2018年11月

2018年11月20日


本日は、現在噂に成っている人工知能などを利用した「信用スコアのランク付け」に関しての考察となります。

信用スコアのランクとは、「人間、一人ひとりの職業、学歴、所得、資産、借金、犯罪歴、等を分析し、ランクを格付けする事によって、特定サービスの提供を受ける資格が有るかどうか、提供するかどうかの指標にする」と言うモノです。

この様な事が、本当に実現可能かどうかは分かりませんが、現時点の人類のメンタリティを見る限りは、まだ時期尚早では無いかと思えます。

実際に中国などで、この信用スコアのランク付けによる、一等民とそれ以外の区分が行われ始めたようですが、そもそも中国では、改革開放路線に舵を切って以降、沿岸部から外資による投資が行われ、内陸部と沿岸部の所得格差が広がり始めました。

現代の世界では、海上貿易が主な輸送手段であり、沿岸部こそが物流の基点になるため、内陸部の投資が後回しにされると言う現象が起こるのは仕方が有りません。ですが当然その様な事象が生じれば、投資時期や生活コストの面から、地域ごとの格差が出来てしまい、それによって各地域ごとに所得事情も変わってきてしまいます。(日本でも山岳部より沿岸部の方が人口が集中し、所得が高いですよね)

そうなれば当然、所得格差も出てきてしまいます。その様な状況が成立しているにも拘らず、所得の項目をランク付けの指標として使用しては、地域ごとの不平等が生じる事になるでしょう。

この様に「自然環境の様な状況」や「時代によって変化する人の価値観」を指標にすると、不平等に加速を付ける事にも成り兼ねません。

以上の様な不信点を下記にも上げさせてもらいます。


①職業、職歴、学歴

まず職業、職歴、学歴だが、そもそもこれらの指標は、時代や地域によって人気の職種も変わってきます。

学歴に至っては、高ランクの教育機関を卒業した人材が何を行うかでその教育機関の価値が決まる筈なのに、その卒業した人材の時間軸の視点を取り入れずに、国が認めたと言われる教育機関を卒業しただけで信用スコアが加算されるのであれば、もし卒業生が、犯罪を行いまくったり、多くの人に迷惑をかけた場合、どの様に信用スコアとランクを操作するのでしょう。

またその様な事が生じた場合、遡ってその教育機関を輩出した人材の信用スコアが低下させられるのでしょうか?

何の犯罪も起こしていない人が、その様な巻き添えを食らうリスクを考慮した場合、これらの指標は、信用スコアの指標として利用するのは、正しくないと思われます。


②所得、資産、借金
では所得、資産、借金などの項目は如何なのでしょうか?

この三点の項目は、その時代の景気状況に影響を受け、不景気の時であれば労働者は低賃金で使い物され、好景気の時は労働者の立場が強くなります。

逆に資産家の視点では、好景気の時は資産価格の上昇が起き、不景気の時は、政府による資産の買い支えが行われないのであれば、資産の持続的な下落に直面します。

その時代の景気に左右される様な指標を用いた場合、好景気の時に社会に出て富を溜め込み、資産を築いた者と、不景気の時に社会に出て低賃金で使い潰された者とでは、所得や資産及び負債の有無は、決定的に違うものになります。

この様な資産や所得の様な指標は、時代や環境にって、その指標の意味が変化してしまう可能性のあるモノも有りますので、極力指標として使うべきでは無いと考えられます。

例えば、日本の様なバブル崩壊によって不良債権を国民全体に押し付けて自己の資本の価値を維持する事に成功した高資産家は、他者に奴隷労働させたり自殺に追い込んだりと言った犠牲を強要した人物とも言えます。その様な視点で見た場合、時代によっては高資産家ほど、他者を死に追いやる努力を行った人であるとも規定できます。


③犯罪歴
犯罪歴に至っては、更に慎重にならなくては成りません。

何故ならば、その犯罪行為が法律によって犯罪として規定付けられるか否かよって信用スコアが変わってしまい、更に人道的に問題のある行為を行ったとしても、その行為が犯罪として規定されていなければ、どれだけ人に迷惑をかけて憎まれていても、信用スコア的にも問題の無い人であると定義されてしまいます。

また裁判所に持ち込まれない様な、個々人の間でのトラブルがあったとしても、それが信用スコア上の数値に加算されるかどうかは、その情報を保有する人が、情報をもたらしてくれるかどうかによっても変わってしまします。

更に、政治家であれば、自身の懐にお金が舞い落ちる様な利益相反行為を推進したとしても、人によっては迂回する形で富を得たり、法律を利用して裁かれない様にしてしまえば、犯罪行為を行った事には成らないため、幾らでも人道的に問題のある行為を行えてしまいます。

極端な事を言えば、「俺様ならどれだけ人を殺してもok、罪に成りません」的な法律を作ってしまえば、犯罪歴のスコアは問題の無い事になりますので、余程上手な運用を行わなければ、後々禍根を残す事にも成り兼ねません。

この辺りの善悪の価値基準は、運用するのであれば、慣習国際法の概念を適応させて、最悪遡ってでも過去の悪行を裁き、個々人の悪行を清算させなければ筋が通らなくなります。

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以上の事から「前提条件が間違って居た場合」「環境によって信用が支えられている場合」「このままの状況が未来永劫続く保障がない」等のこれらの事を考慮した場合、因果関係の全てを解きほぐせば、必ずしも信用スコアの高い人が、信用のある人だとは見なせない状況に成るかも知れません。

これらの事を考慮の上で、「信用スコアのランク付け」を行わなければ、犯罪者の人権を必要以上に守り、一般人の人権を侵害する事にもつながりかねませんので、これらの政策は、非常に慎重な思慮が必要になると考えられます。

特に現在中国で、この「信用スコアによる移動の規制などが行われようとしている」と言う情報も有り、日本の企業がその中国企業と協力し、日本国内で信用スコアによるサービス提供を行おうとしていると言う情報も有ります。

