2019年01月

2019年01月31日

今回は、大戦略で考える流動性の制御のブログ主の価値観で解釈した詳しい説明となります。

前回は流動性の制御に関する概念的な事を書かせていただきましたが、今回はどの様な事柄が制御すべき流動性の対象となるのかの説明となります。

3-戦略的コントロールの技術的な組み合わせの一考察≫(←この記事)


★エネルギーの流れは物理現象に影響される(可能性の現出)
上記で述べた流動性の制御において「どの様な行為を行えば、どの様な反応が返ってくるのか?」は非常に重要な事です。この項では「物理法則」と「物理法則によって作られた自然の循環」と「自然循環の中で構築された人界の法や生き方」を軸に、どの様な行為を行えばどの様な反応が返って来るのかの考察の項となります。


・需要(消費)と供給(生産)
まずは「需要と供給」に関しての介入に関してですが、人が生きる上での生産と消費を行わなければ生きては行けません。そして多様な産業からなる文明社会では取引を行う事によって、生命活動を維持する為の食品やエネルギー以外の産業でも生きる事が出来る様になっています。

これにより人類は他者との相互依存関係によって、娯楽などの生命活動維持に不必要な産業に従事していても生きて行けますが、これは国内だけの生産物の需要と供給による循環のみで行われているのであれば問題は有りませんが、海外からの供給によって維持されているのであれば他国依存となります。この他国依存の状況が維持されたまま、その関係が途切れた場合、自国内での生産物の供給拡大のみで対応できない場合、外部からの物資の調達を行わなければ成りません。

もしその様な事が国家間の交渉や取引等で不可能な状況であったのならば、他国への侵略を行わなければ成らなくなります。つまり外国マネーの投入による、国家の消費力や生産力の肩代わりが行われていた場合、その維持に貢献している国が、依存している国の生命線を握っている事になり、コントロール下に置いていると言えるのです。


・軍事圧力(恐怖によるコントロール)
国家をコントロール下に置くもう一つの要素が安全保障です。これは上記の生産や消費の事にも繋がりますが、基本的に国家が生きる上で最も重視しなければ成らないのが、国家を構成している国民の命と財産を保障する事で、これに直接的に加えられる外部からの圧力の代表的なモノが、軍事的な圧力となります。

この外部からの軍事的な圧力が加えられた場合、直接的な命の危機にさらされると認識するため、国民は自己の命を確保しようと攻撃的になります。たとえ政府レベルでマスメディア等の報道機関を活用し軍事的な圧力を仕掛けている国の安全性を誇張したとしても、戦う力を持たない上に隣国の状況を完全に理解している訳では無い国民は、それで自己の安全を確信できるわけでは無いため、国民世論が沸騰する事になります。

その様な状況で対立軸が成立する隣国との関係を無理に維持しようとすれば、政治家への不信から世論や政策の転換に成り兼ねませんので、政治家としてはある程度の強硬姿勢を見せる必要も出てきます。

当然それを見た隣国の国民も反撃を行った国に対して不信を抱く事になり、この両国の反撃の応酬が均衡が取れていれば、戦争にならずに緊張状態のまま有耶無耶にする事も出来ますが、均衡が崩れたり、双方の間での交渉による劇場的な国民への情報発信が出来なければ、緊張が最高潮に達し戦争になるリスクが上昇します。

緊張状態を安定的に収めるためには、両政府の間である程度の対立軸を形成したまま、徐々に矛を収める様な外交を行うのがベストだと考えられます。


では逆に軍事的な圧力がマイナス的に働いた場合はどうなるのかと言うと、軍事的な空白地帯が出来る事を意味してい居るため、もし隣国が軍事的な圧力を持って自国内で賄えないし幻燈を隣国から調達しようと考えた場合、紛争リスクに成り兼ねません。

ですので人間は環境の影響下で危機的な状況に追い込まれた時に、戦ってでも生存圏を確保しなければ成らなくなる事から、いざと言う時には戦争が不回避にな事と成ると言う国際的な了解が有るため、ある程度の軍事力は整備しなければ成らないと言うのが国際社会の礼儀となり、余程特殊な事情が有る以外では、この戦争は起こるものと言う常識を弁えた軍事整備と外交を行わなければ成りません。

以上の事から軍事圧力レベルでのコントロールとは、この軍事的圧力を行う事によるコントロールと、軍事的圧力を行わず、むしろ縮小する事による特定勢力の軍事リソースの引きずり込みによるコントロールとなります。


・正義と悪の感情
最後のコントロール対象となるのが、人間の有する感情において国家間の外交にまで発展する可能性も有る「正義と悪の感情」です。

これは国際社会における国家は、生存圏を掛けて存続している事から対立構造が生じる為にそこから生じてしまう価値観です。

人間は社会と言うコミュニティを構築して生きている生物ですので「社会構造を破壊する犯罪的な行為」や「犯罪と定義されていなくても人道的に問題のある行為」を行った場合、コミュニティから排斥される恐れがあるため「善であろうとする心」が有る事から犯罪を行わない様にする生存本能が大なり小なり有ります。

更にこの感情から「善であろうと信じ込もうとする弱い心」や「対立した相手が悪であろうと思い込みたい弱い心」が有り、これらの感情が国家を運営する上での行動や民間レベルでの国家間交流や歴史認識に影響を与える事になります。

つまり国家における対象国への感情面でのコントロールとは、現実的な国益面から政治を行っている政治家に対してでは無く、その政治家の命を脅かせる存在である国民がそのコントロール対象になります。

「対象国の国民や政治家に「自分達は悪である」と言う認識を与え、対象国に対象国に対して行う自国の行いを正当化し、対象国の民衆や政治家の発言を封じる」、又は「対象国の国民や政治家に「自分達は正義である」と言う認識を与え、他国への軍事リソースの投入を躊躇わない心理状況下に追いやる」と言った心理操作も戦略におけるコントロールの概念の内に入ります。

中には自国民に「自国(A国)は悪であると」と信じ込ませ、隣国(B国)に「B国は正義である」と信じ込ませれる情報を流し、B国の人に「悪のA国になら何を行っても良い」と言う感情を植え付ける様な情報操作を行う国もあります。これは「人間は悪である事に耐えられずに、自身を正義だと思いたがる」事から「まさか自分達の事を何の証拠もなく貶める事はしないだろう」と言う認識を逆手に取ったコントロールとなります。

