人口差で漢民族の地へと変えてしまい、大戦後には完全に満州族の土地では無い、漢民族の土地に換える要因として働いてしまった。

中原も満州地方も共に漢民族の土地になってしまったが為に、中原を支配する国民党か、満州を支配する共産党かのどちらの勢力が内戦で勝利しても、満州と中原の双方を押さえる単一民族の国家として成立する事は、戦前戦中通しての政策により決定づけられていた事が推察できる。

結果として外満州を押さえオホーツク海から太平洋に進出しようとするソ連(現ロシア)と長大な国境を接する事になり、中ソ共に潜在的に最大の敵国として認識せざるを得ない地政学的な状況が整えられたのである。


③朝鮮半島(維持できず分裂の原因に)
日本に併合されていた朝鮮半島は、日本に支配されていた他の地域とは異なり、唯一、内地(日本)に対して経常赤字を計上しており、併合中はその経済を内地の大和民族(現在の日本人)の犠牲によって支えられていた事が知られている。

併合中に朝鮮半島の人口は倍増しており、当然生産力も増加していたのだが、それ以上に対内地からの赤字補填に頼った経済運営をしており、内地の大和民族から見た朝鮮半島が、どれだけお荷物な金食い虫であったかが分かる。実際、併合時代の内地の政治家の中には、「朝鮮半島に投資しているから日本内地の発展が阻害されてる」と不満を述べていたものも居る程である。

しかしこの朝鮮半島への投資は、戦後の自主独立できる産業能力を持った満州から発生した中華人民共和国の台頭と大国化による極東アジアの情勢激変を見た時に、初めて併合時代に日本が犠牲になり続けながら投資を行った意味が理解できる。

この日本の身を削った投資戦略によって、人口的にも産業的にも朝鮮人たちだけでは国家を維持できない状態になり、戦後の朝鮮半島に成立した勢力は、お約束の大国に依存し巻き込む外交戦略を誘発でき、それによって生じた朝鮮戦争によって日本の復活に繋がったのである。

その後、南部韓国の復興に日本から過剰なマネーが注ぎ込まれ産業移転が行われ再び日本の影響下に置かれ、経済成長する事により南北格差が広がり統一が不可能に近い状況となった。

これらの日本の戦前、戦中、戦後の対半島投資戦略は、半島と日本の関係だけで見るべきでは無く、むしろ隣接する中国の大国化による、中国とソ連(ロシア)の力関係や、米国と中露(中ソ)のパワーバランスの均衡と言う観点から見るのが正しいと思われる。

特に中国の満州とソ連(ロシア)と朝鮮半島の関係は需要で、漢民族が満州地域まで支配下に置いている状態でロシア(ソビエト)と対立関係が有れば、ロシア(ソ連)が満州地域を包囲できるかどうか点で、朝鮮半島が中露(中ソ)の対立での干渉地帯なる為、戦後の日本にとっては中露(中ソ)の二大陸軍国の対立負担の全てを朝鮮半島に押し付ける事が可能な地政学的な状況とできていたと言えるのである。

もし中国の満州地方が、漢民族の国では無く満州族の独立国家が成立していたとした場合、中国とロシアの極東での潜在的な対立は、国境を接していない為、今よりも限定的なモノとなっていたと思われる。

そのため現在の世界情勢下の朝鮮半島の二国家は、日本が米中露の三大国間の軍事激突の場として用意する為、自分達では維持できない人口や物資消費力を身に着けさせることを主眼に置いた投資戦略を行い、戦後放り出した後に、めでたく分裂させる事に成功した人工国家であると見なす事も出来る。

韓国の人達は、戦前戦中に日本から富を収奪されたと吹聴しているが、本当に収奪(経常黒字)されたのであれば、日本が統治していた他の地域と同じく、戦後安定して独立運営するだけの産業能力があったはずなのである。しかし現実は逆で、他の地域とは違い日本に頼り切っていたからこそ、現在の分裂した状況が現実と成っているのだ。

寧ろ戦後にこそ、大国の干渉地帯となり日本に向けられる大陸からの軍事圧力や大陸国家と海洋国家の摩擦の押し付けられ場所として利用され、戦前、戦中に日本人の血をすすって得た富と命を、周辺大国を巻き込み疲弊させながらも、自分達の命で日本に返済する羽目に成ったのである。

④東南アジア(供給能力が独立戦争への力となる)
最後に東南アジアの投資となるが、この地は欧米列強の植民地であった事から、真面な教育や産業育成が行われてはおらず、日本の統治下におかれた時期にも、民需製品の拡大を目的とした投資よりも、自主独立の為の軍事力を拡大する投資が行われていた。そのため日本軍が駐留しているからと言って、必ずしも現地の人達の生活が向上したわけでは無い。

また日本内地に対しての貿易よりも、現地で戦う日本軍に対しての軍需物資援助のための生産が行われており、これが戦後のアジア各国の独立戦争によって、日本軍から現地で戦う独立軍への物資供給へと変わっただけなので、現地の人達の生活に関しては、ことさら戦中よりも生活が悪化したとは考えにくい。