かの小説家ジョージ・オーウェルの書いた「1984年」の様なデストピアの世界が繰り広げられないように祈りたいです。

本日の考察は以上となります。

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nh01ai33 at 08:00社会

2018年11月19日

今回は、日露首脳会談がに関しての考察です。14日~15日に行われた安倍・プーチン会談が行われ、またしても北方領土に関しての持ち上がっています。

世間一般では、「歯舞群島、色丹島の二島返還か?」、「四島全島の返還か?」で議論を呼んでいるようですが、当ブログを見ている方には、ブログ主が以前から述べている様に、地政学的の観点から「そもそも解決しない方が戦略として利用できるので、解決しない」と言う選択肢も取り得ると言う点を理解していると思われます。

現時点で日本とロシアの両国は、「北方領土」と「自国の状況」と「日露関係」にどの様な認識を持ち、どの様な結果を求めているのでしょうか?

本日はその事を考察しようと思います。

★日露の現状認識
まず第一に考えないといけない事は、現状の世界と日露両国の置かれた立場です。

世界には米中と言う二つの大国が存在しており、軍事力や資産と言う点は別として、日露共に一歩遅れているのが現状です。これ以外にもロシアにとっては、EU諸国と言う侮れない勢力も存在しています。

現状の日本には、脅威となる国は米国、中国、ロシア、が脅威として存在しており、核戦力と言う点では、北朝鮮もソレに含まれます。

ロシアには、EU、中国、米国が脅威として存在しており、それ以来の国は軍事的には脅威では有りません。

米国は基本的に大陸には深入りせずに、沖合からバランシング戦略を行う事が国是で、北朝鮮は核戦力はともかく、勢力と言う点ではそれほど脅威にはなりません。

目下両国にとって最大の脅威と言えるのが、中国で、日露両国は表立って中国と対決姿勢を示してはいませんが、両国の指導者共に暗黙の内に"良い関係"を演出し、殊更相手国を非難しない様にしているのは、いざと言う時に関係が悪化したままで居た場合、中国相手に安全保障を確保できない可能性を認識した上での行動だと考えられます。

これは米国も似たようなもので、トランプ政権も必要以上にロシアとの関係を悪化させない様な公式発言を何度も行っています。

極東の三大国の拮抗状態が維持できている現状では、ロシアも日本も米中のバランスを考え、必要以上に日露関係を悪化させないように気を使っているように思えます。やはりこれは、いざと言う時、日本の資本及び技術と、ロシアの核兵器の結合による同盟を行わなければ成らない可能性を考慮しているうえでの行動だと考えられます。

ロシアはこれに加え、軍事偏重の自国経済を立て直すために、日本からの技術援助が死ぬほど欲していると推察できます。(ロシア経済は、軍事、エネルギー、食糧産業だけとも言えるお寒い状況です)

・可決せずにお茶を濁し、援助だけする
上記の事を認識した上で、日本はどの様な対応を行えば良いのでしょうか?

まず一つ目は、引き続き領土交渉で、「本当は返還してもらい解決したいけど日本の方が立場が弱いのでどうしようもない」と言う風潮を作りながら弱腰外交を行い、実質上の返還拒否政策を行いつつ、ロシア経済を復興させない程度の経済援助を行うと言う対応。

この場合平和条約などはもってのほかです。常にロシアを日本に侵略し平和条約を結んでいない侵略国家として扱える可能性を残して置く事で、ロシアとの関係を何時でも悪化させて大国間勢力争いに利用できる状況を維持し続ける事によって、日本の国益に直結させる政策を行うべきなのです。

現状で平和条約を締結しない状態で関係が悪化しても、それは「ロシアが侵略行為を行い続け、関係が悪化している状況の維持を行っているのが原因だ」と言う名目が立つため、慣習国際法的に責任はロシア側に存在し、日本は関係悪化の避難からは逃れる事が可能となります。


・無理難題を吹っ掛け破綻させる(千島はおろか樺太まで・・・)
日本が大国間のバランシング戦略を行う上で注意しなくてはならないのが、この実質上のロシアによる日本侵略が常態化している状況が解決しない様にする事で、これが解決してしまうと、ロシアとの関係を悪化させて対米国への軍拡競争相手として利用する事が出来なくなります。

もし領土問題が解決してしまい平和条約が結ばれてしまっては、ロシアが再び国際法破りを行わない限り米国と食らい合わせる事が行い難くなります。だからと言って平和条約が結ばれた状態で日本側が何か国際法的に問題のある外交を行うと、日本が非難され米露が結託する恐れがあります。そのような時に中国と言う国が無くなっていら場合、日本は安全保障を確保できなくなります。

今後、米中の軍拡競争が激しくなり中国がどうなるか分からない現状では、将来中国が無くなった時の事を考慮に入れた、近隣諸国のパワーバランス配置が必要となるため、現状での安易な日露関係の改善(平和条約の終結)は、将来の安全保障リスクが高まる事に成り兼ねません。

この様な状況を認識すれば、もしロシアが四島返還で妥協する様な態度を取り始めた場合、交渉を進ませない様にするためのロシア国民のナショナリズムを高揚や、それに伴う日本に対する反発意識を持たせる事により、ロシア政府に妥協を出来ない様にするための追加条件が必要になると思われます。

そのためには、そもそも条約破りの侵略したのがロシア(当時ソ連)側であり、北方四島だけではなく千島や樺太も返還するのが筋だと言う風潮を作り、ロシア政府が平和条約に応じ難い状況を作る事も重要だと考えられます。


・それでも領土返還されたら?ロシア軍に駐留してもらえ!?
ではそれでも尚ロシア側が領土問題の解決を望んで、領土返還が叶った場合は如何すれば良いのかと言うと、どうしようもないので返還を受けましょう。その上で大国間のバランシング戦略をどの様に行うかの再構築を行うしか有りません。