この様な意図的に自国を貶め、対象の隣国等に「自己の正義感と相手国を悪と信じる敵意」を植え付けるコントロール戦略は、余程「安全保障の確立された国」か「敵対的関係を誘発させる事によって利益を確保する事の出来る国」のどちらかでしょう。


・利益と不利益
最後に最も単純なコントロールが「利益と不利益」です。基本的に上記で述べた事も大体はこの「利益と不利益」に関しての事です。

人間であれば上手い食べ物、大量のお金、高価な宝石などが利益に当たり、国家であれば高度な技術、膨大な資本、借金の帳消し、軍事的外交的援助などがこれに当たります。

ただし個人であれば、コントロールの為に行われたこれらの事で痛い目を見ても、落とし穴に嵌った程度の事だが、国家レベルでこれが不必要なまでに行われると、国家が供給できる以上の利益を得れてしまい、その利益を前提に国家の繁栄を維持した場合、その利益が持続的に確保できない時には、国家全体が破綻する事になります。ですので利益が与えられたからと言って、涎を垂らして飛びつけば、短期的には良くても長期的には国家を損なう事にも成り兼ねませんので注意が必要となります。

不利益に関しては、誰だって受けたくないのでコレに関しては詳しく述べる必要は無いと思われます。(利益の逆ですので簡単ですよね!)

これらは先に取り上げた「資本」「軍事的圧力や支援」「善悪の感情」等の全ての項において、この利益授与の行いがコントロールに値する事と成ります。



★タイミングの重要性
上記のコントロール行為を行う時に最も重要な事は「タイミング」であると考えられます。

何故タイミングが重要なのかと言うと、これはコントロール行為を行う対象相手や国が、仕掛けた側が望んだ様な行動を取るかどうかは、対象が置かれた環境が重要で、例えば対象国に対して資本注入による大規模な工業化や経済のバブル化を煽る財政支援と経済支援を行えば、注入を受けた国家の「消費力」や「生産力」や「人口」が爆発的に上がり、将来的に混乱に陥れることが可能となる。

しかし、ここで注入を受ける側の国が「増税」の様な人口抑制政策や「付加価値の低い企業の淘汰」の様な不必要な生産力の抑制政策を行える国内状況を築いていた場合、将来的にキャピタルフライトなどを起こし対象国を混乱に陥れるコントロール戦略は通用しなくなるどころか、対象国の産業の高度化と安定化に寄与する事になります。

この様にコントロール戦略を目的とした行為を含むあらゆる行為は、その行為を行う時に相手が望む反応を行う様な状況が確立されていなければ、望む反応を返してくれません。

これは孫子の水の比喩の記事で述べた"状況・帰結のアプローチ"の事で、戦略的な事を意識して何かを行おうとした時、自分達の置かれた環境を考えた上で行動を行避ければ、結果は自身の望むものには成りませんので注意が必要となるのです。


--------------

以上が大まかな分野別のコントロールに関しての考察となります。

次回からは「マネー」「資源」「人」「技術」「情報」を利用しての人の生み出すエネルギーコントロールに関しての考察となります。

つまり今回述べた事を更に詳しく考察すると言う事です。

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nh01ai33 at 08:00戦略

2019年01月29日


本日は前回から続く、「水の比喩で見る大戦略」の続きに当たる「大戦略で考える流動性制御」でお送りいたします。

前回の水の比喩とは、孫子兵法に記されている、兵(軍隊)を水に例えた比喩で、「戦争等で軍隊を運用する時は、物理法則や人間の心理の法則等の影響を受けるため、ソレを予測し自軍と敵軍を自分の都合の良いようにリアルタイムでコントロールすべし」と言う意味を述べた比喩で、あらゆる情報を分析し利用した、あらゆる力の制御こそが戦略の大本道であると言う事です。

これは用兵の事だけでは無く、国家を運営し国際社会での生存戦略を行う事についても同じことが言えます。

今回は、そのあらゆる力の流動性の制御の観点から、大戦略とは何なのかを考察してみようと思います。

そして前回の最後で述べた様に、この大戦略を考える時は、生き残りこそがその根底にある最大の目的である事を認識し、それを前提に「可能性の現出」と「価値、技術(機能)の組み合わせ」と「流動性の制御」を取り上げさせてもらいます。

なお記事は、今回だけでは収まりませんので複数回に分かれると思われます。

2-大戦略で考える流動性の制御≫(←この記事)

★国家における流動性の制御とは?
では国家における流動性とは何なのでしょうか?

これには色々のモノが有りますが、まず代表的なモノが「お金(マネー)」が取り上げられます。このマネーと言うモノは、人類に文明社会が始まってより最も流動的なモノの一つで、食糧の様な腐るモノでも無ければ、情報の様に劣化するリスクも少なく、現代のインターネットの発達した国際社会でも、最も流動性のあるモノの一つでも有ります。

お金を貸したり借りたり、政府の増税により経済活動に影響が出たり、銀行業務によって信用が膨張したり、他にもあらゆるモノと交換される事によって、工業製品、食糧、人材、燃料等のあらゆるモノに変えられ世界中に循環しています。このマネーの流れと、価値を制御すると言う事は、マネーの取引によって影響を受ける諸々の事象に影響を与える事になると考えられます。

無論、先に述べたマネーと交換できる「「工業製品、食糧、人材、燃料等の様々なモノ」も生産され消費される事によって、国家の活力になる流動性のあるモノ」と言う事も出来ます。


そしてもう一つ重要な事が「軍事力(パワー)」で、これは国家の安全保障を守るだけでは無く、国際社会における利権を軍事力を含む外交交渉で守る力も含んでいます。

当然そこには、他国を威圧したり侵略する力と言う意味も有し、その影響力は周辺国に反発と言う形での反発力的な軍事力を招く恐れもある、流動性のあるエネルギーとも言えます。


更にもう一つの事が「心(マインド)」で、これは国家を構成する国民やそれを指導する政治家の行う事に影響し、時にはこのマインドによって「どこの国に「投資するのか」や「侵略するのか」や「有効的付き合いをするのか」にも影響するため、他の流動性のある事柄に影響するモノである」と考える事が出来ます。


そして最後に「人」で、これは人の移動や人口の増大と言った事柄で、その国の生産力や消費力の増大や、民族大移動の様な難民が起これば、国際的な混乱にも結び付きます。そのためお金が生まれる以前の古来より流動性のある存在と言えます。


これ以外にも、人類にはコントロールし難い「自然環境」、大気や海流の流れ、自身や火山活動、台風や洪水、干ばつ、更には気温等も流動性のある存在と言えます。ただし、この自然環境に関しては、人間ごときがコントロールしようと考え実行しても、手痛いしっぺ返しを食らうのが目に見えていますので、基本的に起きた事象を受け止め、対処するしか有りません。


★膨張と噴出、激突と可能性、縮小と巻き込み
では国家や民衆が生み出すエネルギー(力)の流れと言うモノは、どの様に生み出しどの様に流れ、時にはどのように衝突し自己や周囲に変化をもたらしてゆくのでしょうか?

