2021年04月09日

民主主義の誤解

今回は、「民主義の誤解」と言うお題で、民衆に誤解されている「民主主義制度の本質」をブログ主視点で考察させてもらいます。

何故この様なお題の考察を述べさせてもらおうと思ったのかと言うと、日本の国民もそうですが、「"民主主義が最もマシな政治参加制度だ"と思っている人達は、民主主義を信じるあまり、他の封建制や独裁制で政治を行う君主や政治家を余りにも低く見てしまっているのでは無いか?」と言う疑いを持ったからにほか有りません。

勘違いしないでいただきたいのは、上記のような疑いを有しているからと言っても、ブログ主自身も民主主義国家である日本で生まれ育っていますので、民主主義が最もマシな政治体制だと思っています。ですが他の独裁的な政治体制が民主主義に比べて劣った体制であるとも思ってはいません。

これは「地政学視点で見た国際情勢」や、何よりも当ブログで述べている「政治家は本当の事など言わない!?」と言う視点で見た場合、そもそも民衆が信じる政治家や君主の愚政と言うモノが、本当に「自己利益を求めた上での政策なのか?」「失政による損害を国民に押し付けているだけなのか!?」と言う疑いも持てるからです。


★民主主義の誤解
さて、まず民衆が独裁・封建主義や民主主義に対して誤解を抱いている事の考察に関してです。

まず多くの人達が抱くこれ等の主義制度に対して

「一部の人に権限を集中させ衆人の意見を顧みない"独裁・封建主義制度"は、その功績と責任は一部の特権者に帰せられる」

対して

「衆人の投票によって選ばれた"民主主義制度"は、国民一人ひとりが衆知を結集させ自分達の行く末を決め、その結果に責任を持つ」

と言うイメージを有している事でしょう。


ソレ自体は確かに正しいのですが、あくまでも一面に過ぎない事を理解してほしいのです。

この考え方の本質は、「納得」と「覚悟」がその基軸にあり、あくまでの政治の結果に対して責任を持てるか否かの心情的な事に過ぎないのです。


★国民が知らない政治外交
では、最初に述べた「地政学視点で見た国際情勢」や「政治家は本当の事など言わない!?」と言うフィルターを通した場合、民主主義制度の幻想はどの様に変化するのでしょうか?

結論を言えば、変化しません。

と言うよりも、むしろ独裁・封建主義及び制度の見方や政治結果の受け取りが少しばかり変化するかもしれません。

ただし、この「見方」や「受け取り方」の変化と言うモノは、「政治に置ける結果や善悪」の問題があるからでは無く、「政治・統治にかかわる人々の政治の実行過程と苦労」の問題が、その本質に有るためだと思っています。

では「政治・統治にかかわる人々の政治の実行過程と苦労」とは、いったい何なのでしょうか?


まず皆さまに考えて頂きたい事は、貴方が政治家だとして、自国と隣国と緊張状態に有ったとします。

その状況で自国の安全保障を確立する為に、どの様な事を行わなければ成らないと思いますか?


まさかとは思いますが「戦争を吹っ掛けて潜在的な敵国である隣国を潰す」等と思ったりはしませんよね?

「奇襲を仕掛けて一気呵成に始末し、国際社会から批判も受けず、今後千年間の安定が約束されている」と言うのであれば、ブログ主も文句を言う気は有りませんが、いきなりその様な事をすれば、大混乱必死と国際社会からの批判は避けられないと思います。

はい、実際問題としてその様な苛烈な事を行うには、国際情勢や準備が万全でなければ不可能ですし、相手国もその様な環境が構築されつつあると分かれば、その様な環境が構築されないように必死の努力を行う事でしょう。

当然、双方の国が「対立する国に対して優位になる政策」を表立って行おうとすれば対立の激化は必至です。

更にその状況を見ている国民に至っては、あからさまに自国と対立する姿勢を崩さない潜在的な敵国に対して良いイメージは持たないでしょう。そうなれば統治者側も国民に反発されないように潜在的な敵国に厳しい対処を行わざるを得なくなります。