そうなった場合、現在の米軍の沖縄駐留の様に、ロシア軍に一定規模の軍を千島列島に駐留させ、日本国内で沖縄と同じような分裂と対立の軸を作り、米露共に安易な軍縮を出来ない様にするしか有りません。


・日本にとってのベストの政策は?
日本にとってのベストの行動は、現状のまま物事を進めず、現在の中国包囲網として機能するロシアのパワーを投資と外交で制御する事です。無論、日本の立場がロシアよりも弱いと言う風潮を作り、日本国民を騙しながら行う必要が有りますので、政治家やマスメディアの腹芸は必要になると思われます。

当然、日本以外の国(欧米)も中国を意識した場合、ロシアへの援助を考えた行動を取ると思われますので、全ての投資負担が日本国民に降りかかるわけでは無いと思います。

ただロシア内で一番発展の望めそうな極東に、一番近い投資余力のある先進国は、日本ですので、ある程度の負担は致し方ないと考えられます。

逆にまずいのは、慣習国際法を前面に押し立てて、国際的なロシアの違法行為を批判する事です。国際法を提示したら、もしロシアが領土を返したがっている可能性が有った場合、「ロシアは国際法を破っているんだ!ちゃんと守らなくてはダメ!」と言う名目で、ロシア政府が自国民を納得させる努力を行い始める可能性が有ります。

そうなれば、現状で日本が行っている侵略経路の提供戦略が行えなくなる可能性があり、外交や安全保障に不備が生じるかもしれません。その様な事態は避けるべきであると思われます。


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以上がロシアとの関係改善に関してのブログ主なりの考察となります。

本日は以上となります。

関連リンク
北海道の地政学
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nh01ai33 at 08:00国際地政学

2018年11月17日

今回は、「日本列島は世界の雛型論」の第三回目となります。

今回の対比と類似考察は、「現代の米国」と「安土桃山時代の豊臣政権」の類似性の考察となります。

前回の「大英帝国が織田信長に似ている」の考察から、恐らくは今回の内容を見抜いていた人も居るのでは無いでしょうか?

ネット上でも、この手の世界の覇権国家を日本の戦国大名に見立て比較する考察は多々あります。実際ブログ主が見のモノの中には、「米国は徳川家康に似ている」みたいな考察を行っていた人も居ました。

最も当ブログでは、「アメリカ合衆国=豊臣秀吉」と位置付けていますので、人によっては受け付けない人も居るとは思いますが、あまり深い事は考えずに見て行ってください。

シリーズリンク:

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⑥「現代の米国」と「豊臣秀吉」
現代の米国が豊臣秀吉に似ていると述べましたが、大英帝国と織田信長の類似性の時とは違い、米国はユーラシアに領土を保有していないので、どの地域を支配しているのか?と疑問を抱く人も居るかもしれません。


米国は基本的に北米の中心部と一部諸島以外の領土を海外に用いていません。そのため実際豊臣秀吉と同じような地域を支配しているのかが分かり難いですが、これは実際の豊臣秀吉の支配地域と支配体制を見ればある程度理解できます。

豊臣秀吉は、土地の支配よりマネーと都市と通商の支配を確立させた支配者で、支配していた土地は「畿内を含む近畿地方の一部と全国に散らばる蔵入地」と「各地の金山銀山」と「ある程度の通商ルートや都市からの利益」で、土地の支配で上げられて利益(統一後の石高)は、徳川家を下回っていたと言うのは有名な事です。

これを現代の米国に重ね合わせたら、

土地の支配は「中東のエネルギー資源のドル売買の強要を軍事力を背景に行っている」ところが、様に秀吉の直轄領が畿内から中部地方西部を支配していたのに似ています。特にイスラエルの保護が、大阪の支配に類似しています。

各地の金山銀山の支配は、「各国からのマネー還流によるドルの買い支え」が真にソレに当たると思われます。

ある程度の通商ルートからの上がりは、正に「軍事力を持って"世界の海"と言う物流の大動脈を制御している」ところがソレに当たると考えられます。


他にも米国の豊臣政権の類似性が有り、それが同盟関係です。米国の最大の同盟勢力がヨーロッパ連合で、これが豊臣政権下で最初に同盟を結び下った大勢力である「毛利家」に相当すると考えれます。

織田信長と大英帝国の項では、毛利家はフランスに相当すると述べましたが、豊臣政権下での毛利家はヨーロッパ連合です。事実ヨーロッパ連合は、戦勝国のフランスがドイツとイギリスを引き込む形で成立させた勢力です。毛利家もヨーロッパ連合も独裁権力者によっての統治では無く、合議による統治である事も似ています。

f現代世界・戦国時代末期の日本



他の似ている点は、秀吉が全国に蔵入地(飛び地)を保有していた事も、米軍が世界中に軍事基地を保有し代わりに国債を買わせている事に似ています。

更に米国と豊臣秀吉は双方共に支配の仕方が、食糧などの土地から上がる生産には頼らず、むしろ人間の生産活動に付随する付加価値の支配を行う点が特に似ています。

米国は大英帝国の様な、過去の帝国主義国家の様に北米以外の土地を支配する様な事はせずに、統治そのものを現地の人達に任せ、ある程度の口出しに留めているところも、秀吉が部下たちに景気良く土地を分け与え自身の直轄領が少ないのと似ています。

この様に土地に頼らない支配方法と、その地域に投射する影響力の確保、影響を与えられている地域の類似性が、正に米国と豊臣秀吉が似ていると断じる理由と成っています。


★今の世界は、戦国時代で例えるとどの時期?
今まで提唱した、「日本列島は世界の大陸に似ている、そのため歴史さえもが似たような状況に成っている論」を見るに、最も気になるのが、現在の世界情勢は日本の歴史で言えば、どの時代に類似しているの?