まず国家を維持する人口や産業を一つのエネルギー体と考えた場合、その共同体に外部からエネルギーが投入された時、その共同体の有する生産力や消費力が増大する事が有ります。

この上記の事象が「膨張」で、この国家的力の膨張は「外国と言う外部だけでは無く、今現在社会体制を維持を構成しているモノ以外の新たなる資源やエネルギーが発見され投入された時にも起こる現象」で、この現象が起こると一時的に生産力や消費力が増大する事になります。

しかし拡大の原因になっている存在(新資源や海外からの投資)の国内消費に対する供給の相対的縮小が生じると、生産と消費が維持できずに、その生産力と消費力を維持するために、外部に向かって生産力と消費力を放出しなけれけば成りません。

これが膨張から発生する「放出」で、国家で例えると「生産力と消費力の帳尻を合わせるために、増大した生産力で生産されたモノやサービスを海外に売りつけ外国で稼いだ金銭を持って海外の物資を購入し、自国の増大した消費力の維持に充て、更に国内で賄いきれない消費力を移民と言う形で外国に送り出す」と言う行動に当たります。

このエネルギーの膨張は、何も国家における生産力と消費力だけでは無く、「感情に注がれる正や負のエネルギー」などと言った物質的なモノ以外もこれに含まれる事になる。


そして、それらの放出された各エネルギーの流れは、発生元以外の外部領域に流れ込み、その外部領域に存在している同質の存在と交わると対立や友和等の各事象に発展します。

例えば、増大し過ぎた生産力で生産されたモノを外部に流せば、そのモノやサービスを受け入れる領域で「同じモノやサービスを生産している人達」は、ライバルの出現で負担が生じる事になります。小規模のある程度の競争であれば、受け入れる側の人の努力を促したり、消費側の消費コスト削減になるため、恩恵が有る事は認めれるが、不必要に受け入れる量が多すぎれば、過当競争や所得の減収からなる受け入れ領域の人達の負担になります。

更に過剰消費に当たる人員の削減を目的とした放出が行われると、それを受け入れた領域に住む人達の生産力が、流入した人達の為に使用される事になるため、受け入れ領域の人達には負担ともなります。これは人口だけ増やした途上国の人が先進地域に潜り込み、その土地の人達に迷惑をかけながら生きる様な事例がソレに当たります。

無論、流入した人達の生み出す生産能力が、受け入れ領域の人達の生み出す生産能力を平均的に超え、且つ受け入れ国の通貨と物価がインフレ状況にある場合は、受け入れ領域の人達が受け取れる恩恵が大きくなる為その限りでは有りません。これを人類の大移動に例えると、文明の発展した地域の人が、未開地域の人達の住む土地に移り住み、その地域の人達の為に尽くすなどと言った事がソレに当たる。

これは国家における「生産と消費を行う人的資源の領域外放出」と言う観点から説明しましたが、感情の放出と言う視点から見た場合、国家におけるナショナリズムの高まりやから発生する周辺国への影響などと言った事象も、感情面におけるエネルギー放出から生じる可能性の発露と言えます。


では「縮小」とは何なのかと言うと、縮小とは文字通り「内包しているエネルギー量の低下からなる規模の縮小」を意味しています。

国家等の存在は、内包するエネルギーの原資になる存在が少なくなればなるほど、その存在がエネルギー密度が希薄なり、希薄した部分を埋めるに周囲のエネルギーが中心の最も必要とされるところに集中し、その存在が存在であろうとする根源を守ろうとします。

生物で言えば広がり過ぎ維持できなくなった勢力が管理できる範囲で縮小したり、体の一部を退化縮小する事で最適化する様な事で、当然国家においてもその事象は成立します。

更に「巻き込み」は、上記の縮小という事象が生じる過程で、その存在が縮小した時の生じる空白地帯に、周囲の存在(エネルギーや勢力)が流れ込む事象である。

無論、この流れ込んで来るエネルギーや勢力は、内部エネルギーを維持できずに噴出させるほどに膨張している存在がその対象となり、例えるなら古来から国家の興亡における「国が一つ自壊もしくは縮小したら、周囲の膨張する国が、自壊したり縮小したりして規模の小さくなった国の元支配地域に進出する」と言った生存圏拡大の構図が、ソレを指しています。これは別に国家だけでは無く、自然界の弱肉強食や自然淘汰で生じた、空白下若しくは希薄化した領域に侵入する新たなる個体の例もソレに準ずると考えられる。


これら各種エネルギーの「膨張と放出」「縮小と巻き込み」「激突と可能性」等の事象が、多くの国が古来から行い行われてきた生存戦略の根源に位置する事象で、これを認識できているかどうかで、その国の生存力が決まると考えられます。

どの存在が膨張するのか?
どの存在からどの様な力(エネルギー、感情、軍事力)がや放出するのか?
その放出された力がどの様な指向性を帯びるのか?
力の向かった先でどの様な事態が生じるのか?
反発なのか? 融合なのか? 混乱なのか?

どの存在が縮小するのか?
縮小した時に生じる空白or希薄にどの様な力が流れ込むのか?
流れ込んだ力で受け入れた存在がどの様な変化の可能性が表に出るのか?
可能性とは、反発なのか? 融合なのか? 混乱なのか?


