エネルギー

2019年10月07日

今回は、東日本大震災における「東電の原発事故における旧経営陣の無罪判決」に関しての考察となります。

先の9月中旬ごろに、3.11の大震災で起こった原子力発電所の災害において「異常事態が起こった時に必要な緊急電源が正常に作動せず、メルトダウンに至った事」に関しての当時の東京電力の責任者に対する判決が決まりました。


 結果は無罪判決


裁判官は大震災における津波の予見は不可能で、当時の東京電力の旧経営陣の人達には責任は無いと結論で、無罪判決が下されました。

この裁判は「他の地域で前例として存在した高さ10メートル以上の津波が、福島第一原発に来る可能性が有ったのか?」と言う事と

「事故を起こした福島第一原子力発電所が、海抜から高さ10メートル以上の津波が襲い掛かる事を前提として対策を行わずメルトダウンを起こした」と言う事の二つを前提に

この「他の地域で生じていた前例を元に福島で生じた津波による電源消失は防ぐことが出来たのか?」と言う点で争われていました。


今回の裁判において裁判官は

 「予見は不可能である」

との結論を導き出し旧経営陣の無罪判決としました。



★予見と予測
今回の裁判結果について多くの人達が不満を述べているようです。

これは当然で、福島第一原発の事故で多くの人達が損害を被り不利益を押し付けられたにもかからわず、東電の社員はその負債を国民に押し付けて高給取りに甘んじているのですからです。

ブログ主自身も今回の判決には若干の不満が有ります。

ソレは無罪判決の理由が「予見が不可能である」と言う論法で導き出されているからです。

ブログ主自身それほど詳しい分けでありませんが、実はかつて原発関係の活動を行っている人達が、「"福島沖で東日本大震災級の地震や津波が生じた時のリスクの想定を提示して、ソレに対しての対応は如何なっているのか"と問い合わせた」と言う記憶がうろ覚えながら存在しています。

一応このような問い合わせが有ったのだから「何時何処でどの様な規模の災害が生じるのかの予見は無理でも、どこで起こるかは分からないが可能性はゼロでは無いのだから"予測(想定)"を放棄したのは、東電側の勝手であるにすぎない」と言われても文句は言えないと考えられます。

実際、茨城県の東海第二原発において10メートル以上の津波を想定して対策がお行われており、これにより大震災時における津波による被害を最低限の下に抑える事に成功しています。

他の地域でこの様な結果が出されているにも拘らず、福島第一原発においてのメルトダウンは「予見不可能」と言う言い分で無罪にしたのでは、「予見不可能」と言う名分が有れば、如何なる災害においても災害対策を行う必要が見いだせなくなってしまう愚行と見えてしまいます。

この考えを論ずるには、裁判における判決で述べられている「予見」と言う言葉の意味を知らなくては成らないと考えられます。

この「予見」と言う言葉が、多くの国民が考える「予測(想定)」とは、似て非なる意味を有する事から、この裁判が国民の不信を煽るモノと成っていると考えられます。


では「予見」と「予測」の違いとは何なのでしょうか?

違いは

-----------

予見=まだ起こらないうちに、先を見通して知ること。

予測=データに基づいて、未来における実現すると考えられる特定の変数の値を想定すること

-----------

と成っています。


つまり豪雨災害を例にすれば、

「予測」は、
 →今までA地域では年間これだけの日数、雨が降った前例が有る
 →その前例を軸に、来年にはA地域にはこれだけ日数、雨が降るのでは無いかと考える

これが「予見」では、
 →前例のデータを無視して、A地域に降る来年の年間の降雨日数は60日だ!
 →この60日から外れた結果が出れば、見通せなかった事になる

となるのです。


似ているのですが

「予測」は、「データを基に結果を考える行為」で、
「予見」は、「事前データは関係なく、"今後どの様な事が起こるのか"を知っているか否か」で

本質的には別物なのです。


この様な上記を前提に考えれば、

確かに日本政府や東電は、神ならざる身なので予見は出来ないが、予測すると言う行為は十分可能だった、だが政府も東電もその様な予測(想定)は表向き行わなかった。

それはあくまでも政府や東電が行わなかったと言うだけで、この様な事で「想定外だからどうしようもなかった」と言う論理が罷り通るのであれば、提示された情報を基にした予測計算を拒否さえすれば、予見と言う行為に至る事も無くなるため、予見自体が成立しなくなり、予見による責任を負う必要性が無く成ってしまいます。