と言う疑問が出てくると思います。

現在の世界情勢がブログ主の見るところ、これから待ち受けている世界のイベントは、日本史における下記の事件に相当する事件が、同時並列的に起こるか、起こっている最中であると見なせます。


「織田家の内紛が終了するか否か」
「紀伊攻略」

「小牧・長久手の戦い」

「賤ヶ岳の戦い」
「越中攻略」
「上杉の屈服」

「九州征伐」

「四国征伐」

「小田原征伐」
「奥州仕置」


・「織田家の内紛が終了するか否か」=「中東の混乱」
織田家の内紛とは、現在で言う中東東部の混乱で、かつて大英帝国の影響下にあった地域に存在しているサウジアラビアとイランの対立が、これに当たるのでは無いかと推察しています。


・「紀伊攻略」=「?」
世界史において日本史の紀伊の攻略に当たる事件は、今のところ起こっていない様に思えます。一応アラビア半島の紅海側にあるイエメンで起きている混乱が拡大すると言う形で興るかも知れませんが・・・

もしかしたらサウジアラビアが、日本史で言う奇襲攻めの敵勢力と成るかも知れません。この辺りは前述した「織田家の内紛=中東の混乱」とも重なりますので、どの国がどの勢力の役割を果たすのかが分かり難いです。


・「小牧・長久手の戦い」=「ベトナム戦争」
「小牧・長久手の戦い」は、秀吉が唯一負けた戦い徳川家康との戦いです。最も負けたと言っても野戦では勝てなかったと言うだけで、経済レベルでの締め上げや外交政策を含めた視点で見れば、必ずしも敗北と言えるものでは有りませんでした。

世界史における、これに類似する事件は、米国が覇権国家と成り初めて敗北した戦争であるベトナム戦争でしょう。とは言っても米国は敗北こそしましたが、戦争における敗北だけで、それで何が起こったかと言うと、ある程度の名声が落ちただけでそれで終了です。

ベトナムも勝利し完全な独立を確定させたと言っても、得たモノはそれだけで、何らかの利益を得れたかと言うと、何も得れていません。まさにその点が、豊臣秀吉と徳川家康の小牧・長久手の戦いに似ています。(ちなみに、この頃の徳川家康の勢力は、東海道を支配下に置いていました。世界における東海道に相当する地域がインド太平洋に当たると見なせば、勢力的にも重なります)


・「賤ヶ岳の戦い」と「越中攻略」と「上杉の屈服」=(対ソ連・ロシア)
恐らくは、豊臣秀吉が柴田勝家と戦った「賤ケ岳の戦い」と、佐々成政と戦った「越中攻略」そして、北陸に根を張る上杉家を屈服させた事に関しては、対ロシアの冷戦や現時点での圧力を伴った外交がソレに当たると思われます。

ブログ主の推測では、もしかしたら現時点で、既に米国とロシアの間である程度の妥協が成立している可能性が十分あります。実際トランプ政権の対ロシア外交が、その様なニュアンスが含まれた外交のように思えます。

・「九州征伐」と「四国征伐」=「アフリカとオーストラリア?」
正直なところ、これに関しては、自信が有りません。オーストラリア(四国)は基本的に安定していますし、軍事的にも他国に侵攻を受けるルートの有りませんので、紛争が起こるとは思えないからです。

またアフリカ大陸(九州)が混乱しているとは言え、日本史で言えば島津のような大勢力があるようには思えないため、こちらも大紛争に繋がるとは思えません。

双方共に日本の戦国時代であったような、大遠征の様な軍事行動が起こり得るかどうかが分かりません。

もしかしたらコレから何らかの経済的な事件が起こり、双方の地域に軍事的な行動を行わなければ成らない状況が来るのかもしれません。現状を見る限りではこれ以上自体が悪化するとは思えないので、判断は保留です。


・「小田原征伐」と「奥州仕置」=「対中国冷戦」
これは確定では有りませんが、恐らくは戦国時代を占める最後の戦いとなった、小田原征伐と奥州仕置きに相当するモノが、現在米中の間で始まった冷戦構造では無いかと推察できます。

中国自体が、すでに自国の事を自国だけで維持できない状況に追いやられてしまい、他国の生産力を当てしなければ生存できない状況に追いやられています。

そのため対外進出を行わざるを得ず、またインフレを抑える為にも自国で刷り過ぎた"元"を他国に使用を強要させなくては成らないため、軍事力とドル支配で自国の刷り過ぎた"ドル"が通貨暴落を起こさない様に国際決済通貨として他国に使用を促している米国と真っ向から対立してしまい、結果として冷戦構造を作らざるを得ないため、米中間の対立は避けられないと思われます。

この構造が、戦国時代の最後を締めくくる小田原征伐と同じ状況を、現在の世界で再現させてしまうモノと思われます。

なおこの場合、中国が満州を押さえている事が、戦国時代に北条氏と伊達氏が同盟を組んでいた事に相当する事例として解釈する事が出来ます。もしかしたら将来満州地域やそこに隣接する国家が、伊達政宗に相当する勢力になるのかもしれません。(最も伊達氏に相当する勢力が満洲であるかどうかは、まだ確定では有りません。実は朝鮮半島がソレだ言う可能性も有ります)


注意:もしかしたら将来この考え方を軸に、世界史で興った現在の事件が日本の戦国時代のどの事件に類似するかの考察した場合、すでに「織田家の内紛が終了するか否か」や「紀伊攻略」に類似する事象が終了していると見なされる可能性も有ります。ただ単にブログ主の認識不足なだけかもしれません。


★これからの世界予測は?
ブログ主も神様では有りませんので、今後の世界どうなるのかは分かりません。ですが現在の世界の動きや大国の生存戦略を軸に推察すれば、米中間の覇権競争が激化し、それによって世界が大きく動くと思われます。

当ブログで提示した、これら「日本の歴史と類似した流れで動く世界」を見た場合、今後どの様に国が動くのかを予測すれば、徳川家康に類似する勢力の台頭が予測できます。

徳川家康と言えば「海道一の弓取り!」、海道とは東海道を意味し、世界で日本の東海道に当たるのは、ASEANからインドや中東に至るインド太平洋地域がソレに当たると思われます。

そして現在、インド太平洋地域は、日米が対中外交を目的とした重要地域として位置づけられ、日本もインドとの外交関係強化と投資拡大をし始め、またASEANに対してもチャイナ+1の掛け声と共に投資拡大が行われています。

その様に考えれば、今後インド太平洋諸国が日米のカンフル剤を投入され、急激に台頭する可能性も有るのでは無いでしょうか?

