ドイツ帝国

2018年03月21日

本日は、少し前に始めた歴史上の国家の動きを地政学で読んでみようと言う記事にまります。今回はドイツの行った地政学戦略を歴史から見てみようと思います。

ドイツの建国と地政学的な位置、そして実際行った地政学戦略で考察の対象となるのは「日露戦争のコントロール戦略」「第一次世界大戦直前のコントロール戦略」「第二次世界大戦のコントロール戦略」の三点です。



★ドイツ民族の国の建国はなぜ近代まで遅れていたのか?
これは純粋に地理的位置が悪かったと考えることが出来る。
ヨーロッパにおける文化の伝播は、基本的に古ローマ帝国の時代にローマの支配統治地域であった場所から始まっており、ドイツを含む中欧、北欧、東欧はその地域から外れている。

このうち東欧に関しては、ローマ文化の流入と言う点ではドイツと同じ不利な地理的位置にあるが、それ以外のモンゴル帝国を始めとする騎馬民族の文明や、南から黒海を渡って流入するイスラム文化と言う点においては有利であった。

北欧に関してはドイツと似たような立場なのだが、ドイツ以上に冬の寒さが厳しく農業以外の土地に縛られにくい産業を発展せざるを得ないと言う点においては、ドイツより有利であると言える。同時にこれらの国には北側に敵が居ないため軍事力による防衛リソースを北部以外の地域に向ければよい状況で、ドイツより負担が少なかった。地理的に軍事負担が少なく工業に投入できるリソースもドイツに比べると高くなる。

またドイツの隣国にフランスがあり自国の隣国に巨大な力を持った国が出来るのを阻止してきたこともドイツ地域に近年まで大国が成立しなかった原因の一つであると考えられる。

つまりドイツ近辺を含む東欧の一部の地域が、巨大覇権国家の発生と文化伝播の観点から不利になる地点にあった事、同じように地理的に文化伝播に不利な北欧が自然学的にドイツより工業が発展しやすい地域であったことにより、ドイツに出来るであろう国家に国力が付く前に周辺諸国が国力を身に着けてしまい、結果的に文化発展に遅れたドイツ地域が他の大国の緩衝地帯になり、他国の干渉から統一国家の成立を妨げてしまった。


★ドイツ建国
ドイツの地域に最初に成立した有名な国は、神聖ローマ帝国であろう。「神聖でも無ければ、ローマでも無く、帝国ですら無い」とは有名な名句で、実際には小国の連合体にすぎ無かったと言われている。

近世に入りナポレオン戦争の時に、無理やり大国に成らない様に分裂させられていた事が要因となったのか、プロイセン生まれのユンカー(騎士階級)生まれのビスマルクと言う宰相兼外相が鉄血政策を掲げてドイツ統一を成し遂げドイツ帝国を建国した。


★遅れて出てきた国ドイツ、その地政学的状況
近世から近代に入ろうと言うその時に、長い年月を経てようやくドイツの地域にドイツ民族のドイツ帝国が建設されたが、その頃にはすでに周辺の大国はヨーロッパ外に打って出ており帝国主義の時代の後半でもあった。世界の大半が他の西欧諸国に制圧されており、ドイツは完全に出遅れた状況にあり周辺諸国と比較すると不利な状況にあった。

北に広がる北欧の国々は、ドイツが大国化する前に大国になっていた国が存在しており、東欧には広大な領土を誇るロシアが有る。西部には歴史的にも欧州一の大国であるフランスと世界帝国となっていたイギリスが存在していた。南にはアルプス山脈が有りその大山脈を挟んでイタリアが存在していた。唯一東南に同民族の築いたオーストリア帝国が存在していたが、国内に大量の他民族を抱えたり火薬庫とも言えるバルカン半島に接すると言う、ドイツにとって併合するにはリスクの大きい国でもあった。

ドイツ帝国は建国されたその時の周辺国は、その国力差や民族問題の観点から「ドイツが侵略を行い国力を増加するのによい顔をしない国」や「侵略併合するにはリスクが大きい国」の二種類の国が存在しており、安易にヨーロッパ内で領土を増やすと言う行いが出来ない状況にあった。

またドイツに隣接せずに、同時にドイツに隣接する大国に対して共同で戦ってくれる、その双方を満たす同盟国候補の国が存在していなかったのも、ドイツの外交を狭く制限する原因にもなっており、これも周辺国に比べるとドイツの地理的位置の不利なところだった。

イギリスはどこの国とも同盟を選びたい放題。ロシアはフランスとは争う必要が無い。オーストリアもフランスと戦う必要が無い。フランスもロシアやオーストリアと国境を接していない。それ以外の国はドイツと同盟を組みドイツ周辺の大国と敵対するには国力が心許ない。唯一ドイツだけが周辺の陸軍大国全てと国境を接しており、海外進出しようとするとイギリスと敵対する可能性が出てしまい、周辺国すべてが潜在的な敵国で海外進出も行いにくいと言う地政学条件を満たしてしまっていた。

そのため帝国主義の時代にドイツが国力を増大させようとした場合、「隣接する陸軍大国の軍隊を如何にしてドイツに向けさせない状況に追いやった上で、先制攻撃と短期決戦により決着を付けなければ成らない国家」として成立してしたのである。


★日清戦争、三国干渉、日露戦争
上記におけるドイツの国家戦略を日本が味わったのは、明治開国後すぐの事で、即ち日清戦争後の三国干渉と、それによる日露関係の破綻に端を発した日露戦争である。

