2019年03月25日

無責任野郎の平等論



本日は「無責任野郎の平等論」のタイトルで分かるように、「平等とは何なのか?真に平等とすべきは、何を対象とすべきなのか?」の考察となります。

平等と言う概念に関しては、人類の歴史上では度々議論に取り上げられ、文明社会構築の根源として常に時の哲学者に考えられてきました。

その結果、いかに平等を実現するかの理想や制度として「マルクス共産主義、ソ連式社会主義、資本主義、自由主義など」の数々の政治主義主張が提示されてきました。


ある人によれば、

「結果を平等にすべきだ!」と言い、いかなる努力をしても同じ結果しか得られない様にする主張を言う人も居れば、

「それでは努力をしなくなるので、努力しただけリターンを得れる様に、"努力の等価交換による結果の平等"を実現すべきだ」と言う人も居ました。

また別の人によれば、

「結果は平等には出来ない!むしろチャンスを平等にすべきだ」と言う人も居ます。

ですが如何なる平等論を述べようとも、結果として平等で公平で皆を満足させる平等論の提示がされてないのが現在の現状と成っています。

これはあらゆる平等論に立ちふさがる、人、一人ひとりごとの平等に対する基準が違うからだと考えられ得ます。

この平等に対する価値基準として取り上げられるのが、何に対しての平等なのかと言う事で、基本的に「生きる上で基礎になる環境や権利」もしくは「何かを行った上で、その見返りとして得れる結果」に関しての平等と言うのが、多くの人が有する平等という概念に対して求める定義だと考えられます。


★「平等の対象にできる?事」と「平等を不可能にするモノ」

この「環境」「権利」「結果」「努力による等価交換による見返り」「機会(チャンス)」と言う事を考えた場合、現在言われている平等論は、これらの事に関して無力であると言えます。

当ブログのブログ主の考えでは、これらの平等論は「本人の能力」「周囲の環境」「時間軸」「平等の定義」によって容易に覆されてしまうモノであり、これらを考慮した場合、「環境」「権利」「結果」「努力による等価交換による見返り」「機会(チャンス)」と言った平等論に当てはめられる事は、平等たりえなくなると考えられるのです。



まずは「本人の能力」ですが、基本的に、個人毎に能力は違う、先天性に能力が違う、後天的な能力も環境や本人の努力に影響される。

よって「本人の努力による結果のリターン」を平等にした場合、能力が高く成果を上げた者だけが結果を得れる事になる。

逆に本人の努力を無視し全てのリターンの結果を同じにした場合、成果を上げた者の不満が大きくなる事になる。

双方共に社会体制内で不満が増大する事になり、社会秩序の維持と言う観点からこの「人、一人ひとりの能力や努力」を無視した平等論は成り立たないし、そもそも成立しないと考えられる。



では「周囲の環境」はどうなのか?と言うと、人、一人ひとり毎で育ったもしくは生きている自然環境は違う、この時点ですでに平等では無い、当然育った教育環境によっても本人の能力が左右される事になるため、上記の「本人の能力」の部分にも影響を与える事になるため、より平等論が成り立たないといえるのです。



さらに「時間軸」の生まれや育ちの時代の事だが、より大きな環境の変化が予測でき、例えば「戦時中に青春を生きた者」「高度経済成長期に社会に出た者」「平成バブル崩壊後に社会に出た者」では、そもそも時間軸による環境や経験が全く違うため、その人生で経験し獲得した能力に関しても、まったく違うものになり、やはりこれも平等論が成り立たない原因として取り上げられる。



最後に「平等の定義」だが、上記で述べた能力や環境によって身に付けた、人、一人ひとりごとの価値観によって、どの様な事を平等と見なすのかが変化するため、やはりこれも平等論が成り立たない原因として挙げる事が出来る。



上記の事から環境、時間軸、個々の状況によって個人個人が抱く平等の定義が変わってしまう。

現在の平等論は、この個人ごとに「違う平等の定義」を軸に考えているため、「何が平等であれば人は幸せに暮らせるのか?」の軸がハッキリせず、多くの人が不幸を感じていると考察する事が出来る。


★平等にできない理由
前述の事を前提に「権利や環境」「努力を無視した同じ結果による平等、個人の努力と等価交換した結果」「機会(チャンス)」などの平等に関して考察してみよう。


・権利の平等・・・権利取得の負担は平等では無い
権利の平等は、生きる上で「生まれた時点で付与される権利」と「"権利を得るために守らなくてはならない行い"を行った上で得られる権利」の二つが存在しており、基本的に双方共に最低限度の義務を果たさなければ受ける事は出来ない。