何処の国を、どの様な存在を、膨張させるのか?縮小させるのか?
その膨張の為の原資となるエネルギーは何処から来るのか?
もしかしたら自分達の国が、そのエネルギーを注ぎ込んでいるのか?
そのエネルギーは、どの様に捻出しているのか?
もしかして国民を犠牲にして捻出しているのか?

この「エネルギーの捻出と注入による対象の膨張」と「エネルギー喪失による自己の縮小による、周辺の巻き込み」と言った行いが、正に戦略における"コントロール"と定義される概念で、このエネルギーのコントロールこそが「流動性の制御」なのです。


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以上が、大戦略で考える流動性の制御の概念的な考えに成ります。

より詳しい事は、次回に回します。

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nh01ai33 at 08:00戦略

2019年01月27日


今回は、「水の比喩で見る大戦略とは?」の題名でお送りする、国家戦略とはそもそも何なのか?と言う記事に成ります。

国家戦略という言葉は、あらゆる場所で若しくはメディアで聞きますが、"国家戦略"と言う文字列を使用している人は多々いれど、その本質を理解した上で使用している人が少ないように思えます。

本日は、その「国家戦略(戦略)」とはそもそも何なのかの考察となります。


では始めさせてもらいますが、そもそも国家戦略とは何のか?と言うと、国家が目的を達成する上での生存の道筋を意味すると考えています。

そして国家の目的とは何なのかと言うと「生存」の為、と言う結論が導き出せれますが、これは当ブログだけでは無く、歴史上の国家を運営する政治家や戦略家が述べている事です。

国家の最終目的は「戦争で勝つ事」でも無く、「繁栄する事」でも有りません。それは「国家を構成する国民と、その国家が保有する自然環境から生み出された民族性や文化性を、主権者たる国民が妥協できる範囲内で変化させ続け生き残り続ける事」に有ると考えられます。(ブログ主の主観です)


そして今回は、題名にもある様に、その生存のための戦略を、古来から存在している孫子兵法にも書かれている「水の比喩」を例に出し述べて行こうと思います。

関連リンク
1-水の比喩で見る大戦略とは?≫(←この記事)


★水の比喩
では"水の比喩"とは何なのでしょうか?

簡単に書くと

「兵(軍)とは水の様なモノである。水が流れる時、高い場所から低い場所に流れ……」

から始まる、"水の流れ"や"型に囚われず臨機応変に形を変える事"を述べた文で、現代でも様々な人が様々な解釈で様々な結論を出しています。


日本や欧米では、これを「軍隊とは、水の様に様々な形になれるようにしつつ、臨機応変に対処できるようにしろ」と解釈されております。

この様な解釈が成り立つのは、軍隊の運用や戦争の仕方にはパターンがあり、そのパターンが読まれたら相手に自軍の動きを読まれてしまい、その動きに対処されてしまうからです。

ですのでパターン(型)自体を持たない様にし、むしろ相手がどの様なパターンで戦いを仕掛けてきても、こちらは水の様にパターン(型)を見せずに柔軟に臨機応変に対処しろ。

これが日本や西欧に孫子が伝わった頃に解釈された、孫子"水の比喩"の解釈に成ります。


ですが近年この日本や欧米の孫子解釈に異議が唱えられ、本場の中国人(香港)学者が新しい解釈を提示してきました。("日欧米には"新しいですが、中国は古来から有る正しい解釈のようです)

この孫子の水の比喩の正しい解釈に関しては、「-真説-孫子(著:デレク・ユアン、訳:奥山真司)」に載っているので、より詳しい事が知りたければ、そちらの書籍を購入の上で確認してください。当ブログでは簡単な形でしか説明しません。(非常に勉強になります面白いのでぜひ買って読んでみてください)


この孫子の"水の比喩"の正しい解釈に関しては、「自軍が水の様になり柔軟に対処しろ」と言うモノでは無く、

その一面も有るには有るが、真の解釈は「兵(軍)とは、水の様に法則に沿って動くモノなので、その法則に沿って動かざるを得ない状況に追い込め」と言う意味らしいです。

つまり「軍と言う存在が、人によって構成された存在である事から、水の様に世界の物理法則には逆らえず、ある程度行動が読めるため、対象の敵軍の置かれた状況(環境を含む)を常に知る事によって、外部から何らかの刺激を与えたり障害を置く事によって、水(軍や兵)の動きをコントロールせよ」と言う事なのです。

人間は「走れ」と言う命令には従い実行できますが、「腕を羽ばたかせ飛行しろ」などと言う命令は物理法則に即しては居ないため実行自体が出来ません。この様にあらゆることには法則が適応されますので、その法則を知り、環境や自身が相手に行う外部からの刺激が、相手にどの様な影響を与え、特定の行動に至らしめるのか?が重要な事である。

と言うのが、孫子の兵法の述べている事だと言うのです。

同時に、この水の比喩には「自分達がどの様な状況に置かれているのか?物理法則を含む法則kの下でどの様に動かざる得ないのかを想定し、相手の想定を超えるサプライズを行う事によって、自分達の行おうとしている事を悟らせずに、優位に事を運べ」と言う意味も存在していると言われています。

これが兵が"水"の様に無形で有る事が望まれると言う意味らしいです。


この様な考えを「状況・帰結のアプローチ」言うのだそうです。

つまり「状況そのものに干渉する事によって、必然的にその様な行動や結果が導き出されるように仕向ける」と言う事で、

例えるなら、"今までの水の比喩の解釈"が「自身を水と見なし、どの様に自身を変化させ目的の位置に行くのか?」と言う事であるのなら、

この状況帰結のアプローチは、「相手を水と見なし、河川の際を整備したり障害物を置く事により、その流れを自身の望む方向に誘導させる」と言うモノで、同じ水の比喩でも思考の仕方が根本的に違う事と成ります。

この様な視点で見れば、

「兵は詭道なり」や「彼を知りて、己を知れば、百戦危うからず」の意味も分かり。


"兵は詭道なり"は、ただ相手を騙す。詐欺に掛けるでは無く、

相手は自分達の置かれた状況や今までの行動パターンを知った上で動くので、その相手の予測を裏切るようなサプライズが必要となる。

と言う意味で、


"彼を知りて、己を知れば、百戦危うからず"は、事前情報を集めて活用する事では無く、

相手の置かれた状況や自分の置かれた状況を正しく認識すると言う意味で、「相手が戦う前にどの様な状況に有るのかを知る」だけでは無く、その状態と環境下でどの様な心理状況に追い込まれているのか、どの様に動こうとしているのかをリアルタイムで認識し、更に相手が敵側(自分の事)をどの様に認識しているのかも知る事によって、相手がどの様に敵側(自分の事)の動きを予測して動くのかも考慮に入れる必要がある。(つまり刻々と変化する情勢で敵軍と自軍がどの様な状況なのかを知る事)