今後ますます目が離せない世界情勢です。

★中国はどうなる?
正直申しますと、現在ブログ主は、中国が北条氏の立場を押し付けられた役者だと考えていますが、それはあくまでもブログ主の思い込みで、実は徳川家康の立場をすでに取得している可能性も有ります。

徳川家康も北条氏も最終的に関東に入り力を付け、徳川家康に至っては天下を治めています。

双方共に関東を制しており、世界史においてこの関東に当たる地域は、中国の中原を中心とする「古来から中国と言われていた領域」がソレに当たると思われます。

ブログ主が中国が徳川家康になれていないと言う理由は、海の道を制するのではなく、中央アジアへの陸の道を制してしまい、防衛負担の増大する陸上国境を持ってしまったが故に、現在の周辺国から受ける軍事負担を考慮した場合、北条氏の役を踊らざるを得ないと思ったからです。

そういう意味でも、ロシアが強大な陸軍を有している現状で、負担の掛かる現在の国境を持ってしまった中国は、運が悪かったと言えるのでは無いでしょうか?

無論立ち回り次第では、今からでも徳川家康役を務める可能性が有るかも知れません。注視して見て行くべきだと思われます。


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以上を持って「日本と世界の歴史の類似」の考察を終了しようと思います。

一応、今回の記事は、あくまでもブログ主が4年ほど前に自己での情報の収集と分析の結果、主観的価値観の下で認識しただけの事で、真実では無い可能性も有ります。それを前提の上で閲覧してください。

本日はココまで!!

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nh01ai33 at 08:00地政学歴史

2018年11月15日


今回は「'17世紀の欧州台頭前夜の世界'と"14世紀の日本の室町時代"」と「'19世紀の帝国主義時代'と"16世紀の日本の戦国時代"」の類似点です。

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④「17世紀の世界、オスマン、インド、中国」と「14世紀の日本の室町時代」
この頃の世界は、いわゆる群雄割拠状態で、大勢力は有るものの確たる覇権国家は存在していません。

代表的な国家は、オスマン朝トルコ帝国、サファヴィー朝ペルシャ、ムガル帝国(インド)、中国の明朝もしくは清朝が上げられます。

この頃のヨーロッパ諸国は、弱小勢力も良いところで、連合を組めばオスマン帝国と引き分ける事が出来る程度の国力しか有りません。


そして日本では、室町幕府は中央畿内を押さえていはしたが、地方の隅々まで勢力下に置けた政権では有りません。

室町幕府は中央を独裁権力で支配していたものの、あくまでも支配地域は中央だけです。

南北朝時代で荒れ果てていた日本では、各地の守護大名の勢力が、地方まで支配する力を持ち合わせて居ない幕府を超える程の影響力を各地で根を張ってしまっており、実質上の合議制の支配となっていたと言われています。


ココでこの時代の大小大名勢力を、17世紀の国々との類似性で纏めると、

中国(明国と清国)=鎌倉府と関東管領上杉

インド(ムガル帝国)=今川氏

オスマン帝国=室町幕府

みたいになります。

d17世紀の世界・14世紀の日本

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関東の情勢は、中国大陸の情勢に似ており、

足利家の興した鎌倉府(鎌倉幕府とは別)を明国に見立て、後に補佐としては言って来た、関東管領上杉氏を清朝を築いた女真族に見立てる。

関東管領上杉氏は、鎌倉幕府再興を掲げ関東に入り、足利成氏と共に統治しようとしたが、両者の間で不和が起き紛争に発展、最終的グダグダの混乱状態に陥り、どうしようもない状況と成りました。

これが世界史における、清朝が中国大陸と、その他周辺地域を制した後に似ています。清国も最初は名君が活躍し安定をもたらしましたが、末期に国内勢力でも北京から遠い地の勢力には好き勝手にさせて、超適当な統治を行い、治安を崩壊させました。これが戦国時代突入時期に日本の関東で興った混乱によく似たな状況と考えられます。

これは清国を建国した女真族が、元はモンゴルの支配下にあった狩猟民族であり、それが原因で清国の建国後の統治は、モンゴルと同じような"他民族との連合政権"になった考えられ、その事が最終的には独裁体制なのに統治が他人任せな"適当"に成ってしまった原因と考えられます。

更に現在の中華人民共和国は、先の内戦で争っていた中華民国と共に、漢民族の国家であると言える。そのため南方から発生した、北条の勢力とダブらせる事が出来る。


そのため

「世界史におけるモンゴル帝国は、日本史における鎌倉幕府【源氏が藤原氏と同盟を組んだ勢力】である」

「世界史における女真族の清国は、日本史における鎌倉幕府が成立するに重要な地域であった【奥州藤原氏から発生した関東管領の上杉氏】である」

「世界史における中華人民共和国(漢民族の勢力)は、日本史における北条家である」

と定義づける事も出来る。(確定では有りません)

この様に見れば室町末期の関東情勢と明朝崩壊後の中国大陸が、地理的な勢力では若干の違いがあるが、似たような状況であったと見なす事が出来るのす。


世界史におけるオスマン朝トルコ帝国は、日本史における室町幕府に似ている。

オスマン帝国は領土を見れば広大な領土を統治しているように見えるが、イスラム系帝国としては、領土面積は少ない方で、文明圏が広がった当時の事を考えれば、過去のイスラム帝国と比べると相対的に影響力は少ないと見なせます。

