世界観

2019年04月29日


前回の続きです。

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③企業の強い立場と政府の害ドライン
上記の「経済環境構築」と「社会風潮」に加えもう一つ問題なのが、政府が雇用者側に守らせている穴だらけの雇用契約で、労働者に対する働かせ方や残業等の項目で、どうとでも解釈可能な契約を結ぶ事によって、労働者の低賃金での超過労働による疲弊が生じる事と成った。

これは、バブル崩壊の不景気下で労働者が雇用の需要より多いために、雇用者側が労働者よりも圧倒的に強い立場で無理な要求を行える環境だったため、労働者側が解雇されない様に忖度しなければ成らなかった。

これによって政府が提示した雇用の為のガイドラインが、労働者を不必要なまでに追い詰め使い潰す事を可能とする解釈が成立するモノだったため、企業側がこれを悪用したり、労働者側が忖度して潰れてしまったりして、多くの社会問題を誘発させるものとなった。


・労働者の「サービス残業」「みなし残業」
雇用契約で最も問題となったのが残業問題である。この問題は現在でも取り上がられているが、サービス残業は、企業側が残業代を支払わずに労働者に時間外や休日まで働かせる行為で、みなし残業はそのサービスが問題視された事によって適応される事になったルールである。

みなし残業に関しては、予め給料の内に残業代が入っていると言う名目で雇用契約を終結するが、これは業務時間内で仕事を終結させれずに延長して仕事してもらう事が多くなると、残業代計算が煩雑となるため、予め平均残業を分を給与に反映させて置く制度と考えられるが、会社によっては最初から100人中100人が予め設定されていた業務時間内に仕事を終了させれない様な、過重労働を押し付ける事によって、申し訳程度の見なし残業代金を支払い、超過勤務状況を正当化し、実質上の低賃金労働をさせる運用を行う企業も出てしまった。

何方にしても政府が政策によって、雇用需要より労働希望者の人数を多くなる状況構築を行い、これによって雇用側の労働者に対する立場の強化が成立したため、労働者側にっとっては「解雇を避けるために身を切った奉仕を行わなくては首を斬られて路頭に迷う」と言うリスクを前提に置いた働き方をしなくてはならない事から生じた問題で、政府がこの環境維持を行い続ける限りにおいて、同じ事が何度も起こる可能性が有る。

また「国会討論の野党による問題提起」や「マスメディアで連日雇用側の労働者に対して不当に安い賃金設定で長期に渡り働かせる問題」を提起されれば、企業側にその意図が無くても、解雇を避けたいと願う労働者側が、精神が病み体が壊れるまで無理して仕事を行ってしまう様になり、また企業側も率先してその様に働いてくれるのならと放置し、最終的に労働者側が生命の危機を覚え退職を決意するまで続く事になる。


・雇用側の立場が強ければ、労働者は忖度する
上記の問題は、仕事を求める労働者よりも雇用側の需要が少なかったために、企業側の立場の強化が起こり、これによって生じた「いつ首を斬られるか分からないので、出来る限り企業の命令には従う」と言う労働者側の立場の弱みに付け込んだ契約を結果的に企業側が行い、その自覚が無いために多くの労働者が病み疲弊し労働市場から脱落する事と成った。

ただしこれらの問題に関しては、氷河期世代だけの問題では無く、労働者全体に降りかかった、企業側のモラル欠如の問題でもあった。


④婚姻と社会に対する認識
最後に重要なのが「氷河期世代の男性と女性の意識」と「その親の世代の意識」と「当時の社会に蔓延した結婚と結婚後の生活に関しての認識」に関してです。

これら「氷河期世代とその親世代の結婚に関しての認識」と「マスメディアによって作られた結婚と言うモノ」と「実際の経済的な現状」が乖離していたため、団塊世代の男性が結婚に対して積極的になれず、ソレに影響される形で女性もあぶれてしまったと言うのが、婚姻率が下がり少子化に陥った理由の一つと考えられます。


・親世代の結婚(団塊の世代)
まず第一に考えなくてはならないのが、氷河期世代の親世代に当たる、団塊の世代やその前後世代の人達の結婚に関しての意識です。(と言ってもあくまでも平均化された価値観で会って全員がそうだと言えるわけでは有りませんので注意してください)

彼らの世代は戦争が終わるか否かの時代から戦争が終了し10年以内頃までに生まれた人たちで、彼らが生きて来た時代は、基本的に高度経済成長真っ只中だで日本全体が右肩上がりの成長を遂げていた時代でした。またこの頃の労働環境は、環境はともかく雇用は安定していたため余程の事が無い限り引く手あまたで就職に困る事も無かったはずです。