今回の様な裁判結果を容認すれば、「ランダム性の高い災害などの事象に関してはそもそも予見不能なため、データを基に予測し対策する努力を放棄しても、それで如何なる災害被害が生じても罪に問われる事は無くなる」と認識され、災害対策をなおざりにしてしまう恐れも生じるのでは無いでしょうか?

災害などと言うモノは、いつどのような起こるか分からないからこそ、データを基にしたある程度の予測を行わなくては成らないのに、それらデータを用いた予測とは全く別の"予見"と言う言葉を使用し、未対策で損害が生じても罪に問われる事は無い前例を作っては成らないとブログ主は考えています。


ましてや大震災の原発のメルトダウンは、津波の高さ云々よりも、津波による浸水対策を行わず、現状の原発被災を招いたのだから、本質的には一つの災害で全ての危機管理が破綻する現状を作っていた事が問題なはずで、予見できなかったからと言って(そもそも予見自体は不可能)、これ等の無対策の罪が消えるわけでは無いと考えられます。


★エネルギー地政学的に見て・・・
此処からは現状の地政学的な日本の立ち位置を考慮した上での考察です。

これは東電の経営陣を守ると言う意図が第一にあるのでは無く、純粋にエネルギー地政学の視点から見たことを第一に考えた事です。

以前から当ブログでは、日本のエネルギー輸入政策が中東と米国に与える影響を述べてきました。それは「中東のエネルギーがドル決済であるために、それによってドルの価値が守られ、同時に米国が中東にコミットメントせざる得ない状況に追いやられている」と言う考えです。

その様な考えを軸すれば、「現時点では原発を再起動させるわけにはいかない。原発を再起動させると、海外から購入するエネルギーが減り、日本から海外に流れる富の循環がおかしくなり、エネルギー輸出国の経済がおかしくなる恐れが生じる。ひいては米国もおかしくなるかもしれない」との考えも出来るのです。

それらの地政学的戦略を今回の福島第一原発事故の旧経営陣に対する判決と繋げた場合、

今回の判決で、訴える方と訴えられる方が、意図的に"予見"と言う表現を使い、責任の所在の在りかを有耶無耶にした事は、東電の経営陣を守ろうと言う意図だけでは無く、日本のエネルギー消費からなる資源輸出国への利益享受を交渉カードとして原発再起動を行う為の下準備として行っているのでは無いか?」

との考察が導き出せるのです。

今回の裁判での旧経営陣の無罪判決は、「結局のところ災害なのだから予測不能で仕方なかった」との認識を国民に植え付け、同時に北海道や千葉県での停電災害と合わせて見れば、「原発再稼働もした仕方ない」との認識を国民に抱かせるには十分なモノになると考えられます。(耳に心地よい事ばかり言う、環境大臣になった小泉進次郎氏叩きの県も有りますし・・・)

そして、この原発再稼働を日本の対外エネルギー戦略に直結させ、周辺諸国のパワーバランスを制御する道具としての布石として使用しようとしていると考えるのは、今まで日本が行って来たバランシング戦略を考慮した場合、行き過ぎた妄想と言える事では無いのでは無いでしょうか?

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以上で「東電の旧経営陣の無罪判決」に関する考察を終了したいと思います。

そしていつも述べていますが、当ブログで述べている事は、あくまでもブログ主個人の見解に過ぎませんので、間違い勘違いが有るかも知れません。
読み手である皆様も、それらのリスクを前提の上で閲覧してください。

本日はココまで!!

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