と言う意味だとの事です。


この様に"水に比喩が"が、そもそも「自軍が水の様に動き運用させる」と言う意味だけでは無く、「自軍と敵軍が水の様に法則に沿って動くので、ソレを考慮の上でコントロールしろ」と言う意味である事が分かると、「-真説-孫子」が出版される前と後では、孫子の解釈に変化が生じると言うのも頷けます。

なお当ブログで以前紹介した「陰陽論」は、この"水の比喩"から発生し、後世の孫子編纂者達が確立させたとの事です。

双方共に「-真説-孫子」に掲載しております。



★国家に目的はほとんど無い
地上波メディア等において、どこかしらの国が行う外交行動や軍事戦略に対して国家戦略と言う言葉を適応させていますが、ブログ主の価値観では国家において何らかのピンポイント的な目的は存在しないので、それらの一つ一つの国家の行動に何か特別な目的を設定し、戦略扱いをするのは違うと思います。

基本的に国家の行う戦略とは、結果的に生存に繋がる事を目的とした行動を指し、それは目の前にある何らかの結果を取得する為に行っている訳では有りません。

国家戦略における目的は、「ピンポイントで目的のモノを取りに行く様な事」では無く、「幅広く手を広げ、"その手の中に生存と言う目的を達成するに必要なモノ"が転がり落ちてくれば良い」程度の事なのです。(上記で述べた"水の比喩"と同じです)

まず国家戦略を考えるに、生存を目的とした行動であると言う点を大前提にし、それ以外を目的とした事を行ったとしても、それ自体を目的とした行動では無いと言う事を前提に、物事を見るべきだと考えられます。


★国家の生存戦略とは何なのか?
では生存権を確保するに必要な技術的な行為は、どの様な事が求められるのでしょうか?

端的に言ってしまえば、国家戦略や国家運営の技術とは「可能性の現出」と「価値、技術(機能)の組み合わせ」と「流動性の制御」のこれら三要素の制御であると言えます。

これはブログ主が孫子兵法の"水の比喩"を前提にした考えで、軍隊(兵)と言うモノが法則にしたがうのであれば、それ以外の「国家」とて世界の法(自然環境や物理法則)に従った動きしかできないと言う大前提から発生した考えす。

この「人の流れ、自然の流れ、世界の流れ、物理法則のエネルギーの流れ」などの流れに対して如何にして介入し、そこから生じる可能性を浮き上がらせるかによって、大きな流れを制する事が出来るか。その介入の手法として、価値や機能の組み合わせによる多様なる手法の確立を行う。

これこそが正に国家の行う生存戦略であると断言できるのでは無いでしょうか?

これは以前当ブログ記事で述べた「企業の使命」にも重なる事です。

ブログ主は、これらの思考はこの世界のあらゆる事象を考える上で必要な考え方だと思っています。正直なところ、これが分からなければ国家戦略等の事は理解できないと思います。

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次回は国家戦略における「可能性の現出」と「価値、技術(機能)の組み合わせ」と「流動性の制御」の三要素に関して、細かく説明しようと思います。

本日はココまで!

関連リンク
逆説的論理(パラドキシカルロジック)


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nh01ai33 at 08:00戦略

2019年01月24日

本日は、「特定アジアと日本の関係がなぜ破綻したのか?」に関しての記事で、特に国家における政府と民間の価値観の違いに関しての考察となります。

この題名だけを見た場合、何を言いたいのかが分からないと思いますので、詳しく説明しますと、

「国家間における対立が生じた時、政府と民間はいかにして付き合い行動をすればよいのか?」

と言う事に関してです。


現在、"日本"と「韓国を含む特定アジア」との間での歴史認識から端を発した、政府及び一部民間での対立において、よく「政府間の対立を民間に持ち込むな!」とか「ツートラック政策(政治と経済を別々に考える)」とか言っていました。(最近はそれも無くなり始めて来ましたが・・・)

ですがその様な交流を続けてきた今日、事態は改善するどころか悪化するばかりで、民でも官でも各国は対立する事例が多くなってきている。

何故この様な事が起こってしまったのだろうか?


この政府や国民の対立に対し、一部のメディアでは、対立や断行を望む人たちの声に耳を傾けず、「安易に断行などできるモノでは無い。両国の政府は互いに冷静になって話し合うべきだ」等と発信し、対立や断行を望む人たちの声など無視する政策を行う様な外交を行うよう政府に要求しています。(対立の原因の情報を散布したのが自分達であると言う事を棚に上げてである)

ブログ主は、この安易に、そして無理やりにでも両国の友好を望むように仕向ける現状こそが、日本と周辺諸国(特に特定アジア)の関係を悪化させた最大の原因では無いかと考えています。

それは即ち、「国家政府」と「民間」の違いと

「対立派」と「友好派」の違いです。

これらのバランスを無視した、どちらか一方の意見を優先した偏った政策や外交の結果が、状況の対立の更なる悪化が誘発された原因です。

特に友好派の意見を一方体に採用した政策の適応は最悪で、対立派の意見を採用した場合は、最終的にはそれ程酷い事には成りません。

これは、「政府や民間」と「対立派や友好派」の違いを一切考えなことに原因があると考えられます。

では、これらの違いによって起きる破綻とは何なのだろうか?


★国家政府と民間の違い
では国家政府と民間の違いとは何なのだろうか?

まず大前提として心に留めて置かなければ成らないことが、「国家政府」とは「生物である人間と言う生き物が発明した共同体的存在」と言う点です。

人は生物であるがゆえに資源を程度確保しなけれは生きて行けないため、一定領域(生存圏)を確保する必要があります。

そして政府は、人間が構成して作り上げた国家が組織としての行動を思考し決定するに必要な頭脳であるため、その行動は生物としての生存行動が表に出た行動を取る事になります。

そのため国家政府の行動原意は"生存政策"となります。


ではもう一つの民間とは何なのか?