そして基本的に職場における男女の区別がまかり取っていた時代でもありましたので、女性が職場で働くと言う事も社会的な風潮で制限されていました。そのため多くの女性が結婚する前まで働き寿退社と言う形で社会から遠ざかり、代わりに男性がその分働くと言う慣習が有りました。この風習により退社した女性の分まで男性が働き稼ぎを賄うと言う風潮が生まれ、このせいで"男性は結婚後は女性を養う"と言う暗黙の了解が出来上がりました。


・バブル期当時の社会の結婚問うモノ
そして氷河期世代の人々が結婚と言うモノに対する認識を確立させるに影響を与えたのが、彼らが少年期から社会に出るまでの間に「社会から提供された結婚とその後の生活に関しての情報」である。

これは「親世代の認識」や「当時の社会情勢で結婚した人がどの様に暮らしていたのかの事実」更には「マスメディアによって作られていた男女間の異性への認識」がソレに当たります。

氷河期世代前後の人達は正にバブル絶頂期とその残り火が燃え続ける時代に多感な時期を過ごしており、その時期に、「男はよく働き、景気良く金を稼ぎ(稼げない奴はゴミ)」、「女性は男に貢がせ」、「女性は社会進出が著しく」、日本全体が消費を拡大させていました。

この社会的な状況によって、彼らの世代は男女間の結婚と言うモノに、男性は「女性はお金を浪費する存在」、女性は「男性は所得を稼ぐ存在」と言う認識を植え付けられてしまいました。(ブログ主の見解です)

特に最大のイベントと言える結婚式にコストが掛かる事もその一因と考えられる。


・氷河期世代の結婚と共同生活への意識
しかし現実に彼ら彼女らが社会進出した時期はどうなったでしょう?

「氷河期世代」や「ロストジェネレーション(失われた世代)」と呼ばれるほど、就職には恵まれない、最悪の雇用状況の時代に社会に進出させられ、その後も労働者として低賃金で人によっては運悪く体が壊れ精神が病むまで酷使されるような労働環境で働かなくてはならない人が続出してしまい、特に男性は結婚して安定した生活を営むだけの所得を稼げない人が多く出現してしまいました。

ここに来て氷河期世代の男女ともに「自身の抱いている結婚と言うものに、自身の稼いだ所得では実現できない現状がある」と言う事に気づいてしまったのです。

特に氷河期世代の男性にその認識が顕著に表れていたと考えられます。

彼らの認識は「親世代の様にパートナーは働かず、男性の所得だけで子供と妻を一生養い労働させない」と言うモノで、更にそこに上がらぬ給与と安定しない雇用と言う材料が加わるのです。この様な認識下では結婚と言う行為は行いたくても行えません。

何故なら結婚し子供を産んでも安定して所得を稼げない状況に追いやられら妻はおろか子供諸共路頭に迷いこんでしまうからです。これは「自己の遺伝子を後世に残す」と言う生物の本能を満たす事が出来無い事を意味しており、この事から一家で全滅する恐れがあるのならば、家庭を持つ負担は被らないと言う判断をしても責められるべき事では有りません。

更に問題なのが親世代で、この親世代も氷河期世代と同じ「夫が妻を養う」と言う認識を有しているため、氷河期世代の男性から見れば「養えない様な所得で、娘さんをください」とは言えないため、その事を気にし最初から結婚と言う行為そのものを諦めてしまう男性が続出したと考えられます。


・「養う」と言う認識に秘められて世代による世界観の乖離
氷河期世代の上記の認識を補強するのに影響を与えたのが、その前世代の人が行っていたバブル期の価値観と行動かと考えられます。

散々浪費し、不動産で土地転がしを行い、ご乱行の限りを尽くしていたバブル期の暮らしぶりの情報の悉くを刷り込まれれば、それらを見て育った氷河期世代は、世間や結婚はそれだけ金がかかるモノであると言う認識を持つには十分かと思われます。

これら高度成長期からバブル期に形成された社会風潮によって、男性は「所得が低い自分を女性やその親御さんが認めないのでは無いかと言う認識」を持ち、同時に氷河期世代の女性は、男性から「お金がかかる養えない生物」として見られていると言う不幸が生じ他たのでは無いでしょうか?