その様な事態を避けるために、国際社会においては、安直に相手国を批判する様な政治外交は余り行われないのです。

では、だからと言って潜在的な敵国に対して何の対処も行わないのかと言うと、決してそうでは有りません。


では、どの様な対応を行うのかと言うと、迂遠で間接的な形で潜在的な敵国に対して影響を与える様な政策を行ったり、メッセージを発したりして、「誘導」や「気付かせ」を意図した政策と情報散布を行うのです。


例えば、以前取り上げた事が有りますが、大陸から離れた島国である日米英などの国は、基本的に自国のリソースを大陸に存在している国境を有する国々に注入する事で、国家間のパワーバランスを操作したり、紛争を起こさせ疲弊させたりします。また、自国の国力疲弊を避けるために、それらの国々が戦争し始めた場合は、その争いに巻き込まれないようにする必要も有ります。

その観点からも国内の政変で偶然権力者が変わったフリをして、「貴国への投資は見合わせます」とか「外交方針が変化したから紛争には関わらない」とか言う政界全体の行動も行うに必要も出てきます。

逆を言えば、「突発的に政策を変更する口実も必要である」とも言えるため、その為に"政変"や"政変の為の政争"も必要であると言えるのです。

当然そうなれば「偶然に政権交代が生じてしまったような政治家のスキャンダル等も"批判する人"と"される政治家"が双方が了承の下で争っているフリ」も必要なのです。(と言うよりも下手をすれば、どちらが罪人に成るか否かさえも、争っている双方が相談して決めている可能性も考慮に入れなければいけません)

もし「私が政権を担った暁には、隣国のC国と戦うからR国と同盟を結びます。是非、わたくしに一票をお願い致します」等と政権公約で述べようものなら、その政治家が政権を担おうものなら「日本はわが国と敵対しようとしているのか?」とC国に思われ、最悪C国との関係は破綻してしまいますし、紛争に巻き込まれたくないR国も「C国との紛争に我が国を巻き込む気か?」と思われ、R国からも距離を置かれ兼ねません。

この様に政治家が諸国に影響を与えかねない外交政策を行う時、それが直接的に諸国に影響を与える政策は憚られるのです。

その様に潜在的な敵国に認識され本格的に敵対され安全保障を脅かされないように、それ以外の周辺諸国の様子も考慮の上で、スキャンダルやどうでも良い事で、徐々に政治家を変えて行く事で外交方針をも変化させてゆくのです。


この様に考えれば政治家であれば、内部抗争で争っているフリを行いながら、その愚行さえも国益として昇華させなければならならない事が分かります。

これらの考え方を基に先の米大統領であるトランプ大統領を見た場合、あれほど明確に中国と敵対する方針を明確にした外交は、日米英のバランシングを戦略の前提に置いた国家では珍しかったと言う事です。日本の様に小軍事力の国家では真似できないやり方です。

トランプ大統領は、覇権を競う中国に対して、産業構造的にも軍事的にも直接締め上げに走ったので、その点では、「国際秩序の維持と紛争リスクを考慮の上でのバランシング」の観点から見ると、非常にまれな政治家であったと評価できるのです。(結局、彼は政治家と言うよりは、交渉人であったとも思えます)


関連リンク
2-地政学で考える政党勢力

謀略視点で見る世代と国内勢力の役割シリーズ
-1-国内勢力の役割


★民主主義から独裁へ。独裁から封建制へ、封建制から民主主義へ
さて政治に置ける権力の分散と言うモノは、時代を経るごとに変化してきました。

古代の都市国家や弱小コミュニティでは民主的な共和制が行われ、領土が拡大し話し合っていては統治できない程に国が拡大すれば独裁政権が行われ、一人だけではどうしようもない状態に成れば封建制で権力の分散が行われ、そこから再び民主的な共和制に移行しました。

もし独裁者が少数の人々だけで、上記で述べた様な計算ずくの意図的な政治的混乱を演出しても、民衆にその様な事を言う訳には行きませんので、意図を理解しない民衆は、独裁者の裏の意図に沿った上での自己の安全保障を確立できる行動を取る事ができず、国内の混乱を招き損害を受けてしまう事が有るかも知れません。そうなれば独裁権力者に対して怒りや憎しみの感情を抱き、最悪反乱に結びつく行動を行う恐れもあり、独裁者の想定を超えた安全保障リスクが現出するかもしれません。

