2018年10月21日

「罪と罰は遺伝しない」の嘘?

本日は「罪と罰の遺伝」に関する考察となります。

罪と罰の遺伝と聞くと、現代人の価値観で言えば、「親の罪は子に帰されない」と言うのが、一般常識として浸透していますが、近世以前では、罪を犯せば一族郎党罰せられると言うのも珍しくは有りませんでした。

ですが文明が近代化して以降、この様な価値観は前時代的な思考であると決めつけられています。

しかし、それは本当に正しい思考なのでしょうか?

ブログ主の考えてしては、一定の条件下では、「罪人の家族にまで罪と罰は継承されてしまう」と言う考察が出来る事を提示させてもらいます。


★昔の連座制は、決して不当な裁きでは無い?
大昔、まだ移動手段が乏しかったころの文明社会では、移動自体が少なかったため、家族や親族で共に暮らしていた文化だった。

その様な文化では罪で得た富は共に暮らしている家族や一族全員で恩恵を受けていた可能性が有った。そのため共犯者であると言う面目は十分あったのだ。

例えば、親が盗みを働き、犯罪で得た稼ぎで子供を育てて居たとしよう。その事を家族が知って居た場合は、裁かれていない状態が付いていたのであれば、家族も悪い事を行っていると言う認識が無い可能性が出てきてしまう。

このように犯罪行為での不当利益から分配を得ていた者も、犯罪を行った者の影響下にて共に暮らしていたら「犯罪自体を利益を得れる悪い行いでは無い行為」と判断している恐れもあったため、まとめて連座で裁く事も必ずしも不当では無かったと思われる。

しかし大航海時代に入ってから、人の移動が活発になり始め、教育を国家レベルで行う国も多くなると、教育が統一されたためか必ずしも犯罪を行った親と同じ価値観を有した子供になるわけでは無い状況となった。また移民など家族と離れ離れで暮らす事もあったため、親族の犯罪で得た富を、他の親族全員も共に消費して恩恵を受けると言う事は無くなり始めた。

特に近代化の進む日本では核家族化が進んだため子供の頃は親と共に暮らしていても、若くして親元から離れ都会に出て単身暮らすため、親の影響から逃れて善悪の価値観を自身で身に着ける者も多く、必ずしも犯罪者の親族が犯罪を犯したものと同じ価値観を有しているとは限らない状況にもなった。

この様な事から連座制は、社会不適合者や、その影響下で育ち同じ価値観を有する犯罪者予備軍を裁く法律としては、不適当な制度となった。


★現在は連座制が必要なのか?
しかし現在は、移動手段や通信手段が発達し過ぎて、親や親族から離れて暮らしていても、必ずしもその価値観の影響下から抜け出れる訳ではない状況と成りつつある。

それだけではなく、現在は公共で義務付けられている義務教育以上の教育を子供に強いる親もおり、近年話題に成っている教育で将来の格差が生まれると言うデータを基準にした場合、富を「人的資本の育成」と言う形で継承させる事も可能であると言う観点から、「犯罪で得た富を親族に対して人的資本育成と言う形で継承させる事によって、不当に得た富を子孫に残す事も出来る様になった」とも言える社会に成っている。

一般の強盗や盗みや詐欺などの刑事犯罪の場合、犯罪を犯した犯人は裁きを受ける事により罪を償い、その家族も犯罪者の親族と言うレッテルを張られ、生き辛さを覚えながら生活する事によって、この様な犯罪を二度と犯さない様な思考を植え付けられ、それを基準に生活する事になり、抑止効果も期待できるのだが・・・

しかし、特殊な法律を利用して、自分達に都合の良い法案を通す事によって利益を得て、他人に被害をもたらす政治家や官僚や資本家が居た場合、法律そのものを自身に適応させない様にして罪から逃れるため、悪行を行っても犯罪者扱いされないため、先に語った抑止が成り立ちません。