過去のイスラム帝国は、文字通り大陸の陸路と海路の東西貿易を一手に握る大帝国でしたが、オスマン帝国は、精々陸路の一部と海路の半分くらいが関の山だと思われます。

この影響力の少なさは、日本史の室町幕府そのもので、室町幕府も畿内(世界史における中東)を含む中央地域を支配していたぐらいで、地方における影響力は余り有りませんでした。

そのため地方で興った混乱を止められず、それが幕府の不振にまでつながり、最終的に体制の崩壊による戦国時代への移行に繋がったと考えられます。


上記の二勢力以外にも世界史におけるムガル帝国は、日本史における今川義元に相当すると考えられます。

今川勢力は織田徳川の前に崩壊する事になります。


なお、この少し前から世界では大航海時代が始まり、新大陸から膨大な金銀が欧州に流入する事になります。


室町末期の日本では、明朝の銅銭が大量に輸入され、また新大陸からユーラシア大陸に流れ込んだ銀の為に、世界的に銀の価格が落ち込みました。日本国内でも通貨が蔓延し始めるも、実際の生活では使用しない人が多いためダブつきが始まりまり経済の不安定化が始まったと思われます。

世界でも、日本でも、マネーと物価の釣り合いが取れなくなり、世界的にインフレが始まり、各勢力への資金注入が始まる事により「勢力の独立」や「貧富の格差の拡大」や「経済混乱」に拍車が掛かったと言う点も似ています。ただしこの現象は世界的な問題なので、類似点と言うのは違うかもしれない。

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⑤「19世紀の帝国主義」と「日本の戦国時代」
いよいよ時代が現代に近づいてきましたが、ここからは世界史においても、日本史においても、最も熱い時代の比較となります。つまり1800年代の後半から始まった帝国主義によって各地に成立した勢力が、なんとなく日本の戦国時代に似ていると言う点です。

特に代表的なのは、

世界して言えば、大英帝国
日本史で言えば、織田信長

で、この勢力の比較し類似点を探すと、世界と日本で両勢力が、かなり似ている地域を支配してることが分かる。

大英帝国は、ヨーロッパ西北部にある島国だが、絶頂期に実際支配した地域は、西から北米北部(カナダ)、スエズ運河や中東の肥沃な三日月地帯、インド帝国、シンガポールとマレーシア、オーストラリアとニュージーランド、オセアニアの島々等が有名です。

対して日本史における織田信長は、現在の尾張(愛知県西部)から発生し最終的には、当時の日本の中心である畿内を支配し、中国地方の東部、四国の北東部、北陸西部、信濃を始めとする東山道、同盟国として東海道を制した徳川家康、などなどが支配及び勢力圏となります。


≪大英帝国と織田信長の比較地図≫
e帝国主義の世界・戦国時代の日本



両勢力を対比した場合、「支配地域が若干合わないでは無いか」と、文句を言う人も居るとは思います。

例えばオーストラリアと四国の位置が違うため混乱する。とか

大英帝国は、信長とは違い、中央アジア(東山道地方)を支配しては居ない、東欧(中国地方東部)も支配していない。とか

織田信長は、九州(アフリカ大陸)までをも支配していたわけでは無い。

等々が有ります。


しかし、これに関しては、実際の征服地域だけではなく、資本を利用しての支配地域や同盟や属国関係を考慮に入れれば説明が付きます。


まず「オーストラリアと四国の件」を、「地中海と瀬戸内海」に置き換えた場合、「地中海南部にある陸地の北東部にあるエジプト」は「瀬戸内海南部にある陸地の北東部にある三好家および淡路島」と見なす事が出来、更に「中東」は「畿内」として位置付ければ、ある程度は納得のできる類似性が見いだせます。


「信長が東山道や中国東部を支配しているのに、大英帝国はそれに類似する中央アジアと東欧を支配していない」に関しては、大英帝国は資本支配と言う形でペルシアを支配していますし、その北部にある中央アジア地域を、対ロシアとの競争であるグレートゲームで争い、ある程度の中央アジアでの支配権を確立させています。また清朝末期には、チベットも保護下に置いています。


イギリスの東欧支配に関しても、当時東欧で最大勢力でもあったドイツが「植民地を保有していないため豊かになるためには、海路の安定が絶対に必要で、イギリスとの協調を行わなければ成らない状態であった事」と「地政学的にドイツ最大の敵国は、フランスとロシアである。英国も世界で、フランスとの植民地競争を行ったり、中央アジアや極東でロシア帝国と争うライバルであったため、英独共に共通の敵を持っいたと認識でき、ドイツ帝国を成立させたビスマルクもその事を理解した政治を行っていた事」、これらを想定して見た場合、東欧(日本史での中国地方東部)を制していたドイツ帝国も英国(織田信長)の支配下に置かれた同盟勢力として見る事が出来るのです。


「織田信長(大英帝国)が九州(世界のアフリカ)までをも支配していないが、大英帝国(織田信長)はアフリカ大陸(日本の九州)をど真ん中を支配する形で制している」は、信長が本能寺前で実質敵に戦っている勢力が上杉家と毛利家&長宗我部氏であり、それ以外の関東から奥州の勢力や九州の大名たちと、同盟関係を結んで戦乱の世を終わらせれる直前であった事を見ると、大英帝国のアフリカ支配と中国の植民地化は、それに似た類似が確認できると言えるのでは無いだろうか?