「民間」とは、自身が正義(正しき行い)と思った事をやりたがる存在です。

これは民間が

「人類が社会と言うコミュニティを築いて生活しているため、人を騙したり犯罪行為を行うなどして、コミュニティの生産体制に打撃を与えるなどした場合は、その様な犯罪行為を行った者がコミュニティから弾き出され生活していけなくなる恐れから、自身が正しき行いをする事によって自信の生存権を守る社会的生物の生存本能を具現化した存在である」

と言う点から発生した感情を軸にした生き方を行うため、犯罪行為を行っても「自身が人道的に問題のある行いを行っていない筈である」と言う思い込みを行いたがる、無謬性にも似た感性を持つ心弱き生物であると言う点が「民間」を考える上で重要な点である。

つまり、「私の行っている事が悪い事である筈が無い」と言う思い込みを刷る存在であると言う事である。


ここで重要なのは、国家政府が行う行動原理の基本が「生存権の確保」で、民間の行う事の基本原理が「悪い事をしない、正しい行いをする事」という違いがある。

民間の「正しいき事を行う」と言う行動が、コミュニティにおける生存権の確保と言う点から発生している事から、双方共に生存権の確保が行動原理の根底にある様に思えるが、これは決して同じ事では無い。

何故ならば「民間」は基本的に「国家政府」の庇護下の下で法律が制定された域内で生きているが、逆に「国家政府」が生きている国際社会と言う世界においては、近代に入るまで国家の上に存在する様な、絶対的な組織などは存在していないため、基本的に自国の生存権確保するには、自力救済の行動で対応するしかないからである。

そのため「国家政府」は、必ずしも「正しき行いを実行する存在では無い」点が、「民間」とは違うところである。

一応、国家の上に立つ存在として「国際連合」が在るでは無いか?と思う人も居るかもしれないが、アレは「国家同士が話し合う場」でしかなく、何かを解決するには、その「場」で交渉する力が要求されるため、あらかじめ定められた法律に従って、悪行を行った国を裁くような力は有していないので注意が必要である。(常任理事国は裁けないでしょう!?)

ましてや近代に入るまで、この様な「場」が儲けられる事さえも無かったのだから、各国共「自国を構成する民の価値観に沿った正しい行い」を好き勝手な事を行い、周辺国と軋轢を抱えていると言うのが世界の一般的状況なのである。

無論、国家であろうとも古来より多くの国々と交わり、国際社会の中で生きているのだから、余りにも非道な行いをすれば、付き合い自体が拒否されると言う事もあり得るので、各国共に必要最低限度の礼節は弁えた上で付き合うのが国家と言うモノである。この必要最低限度の礼節、即ち「法(ルール)」が慣習国際法と言われる概念なのです。

ただしその慣習国際法の観念も近代になってようやく整備され始めたので、それ以前の定義される前に行われていた犯罪行為に関しては無かった事に出来ないため、慣習国際法が整備される以前の犯罪行為を行って居た場合、国家的な犯罪を行っていた国がどの様に自国内及び国際社会で折り合いをつけるかが重要な点となります。

つまり近年確立された慣習国際法の概念により国家間での付き合いの善悪が確定され始めたが、遡って正しき行いに反した行動を取ってきた国と国民から見た場合、人(民間)の心の弱さである「自身が正しいと認識した感情」と国家(民族)の過去の行為との間で軋轢が生じる可能性が出てくるのである。

これこそが「国家政府の行動原理と民間の行動原理」の違いから発生するしてしまう対立構造で、この対立構造が作られれば、国内だけではなく国外にまでその火種を撒き散らかす事になる。

この軋轢を解決するには、事実を捻じ曲げる事により近隣諸国じ責任を押し付け自己を安定させるか、国家間の合意で何とかするしかないのである。

解決できないのであれば、他国に押し付けるのであれば、周辺諸国に火種を撒き散らかす事になる。


★対立派と友好派の違い
では国家間における対立が生じた時、必ず関係を改善若しくは悪化させない事を目的とした態度を取る友好派と、悪化しても構わないので距離を置こうと言う対立派が現れますが、これに関してはどの様な因果関係が生じているのでしょうか?

対立派とは、その関係の悪化しつつある国と関係を維持し続ける事に利益を見いだせず、むしろ不利益を被ると考えている人達で、「利益や生存権を侵されると考えている者」と定義できます。

逆に友好派とは、関係が悪化しない方が良いと思ったり、関係が悪化しない方が自己の利益を確保できると考えている人達で、「利益や生存権を侵され無いと考えている者」かもしくは「他人の利益が侵されても気にしない者」と定義できます。ほかにも対立しつつある国と関係を強化する事で「自己の利益を確保できる者」との定義もできます。

基本的に双方共に主義主張の前提には「生存権」が有ります。


★「国家の対立を民間の場に持ち込むな」の愚
「政治問題を民間に持ち込むな」とか「歴史の問題を政治の場に持ち込むな」とか言うのは、日本の左翼主義者と目される人達が特定アジアと日本の関係が極度に悪化する政府間対立が起こったり、歴史問題で関係が悪化し始めると必ずと言っていい程、言い始める名文句です。

ですがこの発想は本当に正しい考え方なのでしょうか?

例えば先に述べた様に、政治問題とは国家の生存リソースの奪い合いになる事も有ります。

歴史問題ではどこの国でも脛に傷を持っている上に、不完全な情報を鵜呑みにして他国を批判すれば、その情報が間違いだった場合、批判した側が後ろ指を指される事にも成り兼ねません。

ましてや「自国が信義を守る国である」と言う情報を発信しなければ生き難くなる国際社会では、国家に着せられた汚名と言うモノは、生存権の確立に影を落としかねない重要事項です。

相手国を間違って批判した方も「間違いでしたで(笑い)」で済まされる事では有りませんし、一度でも冤罪を着せれば後には引けません。(相手の生存権を脅かす行いになります)

この様な生存権の争いから発生する物事があるにも拘らず、国政、外交、歴史、民間交流を、全く別のモノとして認識し対応しなければ成らないと言う前提を押し付ければ、本来は連動し影響し合うこれ等の事柄を利用する形で、国家の生存権を脅かされる状況に追い込まれてしまうのです。