同時に教育と言う形の投資や、政治家で有れば政治家としての地盤の継承と言う形で、親から「富を生み出す資本」を継承する事になりますので、法律を利用しての道徳的グレーゾーン犯罪を犯すような人間の家族や子供は、親の「犯罪は法律で裁く事を出来なくすれば行っても良い」と言う認識を継承する可能性が有り、将来同じ事を行う危険性を有していると言えるのでは無いかと考える事も出来るのです。

その様に考えた場合、富を得る方法が道徳的に、そして法的にグレーな方法で得て居た場合、慣習国際法的(人間や国家であれば法律で定められていなくても遵守して当然の道徳)な道義の観点から将来に罪が定義されれば、ある程度の罰の連座もやむを得ないと言えるのでは無いでしょうか?


★罪は遺伝しないのは確かだが・・・
罪は遺伝はしません。が、環境によって価値観は遺伝するリスクは有ります。

先ほども述べましたが、法律で定められていない悪行で得た富を前提にライフスタイルを構築し、その恩恵や富の得方を正しい事と言う認識を得た家族や仲間がいるのであれば、それら関係者も「行った悪行は悪い事では無い」と考え、同じ手法で悪行を重ねるリスクのある人物であると見なせます。

逆にその様な事を行う親元を早々には成れ、自立した生活を行い、同じ価値観を有していない家族であれば、同じ悪行を行うリスクが少ないと言えるのでは無いでしょうか。その場合でも、悪行で得た富を人的資本を強化成長させる事に使用されていた場合は、もしそれで富を得れる状況を確立していたのであれば、率先して罰金を返済するべきでしょう。(これは人格的もしくは価値観は問題が無くても能力的には犯罪で得た利益の受給者となるためです)

この様に考えれば、「罪は特定環境下で遺伝する事があるが、罰は、罪が遺伝しなくても負わなければ成らない事がある」と結論付ける事も出来るのです。


★国家の罪は遺伝しないのか?
前述した事は、個人や家族の事を例として挙げた考察となりますが、ここからは国家が犯した罪と罰に関する考察となります。

国家と言うモノは、個人とは違い、民族の大移動でもない限り、国名が変わろうとも統治を受ける人々が変わるわけでは有りません。

この事から、たとえ国名等が変更され政権が変わろうとも、その地で生きる人が変わらない事を考慮すれば、国家の犯す犯罪は、基本的に「罪と罰」の双方が共に継承されるものなのです。

これを無視して、「政権が変わったから、以前の政権や政府が結んだ外国との約束事は守る必要は無い」などと言い、外国との条約や投資案件を勝手に破棄したり没収したりした場合、その地に生きる国民は、「名前を変えて他人のフリをすれば、いかなる犯罪行為を行っても良いと思っている人々」と認識され、信用を失う事と成ります。

この様な外交を行う国は、基本的に他国を騙したり、借金を返済しなかったりして迷惑行為を行う国と認識されますが、最も危険なのは、他国の力を常に利用しそれで得た利益を自国民に還元した場合、常に他国を騙さなくては社会を維持できない国家になってしまう恐れがあると言う点です。

基本的にこの様な国家と付き合いがある国は、隣国であるため仕方なく付き合っている国家でか? その国家を利用して何か行おうとしているのか、のどちらかでしょう。

特に危険なのが、他国に依存し続け、自国では何もできない状況に陥っている国家で、この様な国が約束を破ったり、更なる犯罪行為を行った場合、自国では国家を統治できる能力が欠如しているにも拘らず制裁を食らってしまう事になり、自主独立している国家とは比較にならない程の大混乱を被る事になります。

この様に国家における約束と「罪と罰」は、守れば守るほど国の安全性を高め、破れば破るほど国の安全保障を危機的状況に追い込むものなのです。


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以上が「罪と罰の遺伝」に関する一考察となります。
当初は、個人の事に関する考察だけにしようと思ったのですが、短く終わりそうだったので、国家レベルの事も書かせていただきました。

当然では有りますが、当ブログで書かれている考察は、ブログ主個人の見解ですので、価値観の合わない人も居るかもしれないと言う事を前提の上で読んでください。

本日はココまでとなります!!

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