更に大英帝国と織田信長の類似性、以外の勢力の類似性を見て見ると、「毛利家=フランス」、「北陸の上杉=ハートランドのロシア」等で類似性が見いだせれます。


なお、この頃世界史では中国大陸を支配している勢力は清国ですが、ブログ主はこれを「鎌倉府と関東管領上杉」と位置づけています。ですが世界史と日本史の類似性を考えた場合、戦国末期の関東を制した居た勢力は北条であって、ブログ主の言う世界史での漢民族勢力である事を考慮すれば、大英帝国の絶頂期の中国大陸で漢民族の国家が出来ていないのはオカシイと思われるかもしれません。

ただ清朝末期の中国大陸では、漢民族の勢力対等が著しく、満州族の故地である満州地方にまで侵食してる状況だったため、国家ではなく民族の勢力拡大と言う視点で見た場合、「漢民族(北条氏)は着実に中国大陸(関東)を支配下に置いていた」と見なす事が出来るのです。

・・・が、日本列島と地球全体を比べた場合、規模と距離そのものが全く違うため、資本の移動や勢力の台頭に関して、ある程度の時間差があって当然と考えられ、それほど気にする必要も無いと考えられます。


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以上で第二回目の「日本列島は世界の雛型シリーズ」の"世界と日本の歴史の対比"を終了しようと思います。

このシリーズもあと一回です。

続きは次回へ!!


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nh01ai33 at 08:00地政学歴史

2018年11月13日


今回は、当ブログで述べている日本の国家戦略の"大本"に成っている、前提条件に関しての考察となります。

皆さんは、よく言われているネタで、「日本列島が、世界の大陸の形に似ている」と言うモノが有りますが、それをご存知でしょうか?

例えば「大陸の形」等は、その代表のモノです。

本州は、ユーラシア大陸

九州は、アフリカ大陸

北海道は、北米

四国は、オーストラリア

等々が有名な例で、特に「日本地図で四国のある位置に縮小したオーストラリアを移動させてみたら、案外気付き難い」と言ったモノが、よくジョークでネタにされたりしています。

大陸と列島の類似


これらの事は笑って許せる様な事なのだが、地政学や日本の歴史や現在日本の行っていると見なせる戦略を照らし合わせて見た場合、質の悪いジョークでは済まされないのでは無いか?と言う思いが湧き出てきます。

なお当ブログでの考察は、ひと昔前のオカルトマニア御用達の雑誌ムーで載せられている様な「"竹内文書"基準の日本列島雛型理論」とは別の考え方を基に考察したモノとなりますので、あまり神話の時代の事はオカルティズムに属する事は出てきませんので注意してください。

あくまでも地政学を基準にしています。


★大陸の位置や形より「山脈・河川・湾・の位置」も重要
日本列島の形が、世界の大陸の位置や形とそっくりだと言う点について、あくまでもネタとして捉えている人が多いと思われます

位置についても、オーストラリアの位置が本来はアフリカ北部の位置になければオカシイし、アフリカ大陸の位置ももっと西に存在していなければ、日本列島とそっくりとは言えないのでは無いか?

若しくは北米と南米が繋がっている事や南極の存在はどの様に説明するのかと言う話も有ります。

しかしここで重要なのは、日本列島と寸分も違わずにそっくりである。と言う事より、全体的に何となく似ており「河川や山脈」の様な自然要害も似たような位置に有るため、大陸の形や位置が似ている以上に日本列島にそっくりだと言う点なのです。

河川や山脈の位置と言うモノは、国家形成において重要な要素となるため、ある意味大陸の形がそっくりだと言うよりも遥かに、日本列島にそっくりだと言う論理が当て嵌められる事になります。

この考えを基に日本列島と世界の大陸を確認すると、

「地中海」は、「瀬戸内海」に当たり

「ヨーロッパ半島(西欧)」は、同じ半島の形状である「中国地方(半島)」で

「東ヨーロッパから中東」は、古来から文化の交差点で、日本においては「近畿地方」がソレに当たります。

「南アジアから東南アジア(中国南部含む)」は、「東海道」に当たり

「中アジアや中国西部の高原地帯」は、「日本アルプス」となります

世界一の高さの「ヒマラヤ山脈」は、日本一の「富士山」に相当し

中央アジアや中国西部の高原・山岳地帯から流れてくる河川も、日本列島の東日本を南北の太平洋側と日本海側に分断する山脈から流れてくる河川に相当します。

これら河川の位置も若干のずれがあっても、代表的なモノは、「中国の黄河と長江」が、「日本の東北の北上川と阿武隈川」に似て居たり

他にも「インドやパキスタン近辺を流れるインダス河」は、「日本で中部の愛知、岐阜、三重の間を流れる木曾川や長良川」に位置関係が似ています。

更に「ユーラシア大陸北部のシベリア(ハートランド)」は非常に肌寒い地域として有名ですが、日本でそのハートランド当たる地域である「日本の北陸地方」も国内屈指の豪雪地帯として有名です。これは地政学に置けるハートランド理論(シベリアは冬季凍り付く北極海に面しており、農耕にも適した土地が少ないため守るべき土地が少なく、そのためユーラシア外円部の諸国には攻め込みずらく、攻めても敵はどこまででも逃げて行き、例え一時的に征服できたとしても後の統治は続かない、正に大陸内陸国家の聖域である。この地を制する勢力をユーラシア外円部に進出させてはならないと言う理論)で見た場合、日本の北陸も冬季は雪に閉ざされて攻め込み難い地域と言う点も似ています。


自然環境



この様に細部では違いが多々ありますが、全体的に何となく似ている事が分かります。

そして重要なのは、河川や山脈の位置までもが何となく似ていると言う事は、その地域に成立する国家や勢力も似てくる原因に成ってくるのです。


★歴史の類似性
これら世界と日本列島に置ける、地理的類似性や成立勢力の類似性において最も重要しなければならないのが歴史の類似性である。

ココでは世界と日本の有史以来の歴史の類似性を、大まかに考察しようと思う。

①「人類発生」と「皇室発祥」⇒「文明の発祥」と「日本建国」

まず人類の歴史で重要な事が、「人類の発生」であり、日本の歴史で重要な事が「皇室の発生」である。

そして人類史を語る上で避けて通れない事が「文明の発祥」であり、日本史においては「日本の建国」である。

これらの類似性を見た場合、

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アフリカ大陸の大地溝帯(九州の日向ノ国)で発生した人類(皇室)が、時を経て中東の肥沃な三日月地帯(近畿地方の大阪平野や大和)に入り、初めての文明が発祥(日本建国)した。