この一見関係なさそうな事が裏で繋がり影響し合っている現状が、国際社会で日本人が生き難くなっている原因でも有ります。

全ての事柄が連動する形で影響し合い、時には影響を考慮に居れば利用がされているのですから、個別の事にして考える事自体が不可能なのです。


★国内少数レベルの事を外交の場に持ち込まない様にする
上記の事から、一部の民間で行われている国家を跨ぐ民間交流を国家の外交レベルに持ってきた場合、国家の行う生存権確保のリソース管理が行えない状況に成るため、これは行って良い事では有りません。

あくまでも他国の国内で起こっている事は当事国の国内政治で解決すべきで、また国レベルの対立を大多数の国民が支持しているのならば、より少数の民間レベルで解決しようとしても大多数の支持を得られずに破綻し、より悲劇的な結末を迎える可能性が有ります。

それどころかより少数の意見の方を優先し、無理に隣国との関係を維持しようとしても、大多数の人が仲良くしたくないと言う思いで対応すれば、結局のところ大多数の不満がより多く蓄積し、破局を先延ばしにするとと物より激しい崩壊をもたらす事になるでしょう。


★報復の連鎖は正しい行い
「国家間での報復の連鎖は何も生まない」と言う人も居ますが、むしろ逆で互いに報復を行い合い続け疲れ果てさせる事が出来れば、報復合戦と言う行為自体が生存する為に無益な行為と認識でき、その時にこそ互いに本気になって争いの原因を突き詰めて、解決する事が可能となるのだと思われます。

逆に報復せずにどちらかが一方的に、もう一方の要求を押し付けられ、押し付けられた国の国民の内に不満が鬱屈した形で貯め込まれると、限界を超えた時に、より悲惨な争いに発展する可能性が有るため、おすすめは出来ません。

まさに今までの特定アジアに対する日本の態度が後者の態度で、これは現在の対立を覆い隠す代わりに、将来の国家間対立を深める要因として作用する恐れがります。

また「対立は相手から距離を取る行い」でもあるため、国家間で距離を取れば、民間でもそれ以上の対立が起きにくい状況となり、民間人個人レベルでの関係破綻もある程度は抑制させ、将来的な国家間の修好にも役立てる事が出来る。

もし国家間で対立が生じたのであれば、コントロールできる範囲内で関係を悪化させ、距離を取る事によって中長期間頭を冷やす時間を設けた方が良い。

嫌がっている人達までをも巻き込み、無理やり仲良くさせると言う行為は、関係の破綻しか導き出せないため行うべきでは有りません。

この様に考えると日本のメディアや言論人の行って来た「対立より対話を」とか「民間交流で改善」とかの世論操作行為は、「下手をするとコントロールできないまでに国家と民間レベルでの対立を育んでしまう恐れのある行為」と言えるのでは無いでしょうか?

-------------

以上が特定アジアと日本の関係がなぜ破綻したのかの一考察となります。

ここに書いている事は、あくまでもブログ主個人の主観で書いた事ですので、人によっては受け付けない人も居るとは思います。それらの価値の違いを理解した上で閲覧してください。



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nh01ai33 at 08:00国際社会

2019年01月21日

本日は、日韓関係の問題で、特に日本に居る"一部の在日韓国朝鮮人"の方がなぜ日本国内で、あれ程反日的な行動を取ってしまったのかの一考察となります。

在日朝鮮韓国人と言いましても、基本的に在日韓国人に関しての考察となりますので、在日朝鮮人の方に関しては、おまけのような扱いに成ります。


在日朝鮮韓国人と言えば日本人は、一括りにして捉えがちですが、日本に渡来した時期によって、その民族性や内心は千差万別であるとブログ主は考えています。

特に日本のネット界隈で問題に成っているのが、戦後に日本に定住した在日韓国朝鮮人の人達の問題で、当初は既存メディアで「日本に強制連行で連れてこられ働かされた。日本は賠償しろ!」と言う名分が幅を利かせていましたが、時が経つにつれ自身で来日したり、半島情勢の不安定化による煽りを受け日本に逃げ込んでいた事が発覚しました。これらの日本に冤罪を着せ日本を批判する内容の抗議が、「韓国内の歴史認識問題」や「日本の戦後教育」と合わさる事によって、そして近年のネットの普及により過去の資料が白日の下にさらされる事によって、日本国内での嫌韓感情や反在日韓国朝鮮人感情に火を着ける要因としても働きました。

一部の在日韓国朝鮮人の人達は何故この様な行いをしたのでしょうか?

ブログ主としては、在日韓国朝鮮人の歴史認識問題だけが根底にあるわけでは無いと考えています。


★在日韓国朝鮮人が日本に来た時期
まず在日韓国朝鮮人と一言で言っても、日本に入国し住み着いた時期によって、置かれた立場が少しづつ違います。

・戦前
まず戦前から朝鮮半島からの渡航者は存在しているのですが、戦後にある程度の人数が朝鮮半島に帰っています。これは戦前日本の方が労働賃金が高かったため、高賃金を求めて日本に働きに来ていた人が多く、戦後に荒廃した日本より戦争被害の少なかった朝鮮の方が住みやすかったため、日本人になる覚悟の無い朝鮮人が故郷に帰ったと言う事では無いでしょうか?(約二百万人の内、三割の半島出身者が残ったと言われています)

この時、日本国政府が戦時に密入国した人達の引き取りを韓国政府に要請したものの、韓国側が在日の人達の引き取りを拒否すると言う棄民政策を行ったため、一部の在日朝鮮半島人が日本に取り残される事になったと言われています。この事件以前には、朝鮮半島の人と日本人との間でわだかまりは有ったようですが、これ以降から在日韓国朝鮮人の人達が絡む事件が多発し本格的に在日韓国朝鮮人問題として成立したと考えられます。

当時、日本を統治していたGHQは日本に残った在日韓国・朝鮮・中国人に対しての批判を権力を使用し封じたため、以降の人達にこれら在日の問題が伝わらなくなり、正しい対処が行う機会を放棄してしまったのが、今日にまで在日問題が続いた原因と考えられます。(一定以上の高齢者の人達に、嫌朝鮮感情を持った人たちが多いのはそれが原因だと思えます。ブログ主の実体験です)