当時のドイツは、ドイツ統一に成功しドイツ帝国の建国が行われた後で、産業革命の成功と連続した工程の代替わりが行われ国内の政治情勢が急変した時期だった。

新しく皇帝になったヴィルヘルム2世は、ドイツ帝国とは名ばかりのビスマルク帝国となる事を恐れ、宰相であるオットー・フォン・ビスマルクの罷免し皇帝親政を行い始めました。

予てより帝国主義や植民地獲得の信望者だったようで海外進出を推し進める政策を行い、また長年ビスマルクが採用していた、フランス一国を敵に回しそれ以外の国と同盟を結ぶと言う戦略を破棄して、最も重要なロシア帝国との同盟を破棄し、露仏同盟を成立させてしまう大ポカを行い、地政学的にドイツが最も恐れるロシアとフランスによる挟み撃ちが成立してしまう状況を作り上げてしまいました。

そのためロシアの軍事力が自国に向けられない様に、東の最果てであるアジア情勢(当時終了したばかりの日清戦争の後処理)に干渉する事により、ロシアの領土拡張の野望をロシア東部国境に向けさせる政略を行ったのです。それが俗に言う露仏独による「三国干渉」でした。これによってロシアは満州に権益を持つことが出来る様になり、日本人がロシアに憎しみを持ち、その憎しみのロシアが受け止めざるを得ない事になりました。

地図:三国干渉によるドイツの地政学戦略1
三国干渉1


そして日露戦争が勃発し、ドイツに向けられているロシアの軍事リソースの多くが、日露戦争の為に極東に振り向けられ、ドイツに掛かる軍事負担が減る事になったのです。ドイツは三国干渉により日本に満州の権益を手放させ、その権益がロシアに渡る様な外交政策を行う事により、見事極東情勢変化から端を発したロシアに対するコントロール戦略を成功させたのです。

地図:三国干渉によるドイツの地政学戦略2
三国干渉2


★第一次世界大戦直前
日露戦争が終結した後に第一次世界大戦が行われますが、その前にドイツが三国干渉の様なコントロール戦略を行っています。(第一次世界大戦の事では有りませんよ)

俗に言うモロッコ事件で、「第一次モロッコ事件」と「第二次モロッコ事件」の内で第二次の方である。この第二次モロッコ事件はフランスの強い影響下にあったモロッコで起こった大規模反乱に関する事件で、当時のフランス政府は反乱鎮圧の為にモロッコに出兵を行いました。これに対してドイツは反乱の起こった地域に自国民が居ないにも関わらず、モロッコ在住の自国民の保護を謳い軍艦を送り付け、それらの行動を正当化する為に反乱の勃発した地域に近隣ドイツ人を呼び寄せいる事まで行ったのです。

この同一行為は、一見植民地獲得を考えたドイツの戦略の様にも見えます。しかしこの第二次モロッコ事件への介入は地政学的に見てもコントロール戦略としても成立しているのです。

まずモロッコで暴動が起き、フランスが鎮圧の為の軍を送る。

第二次モロッコ事件1



それに呼応したかの様にドイツも介入し軍艦を送る。これによりフランスの軍事リソースはモロッコ方面に海上戦略と治安維持の為の陸軍を送り、更にドイツとの関係悪化によりドイツ方面への防備も行わなければ成らない二重の負担となります。


第二に、周辺諸国の情勢を見た場合、この第二次モロッコ事件とそれによる独仏の激突の影響がどの様に波及するかと言うと、特にスペインとポルトガルの両国が「地中海を挟んでのモロッコで反乱が起こった事に対する、巻き添えを考えての防備強化」と「ドイツ相手に軍事対応するフランスの一時的な軍事行動が、自分達に向けられない様にするための防衛強化」の二つを行わなければ成らない状況に追いやらせてしまいます。

第二次モロッコ事件2



第三に、フランスの隣国であるスペインで軍事力の強化が進められてしまうので、それを見たフランスが自国に対しての軍事行動の可能性を考慮した対スペインの防衛能力の強化を行わなければ成らない状況に追いやられた事です。


第二次モロッコ事件3


対するドイツの周囲はオーストリアに関しては、軍事的にはドイツよりも下で論ずるに足りない。ロシアに関しては日露戦争以降国力の下落が著しく、デモやストライキ連発による共産革命が進みつつあり、ドイツにかまっている状態では無くなっている。

これ等の事を考慮すれば、ドイツは「少数の軍船の派遣」と「フランス国境への多少の軍備増強」だけで、隣国フランスに対して過剰なまでの軍事負担を掛けさせる事に成功したと言えます。

これこそが第一次世界大戦前に行われていたドイツの地政学的なコントロール戦略で、この様な事を行たために、周辺各国からの信用を失い、世界大戦前に実質上の対独包囲同盟が結成され、世界大戦での敗北に繋がったと言えます。

なお日本は、日英同盟に続きロシアやフランスとも同盟や協商を結び、第一次世界大戦のドイツ包囲網の主導国になっていました。

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長くなりますので全二回に分けようと思います。次は第二次世界大戦前のドイツの地政学コントロール戦略に関してです。

一応第二次モロッコ事件のコントロール戦略に関してはブログ主の想像になります。…がモロッコの地に軍艦を送ると言う事は、地政学的にその様なコントロール戦略を意図して行っているとしか考えられないからです。(異論は認めます)


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