日本列島の九州地方東部(アフリカ大地溝帯近辺)で発生した皇室(人類)が、時を経て近畿地方(中東)の現在で言う大阪や京都や奈良の辺りにある盆地や平野(中東の肥沃な三日月地帯)に入り、大和の国を建国(文明発祥)した。

-----

となります。

ココでも世界における「大地溝帯」と、日本における「阿蘇カルデアを含む九州山地」が地理的に類似性を確認できます。("裂けめ"と"火山"で違う様な気もしますが、大地の活動と言う点では同じように思えます)


≪人類発生と文明発祥≫
a人類発生と皇室誕生


この世界史における人類発生と日本史における皇室の登場は、時間軸で見れば現生人類の発生は十万年以上前ですが、皇室の登場は紀元前六世紀頃と言われていますので、その差は十数万年に渡ります。

これが世界史における文明発生と日本史における日本建国を照らし合わせると、その時間軸の乖離は、約九千年ほどに縮まります。


②「紀元前1世紀~後8世紀、ローマ帝国とイスラム帝国」と「9世紀頃の日本、平安時代の貴族と平氏」

世界史におけるローマ帝国は、当時の地中海全域を支配する文明であり、この頃に発生した技術が後にイスラムに移転され全世界に波及し、現在にまで続く文明の遺伝子として生き続けている。

後にローマは、「異常気象」や「奴隷依存による異民族受け入れ」若しくは、歴史に記されている蛮族の流入により、治安悪化や財政赤字拡大が生じ、ローマ市民だけではローマ帝国を維持できない状況となり、緩やかに解体される事になった。

ローマが崩壊した後は、イスラム帝国がその文明を受け継ぎ、そのイスラム勢力は王朝の後退を繰り返しながら、北東アジアから発生したモンゴル勢力によって当時の覇権国家としての地位から滑り落ちる事になる。


これを日本の歴史を照らし合わせた場合、ローマ帝国に値するのが藤原氏を代表とした平安貴族です。当時の日本は、放漫財政により当時蛮人と見なされていた武士階級に頼らなければ国家を維持する事が出来なくなっており、貴族に変わり治安維持等に奔走した武士が地域を支配する実力を持つようになり、最終的に武士に領地を乗っ取られ、武士の時代が到来し始めた。と言う事例が真にローマの滅亡にダブって見えます。

そしてその武士の中に、平氏一族も存在し、これが真に世界史におけるイスラム帝国に似ているのです。


≪ローマと平安時代≫
bローマとイスラム,貴族と平氏


③「13世紀の世界、モンゴル帝国」と「12世紀の日本、源平合戦と源氏」

イスラム帝国の台頭は急激なモノが有りましたが、中期頃から混乱による分裂も発生し、同時期に幾人のカリフが台頭すると言う事態に陥り国力を減退させました。

そしてその頃、北東アジアの高原地帯で発生した遊牧民の王朝が、ユーラシア最大の領土を築いたモンゴル帝国です。

モンゴルは人類の文明圏がユーラシア大陸に納まっていた時期の勢力としては、世界最大の領域面積を支配する国家として台頭しました。ただし北極海(北陸)に隣接する地域の方は、余りにも寒いため勢力に収めるに値しない事を割り引いて考えてください。


そして日本史におけるモンゴル帝国に値する勢力が、後に鎌倉幕府を設立させる源氏の勢力となります。

鎌倉幕府は、文字通り関東の鎌倉に出来た勢力で、世界史で照らし合わせたら中国南部地位になり、関係が無いように思いますが、勢力拡大に関しては、源義経が奥州藤原氏から援軍を貰い受け、平氏との戦争に赴いています。この奥州藤原の領域が、ユーラシア大陸のモンゴル高原に当たる地域と見なせますので、辻褄は会います。

また同じころ信濃から北陸地方に進出し勢力築いた木曾義仲も、基は源氏の出です。ただし朝廷に平氏討伐を命じられ入京後に、京の治安を悪化させてしまい朝敵認定され後に頼朝、義経に討伐され彼の築いた領土は、よりともに奪われたようです。

これはある意味、源氏(木曾義仲)が源氏(源頼朝)に吸収されたようなもので、世界史で照らし合わせたらモンゴルが、連接する騎馬民族を片っ端から併呑したのに似ています。


≪モンゴルと鎌倉幕府≫
cモンゴル・源氏


また当ブログで日本の歴史が世界の歴史に似ていると言う論理を前提にした観点から見た重要時が、この頃に日本史が世界史と照らし合わせて、日本の歴史が世界の歴史の時間軸を超えて進んでしまったと言う点です。


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ブログ主が言いたいのは、全体の流れは似た様なものであり、同じような流れに成っているのであれば、多少の違いがあっても、結果は似たようなものになってしまう。と言いたいのです。

そのため「世界史における、あの地域の"あの国"は?」、日本の歴史における、どの地域の"どの国"?」と事細かく精査する必要は無いと考えます。

また日本の北陸地方は、多くの人が住んでいる地域に該当しますが、世界史における「日本の北陸地域に該当する地域はシベリア」に該当しますので、殆ど人が住んでいません。シベリアに多くの人が住むようになったのは、近世に入って開発が進んでからです。

実際の支配しているかどうかより、実質的な勢力圏に置いているかが重要だと考えた方が良いと思われます。


今回は、一回では終わりそうに無いため、複数回にわたった記事になると思います。今までにも増して妄想色の濃い考察となりますので、無理に信用してもらう必要も無いと考えています。閲覧者様方もそれを前提の上で読んでください。

続きは次回へ!


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