・戦後直後
戦後に朝鮮半島から来た在日は、基本的に韓国側から来た人たちで、最も有名なのが「済州島四・三事件」によって韓国軍からの虐殺から逃れた済州島の人達や「朝鮮戦争」で戦火を逃れてきた人が戦後直後の在日韓国人問題の原因と成った人たちである。

基本的に両事件で逃れてきた人は、密航と言う手段で不法入国したため、日本国政府は正式な手続きを行い入国した人では無い"違法渡航者"と言う認識を前提とした対応と取った。現在、特別永住者と言う区別で日本で暮らしている在日韓国人は、この頃に日本に逃れて来た朝鮮半島出身者と言っても過言では無いと言えます。

なお日韓基本条約終結前に在日韓国朝鮮人の帰還事業が行われ、この時韓国側は棄民政策を再び行い、引き取り手のいない在日の人を北朝鮮に引き取らせる政策を行った。この時日本側は、北朝鮮を地上の楽園などと謳い不法入国した在日韓国朝鮮人を北朝鮮に送り付けている。

・国交回復以降
1965年頃に日韓基本条約が締結され、日本と韓国が双方共に国家として認め合う様になった後からの韓国からの渡航者は、基本的に普通の渡航者と同じ扱いを受けている。

1980年代から韓国では留学の自由化が行われ、それ以降海外に渡航する人たちが増加した。日本側もこれ以降に来日した人はニューカマーと呼ばれるようになったと言われている


★朝鮮総連と民団
在日韓国朝鮮人の人達の事を語るに、日本にある二つの組織を取り上げない訳には行きません。

北朝鮮の息の掛かっている組織と言われている「在日本朝鮮人総聯合会」で、いわゆる"朝鮮総連"と言われる組織と

逆に韓国の影響下にあるのが「在日本大韓民国民団」で、こちらは"民団"と言われている組織です。

韓国と北朝鮮は双方互いに潜在的な敵国であり、日本に対しても潜在的な敵国となります。この事から朝鮮と韓国が朝鮮半島において有利な立ち位置を得るために、半島外部から干渉できる日本に対し影響力を確保し自国が有利に動けるような考察を行う必要があり、朝鮮総連と民団がその出先機関としての機能があるのでは無いかと言われています。


★どの点が在日の人を反日に駆り立てる要因として機能しているのか?
以上の在日の人が日本に渡航した時期、朝鮮半島の地政学情勢、日本国内の組織関係と特定アジアにおける歴史認識問題が、どの様に影響し合い在日韓国朝鮮人を反日に追いやっているのでしょうか?

まず第一の反日理由が歴史認識により、本気で日本が邪悪な国であると思い込んでいる可能性で、これはGHQの統治時代から始まった「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に原因があると言われている。これは日本人が第二次世界大戦から、それ以前に行っていた多くの事を悪行として上書きし教え込む事によって、二度と欧米に逆らわない様にするための洗脳教育と言われているが、実際その様な支持が飛ばされ、日本の自虐教育が行われていたのかは、真偽は定かでは無い。

真偽は不明だが実際自虐史観教育が行われた事は確かで、これが日本国内から在日韓国朝鮮人や周辺各国に伝わり、多くの人達がソレを信じ込み日本は邪悪な句なのだから批判されても仕方が無いと信じる意識が芽生え、それが最終的に反日意識に繋がったと考える事が出来る。


第二の理由が、朝鮮半島の地政学情勢が日本にまで影響を及ぼしている可能性で、韓国と北朝鮮が半島内で内戦状態であるため、経済的と国内意識統一的な問題から反日を行っている可能性である。

北朝鮮は「日本からお金を毟り取るための歴史認識を利用した情報戦略としての反日」で、

韓国は同じく「日本からお金を巻き上げるための戦略」又は「自国民の意識団結の為の敵作りとしての一環としての反日」の双方が考えられる。

また、この地政学的な敵対関係と経済問題から、日本国民の意識が韓国と朝鮮の双方の何方に向かうかが、半島両国にとって重要となるため、反日は日本国民をコントロールし朝鮮半島内での勢力争いをいかに有利に進めるための出汁として利用している可能性も有る。


第三の理由が、朝鮮半島から日本に流れてきた時期と理由で、「朝鮮戦争」や「済州島四・三事件」で日本に逃げて来た人達は、命からがらで日本に来ている事から、日本において生存権を確保するために、戦前戦中に強制連行された事にし、日本にその責任を取らせる意味で、日本の自虐史観を利用した事が、そのまま反日に繋がった可能性も有る。


第四の可能性としては、上記の特に「済州島四・三事件」で逃げて来た人達は、韓国政府に憎しみを抱いている可能性が有るため、韓国に報復する為に、意図的に捏造した情報を捏造と分かる形で日本を貶め、これにより日本国内における在日韓国人と韓国人の評判を貶める事で日韓関係を破綻させようとしている可能性も有る。


とこの様に約四つの可能性を考慮する事が可能である。


なお第三と第四の可能性の発展させ、日本国政府が朝鮮半島の二国に対するバランシング戦略を行うため、日本の政府とつながった国内勢力が、反日活動を行う在日韓国朝鮮人を援助して行わせている可能性も有る。

その場合日本国内での在日韓国人の反日具合は、日本国政府の計画の上で行われていると考える事も出来る。

特に、「済州島四・三事件」の様な自国政府から直接的に命を狙われる様な危機的場状況に追いやられ故地に帰れなくなった場合、故国の政府に対して憎しみを抱く可能性が有りますが、日本ではその様な事を何も語られていません。

そして彼ら日本に逃れて来た在日韓国人亡命者が日本で生きて行くためには、日本の国益になる様な行動を取らなければ、生きて行く事が難しくなると言う事を前提に考えれば、反日活動を行う行動自体が、何らかの日本の国益に繋がる可能性も考慮しなくては成りません。


----------------

以上が反日活動を行う在日韓国朝鮮人に関する理由の一考察となります。

日本国内では、一部の在日韓国朝鮮人が反日活動を行う理由が、なかなか考察されませんので、今回記事にさせていただきました。

当ブログで書かれている事は、あくまでもブログ主の個人的な樹幹の下で考えた事であり、実際にはそうでない可能性も有りますので、その点を注意の上で閲覧してください。

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