しかし果たすべき義務をの事を考えれば、人、一人ひとりの能力によって個人ごとに負担が変わるため"育った時代や環境"やそれによって身に付けた"本人の能力"の影響も受け、環境や能力を統一化できない現状では平等は成りたないと考えられる。

仮にすべての者に同じ権利を与えた場合、より努力したものが、その努力に劣る努力しかしてない者と同じ権利しか得れないためになるため、個々の努力との権利の等価交換の観点から平等ではない状態と成ってしまう。


・環境の平等・・・環境は平等では無い
環境の平等に関しては、そもそも人は「生まれた時間や季節」や「育った土地や時代」も全てが違い、育てる父母も人類の数だけ多様性が有るため、完全に運によって決められてしまう。そのため自身の人格形成や能力構築に関しても、平等たりえ無い。

当然、人、一人ひとり毎に多様性のある能力が身に着けられるため、努力と等価交換する「権利」「結果」「機会」の全てに影響する。

そのため、そもそも環境の平等自体が不可能である。


・結果の平等・・・結果は平等では無い
結果の平等は「"努力との等価交換"による結果の受け取り」の場合でも本人の努力が環境の影響を受けてしまい、同等の努力を行った者と同じだけの結果が得られない場合もある。(「高度経済成長期の労働者」と「バブル崩壊後の労働者」とでは同じだけの労働をしても得られる給料は違う)

また個々の努力を無視して結果を同じにした場合は、当然努力をしても結果が変わらないのだから努力を行う必要が無くなる。

前者では「本人の努力」と「環境」が影響を受け、後者では「平等の定義」によって平等が阻まれる事になる。

何方にせよ双方の例とも、人の労働力を著しく低下させ努力する気を失せさせる平等になりえない平等論である。


・機会の平等・・・チャンスも平等では無い
基本的に機会の平等は「環境」によって変化を受ける。これはバブル崩壊後に社会進出した労働者なら分かるが、「景気の良い時代に社会に進出し経験を積み人事権を握った人」が、後に「不況下の労働市場に参入してくる新人」に対して、その人事権を行使した事や、

現在「人手不足が叫ばれている時代に社会進出した若者」と「不景気時代に社会進出した当時の若者」とで平等なチャンスが訪れているのかと言うと、ソレは有りえないと言える。

また生物の持つ環境を利用し他者を追い落としでも自己の保身を図る本能を考慮すれば、環境や力関係が違う時点で、チャンスの平等は求めても実現できるものでは無い事は自明である。これはチャンスでは無くタイミングの問題であり、タイミングによってチャンスの平等が阻まれる問題であると言える。

以上の事から環境の影響を受けた"パーセンテージ"や"割合"の面から見た機会(チャンス)に関しての平等などは、有りえない事になる。


★選択権の平等・・・選択は限りなく平等である
では人間にとって平等に与えられたモノとは何なのだろうか?と言うと、ブログ主が考えるところ「選択権」である。

何故「選択権」なのかと言うと「結果、権利、環境、機会(チャンス)」等の事象の全てが自己の外部からの影響を受け、又は与える形で対応する必要があるが、この「選択権」に関しては、行使しうる行動は個々人によって限られるかもしれないが、結果にたどり着く選択の道筋は無限大であるからである。(ただし行動は環境や能力の影響を受け、望む結果に到達しうるかどうかは分からないが・・・)

例え国家権力を押し出しても全ての選択権を奪う事は不可能である。(ただし制限は可能)

注意してほしいのは、項目にも書いている様に、限りなく平等であると言うだけで、あくまでも「結果に向かうまでの自身で想定できる無限に存在する道筋」を自分の自由意思で選択する"選択権の平等"であって、「選択する時に選び取れる行動の保障」や「選択範囲」の平等では無い。

もし「"選択範囲"や"取り得る行動の保障"の平等」の場合、能力や経験と同じで、環境を統一する事よって皆が同じ選択を選べる様にしなくてはならない。しかしその様な事が出来る訳では無い。


そのためブログ主としては、人が与えられた平等なるモノは「選択権」であると認識している。

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以上を持って「無責任野郎の平等論」を終了させてもらいます。

この記事で述べた「選択権の平等」は、実際生活する上で物凄く重要な事で、これを尊重し上手にコントロールしている人ほど、又は企業ほど成功しています。

人にとって「自身で選び覚悟を持って行動する」と言う事がどれ程尊い行為なのか、逆にそれを制限される事がどれ程苦痛なのか、これが分かれば真に平等が必要なのはどの様な事に関して何なのかが理解できると思われます。

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