独裁者が一人で全てを制御できない状況に成れば、より周囲のモノの力を借りて国家の運営を行わざるを得ません。そういった周囲の者で、独裁者の権限を分与された者達が貴族であり、結果独裁者は貴族に依存する羽目に成り、最終的に「独裁者に自分達を依存させた貴族」は、逆に独裁者の命運を支配し特権を貪る事になるのです。

その貴族たちも自分達で出来る事には限りがあるため、戦いを武士や騎士に任せている居るうちに、自分達の安全保障を武士に依存せざるを得なくなり、最終的に領土経営さえも任せる事で、実質的に自分達の生命を維持する能力さえも武士に譲ってしまい、封建制に移行してしまうのです。

更に時代が近代になり武士だけでは、国家の安全保障を守り切れない程に、国家や生産システムが複雑化してしまっては、民衆の能力もなければ国家運営を行えなくなってしまい、民衆の中でも能力の長けた者たちに権力移譲をせざる得なくなり、その国家の生産能力を維持する為に全国民に戦ってもらわなければ権力者の安全保障さえも満たせなくなった時に、ついに民衆に全ての国家運営の権限を与えざるを得なくなった。

と言うのが、権力分散化の歴史的流れと言えるのです。


しかし、ここで目を逸らしてはならない事が有ります。

政治外交に置ける基本である「他国に対して敵対したり不利益になる様な政策は直接的には行い難いため、権力者はスキャンダルや内輪もめを行っているフリをして、権力移譲を行い国家の対外政策を変化させたり、国内政治を変化(時には混乱)させ事で間接的に経済や産業分野から他国の経済や内政に影響を与える」と言った事を平然と行うと言う点です。

この「自分の名誉や命さえも"いざ"と言う時は、国家の為に捧げると言う行為を行わなければ成らない」と言う、封建制・帝政・独裁に置いても、政治指導者が行っていたと思われる「計画的に自己を貶める行為」さえも民主主義になった折に、民衆自信が責任を負って行わなければ成らなくなったことを認識しなければ成らないのです。


★政治や権利に置ける平等

且つて、時の権力者が行っていた「海外に影響を与える事を目的とした内輪揉め」も、政治の責任を有するに至った民衆が行わなければ成らなくなりました。

政治における「発言権」や「影響力の行使権」を得ると言う事は、政治に影響を与える事で得れる利益確保が容易になった事と共に、同時にプロレス政治劇場を行った上での「汚名を被る名誉下落のリスクさえも民衆が被らなければ成らなくなった」と言う事も意味するのです。

その覚悟無くして、民主主義を語るべきでは無いとブログ主は考えています。

その視点で日本を見れば、全世界にマネーを注入するし諸外国をコントロールする為に、必死で金を稼ぎ自分達は浪費せず、他国にお金をばら撒き、経済や技術を日本に依存させる。

歴史分野で諸外国に自国の正義を信じさせ日本の都合のよう様にコントロールする為に、敢えて汚名を被り諸外国の民衆に自分達の正義の絶対性を信じる感情を植え付け、その民衆にその国の政治家を突き上げさせ、該当国の政治家の政治方針を制限する。

等と言った事を国民全体の命・名誉・富を浪費し負担を被る事で実現するのです。

これが民主主義国家の目をそむけては成らに現実なのでは無いでしょうか?

この様に考えれば、現在政治家が行っているアホな行動や売国的な政治活動に関しても「且つて王侯貴族や武士等の国家の実力者が行って来た事を、ついには自分達民衆も行える様になった。日本も成長したな~~♪」と思える日が、いつの日にか来るのでは無いでしょうか?

・・・それから日本の国民や諸外国の政治家や民衆の皆様に対して一言述べたい。あなた達は日本の政治家に「餌を与えれば都合よく動いてくれる動物」だと思われている可能性も有るので、日本に対する対応は吟味した方が良いぞ!

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以上を持って「民主主義の誤解」の考察を終了させて頂きます。

なお当ブログで述べている事は、あくまでもブログ主個人の見解に過ぎません。間違い等が有る事を前提の上で閲覧してください。

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