これは、あくまでも戦中からも日本に対しての物資供給では無く、東南アジア諸国の独立を行う勢力への物資供給の投資であった事が、現地の人達の生活が必要以上に悪化しなかった要因として働いたと考えられる。


★侵略経路の提供
日本の敗戦における布石で、戦後に最も効力を発揮したのは、何といっても北方領土(千島列島)だと考えられます。

日本が太平洋戦争で敗北直前の時、日本はソ連に打診し対米交渉の仲介を依頼していました。しかしソ連は、その日本の申し出を弱気の表れと受け取ったのか、英米の密約に応じ日本との日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日宣戦を布告し日本の領土に侵略を掛け、満州、樺太、千島列島を武力占拠しました。

この事が後の日ソ関係や日露関係に影を落とす事と成りました。しかし、それ以上に米ソ関係(米露関係も)とその後の世界のパワーバランスに影響を与えました。

考えても見てください、もし千島列島が日本の領土のままだった場合、勝利した米軍が千島列島にまで基地を作り、ソ連(ロシア)が太平洋に進出する余地を完全に奪い取っていた事でしょう。

日本が敗戦の折にソ連が千島列島を侵略するまで米軍に降伏する事を我慢したからこそ、後の冷戦で米軍が太平洋全域を守らざる得ない負担を被り、過剰な軍事支出を行わなければ成らない状況となったのです。

米軍の沖縄占領も似たようなもので、沖縄を米軍に押し付けているからこそ、後に成立した中国が太平洋に進出する時に米軍と対立しなければ成らないのです。

これらの各国が進駐している日本(もしくは元日本)の領土は、日本列島の内地から外れた島々に限定されており、生産地としては不適切であるが通商路としては重要な地域で有る事からも、他国に侵略する為の進出経路の重要地点に当たる地域とも成っているのです。

そのため現在行われていると思われる、日本の侵略経路の提供による周辺大国の軍拡競争戦略に、これらの諸島地域が大きく影響していると考えられます。

これらの事を考慮すると、日本は敗戦直前まで、戦後の事を考えて何時頃降伏すれば日本の国益と成るか、生存戦略に活用できるかを考えた上で、侵略を誘発する情報を流したり、連合軍の残虐行為に耐えて降伏したと考える事も出来るのです。

★戦って、負けて、占領され、濡れ衣を着せられる

現在日本は侵略を行った国にされていますが、慣習国際法の視点で見た場合、日本はその様な事は行っていません。

にも拘らず日本が侵略行為を行った事にされています。これは侵略の定義が制定されていなかった戦後直後でしたから正当化できた認識ですが、現在の慣習国際法で定義された侵略の定義に照らし合わせた場合、「日本が侵略したのでは無く、日本が侵略され反撃した側」である事が分かります。

しかし周辺各国は、長期に渡り日本を侵略者扱いし、その認識がこびりつかせてしまったため、かつて日本に濡れ衣を着せた国々の方から、今更「日本は侵略を受けた国家で我々の方が悪かった」とは言えない状況となって、今に至ると言うところと思われます。

そしてこの事自体が、日本が周辺大国のパワーバランスを維持するための同盟関係戦略に利用される事になりました。(真の歴史を知る事によりナショナリズムを激発させる人が一定数居る事は、否定しようのない現実で、その時の民心の影響で、同盟関係が変わるリスクが生じるのもまた事実と思われます)

また覇権争いが激化する中で、今まで以上に日本との結びつきを強くしたい場合、米中共に敵対する勢力がかつて日本に対して行った事を批判し、「日本が決して悪の国では無かった」と言う情報を流し、日本との同盟を強化する戦略を打ち出す事も十分考えられます。

そして日本の地政学戦略と認識できる、「大国間の軍拡を煽り世界経済をバブル化させ各国を疲弊させる戦略」を意識した場合、これらの「汚名を流布し冤罪を着せられ続けた事」や「明治から第二次世界大戦中の投資戦略において操作された植民地の産業や消費力操作」が戦後の中国の台頭と、日本を素通りした大国間の激突を誘発する布石として働き、日本の国益と成る状況の構築に寄与したと考えられます。

この様に見た場合、日本は最初から明治以降のアジア進出を、領土拡張のための進出として行っていたのかが疑問に思われます。もしかしたら最初から周辺各国の「産業操作」「民族移動の操作」「正義の認識操作」を行おうとして進出していた可能性も有りますので、日本国民ならば、それ等の事も認識して各国の動きを見た方が良いと思われます。

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二回に渡り続いた「戦後を見据えた日本の布石」を終了いたします。一応今回の記事は、歴史と地政学で読み解いてみるシリーズと成りますので、よろしければ同シリーズの他の記事も読んでみてください。

しかしココまで来ると苦笑いを浮かべるしかないんだが・・・、当ブログを見ていると国家不審にしか成らないので、もしかしたら読まない方が良いのかもしれません。(自分で書いておいてなんだそりゃ・・・)

ここに書かれている事は、ブログ主の個人の見解を述べたものにすぎませんので、間違いが有るかも知れません。それらの事を前提の上で読んでください。



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