★「真面目過ぎる男性」と「被害を受ける女性」
上記の諸々の理由から結婚せず子供を作らない人は、あくまでも経済的な事情と、将来的に養わなくてはならない家族の為の事を考え、自分ではその責任を果たせない事から生じる責任感から結婚と言う行為を選んでいないだけで、本心から子供をも欲していないわけでは無いと考えられる。

逆に言えば、結婚相手や生まれてくる子供を路頭に迷わせたくないからこそ結婚しないのであって、所得さえ何とかなれば幾らでも結婚を行うと考えられる。

これら経済状況と社会的な風潮の双方から推察できる男性の思考と行動は、文明社会と言うモノを作り生存している人間と言う生き物としては、決しておかしな行動では無いが、この思考と行動によって被害を受けているのは、むしろ同世代の女性である。

社会的な風潮によって昔ほど格差が無くなったとは言え、それでも企業から見た場合、女性を雇用する負担より男性を雇用する負担の方が小さくて済むため、男性優位で雇用が進む業界もいまだに多い。

その状況で男性が「女性を養う("負担を分かち合う"と言う認識も含む)」を放棄したため、その庇護下で生きれない女性が割を食う羽目に成り、同世代の低賃金労働の男性よりも、女性の方が明らかに暮らし難い世の中に成ってしまったのである。


★近年の若者の結婚に対する認識
近年の若者は、子供の頃から不況の時代が続き、多くの労働者が低賃金労働に追いやられ不遇な境遇を味わった事を知っている。

このため男女共に共働きで家庭を支えなければ成らない事を理解している事から、氷河期世代以前の様な「男性が女性と子供の面倒を見なければ成らないと言う意味での"養う"」から、「男女共に働き支え合う事によって捻出できたリソースを子供の出産や養育に注ぎ込む」と言う意味での"養う"と言う認識に移行しており、この事から前世代の人達の様な「負担を被りたくないから、相手の親御さんに低所得を責められたくないから結婚はしない」と言う意味での婚活拒否者は少なくなっていると思われる。

これは不況が長期化し今後も高度経済成長の様な好状況が見込めず、男女ともにワガママばかりを言っていると「負担の掛かる相手」と言うレッテルを張られ、夫婦生活喉成り立たなくなる事を理解したために自然発生的に生じた価値観で、この「寄生されたくない。ともに家庭を守る」と言う価値の共有こそが、互いに互いを支え合う「結婚」と言う行為であると言え、ここに来ようやく高度経済成長とバブル経済の負の呪縛から逃れる事が出来たのだと言える。



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以上を持って「氷河期世代はなぜ結婚をしないのか?」の考察を終了させてもらいます。

今回の考察を読んで考え過ぎたと考える人も居ると思いますが、これはブログ主だけでは無く多くの言論人が述べている事ですが、人間にとって社会に出た時の経済状況や体験と言うモノは、その後の人生観に影響を与える大切な外部情報だと思っています。


「一度しかない人生なのだから、思い切って結婚したら?」と考える、景気の良い時に社会に出て、失敗しても再チャレンジできる環境で生きて来た人が居れば、

一度でも失敗したらレッテル貼りされる環境で生かされたため「一度か無い人生だから、寄生されて人生を台無しにしたくない!」と考える人もいます。

そして当時の若者にその様な価値観を抱く要因に成ったのが「自分のライフスタイルを守るために、人が人を信用できなくなる世の中を作り出してしまった、前時代の人の価値観と自己の生存行動」と、この一点に尽きると考えられます。

本日の考察はココまでとします。


nh01ai33 at 08:00

2018年09月05日

本日は、世にいう実力主義に関しての考察となります。

実力主義と言うと、バブル崩壊後の不況の時代になって以降、幾度となく言われてきた事です。

皆さんは実力主義と言うとどの様な主義主張と捉えるでしょうか?

ブログ主は、かつて実力主義と言うと、実務能力が有り、長時間労働をこなし、頭の良く、会社の利益に貢献できる人」と言う認識が有りました。が仕事を辞めてからは別の認識を持つようになりました。

特に戦略論などを読み考える様になった結果、実力主義の定義がハッキリしていない上に、例え実力があると認識される行動を取れたとしても、「時間軸や陰陽論の点から見た場合、成功と言う結果を求めても、相反する結果をもたらす事が有る」と言う事が事が分かりました。

特に陰陽論的な考えは重要で、パラドックス的な可能性や結果が表に出る事があるため、実力主義と言うモノを妄信し、それぞ前提に物事を判断し進めると手痛いしっぺ返しを被る場合も有るのです。

今回の考察では、企業での労働を前提に考察しようと思う。

★世代の世界観が実力主義の定義を固定化させてしまう

実力主義を論するにまず重要なのが、実力主義を標榜する人の世界観です。

特に重要なのが実力主義を掲げる人の"生きた時代"や"経験した事"です。


例えば、第二次世界大戦前の世界的な大不況を経験し、戦争で人がぼろ雑巾の様に使い潰される時代を生きた人にとっては、その様な苦境を次世代の若者たちに味会わせたくないと考え、

どれだけ頑張ってもダメな時はダメ!
如何にして人材を育てるか?
如何にして人を運用するのか?

等を考え、それらの行動を取り会社を大きく出来る人が実力のある人だと考えるでしょう。


それとは別の時代、例えば高度経済成長を経験した世代は、実質上のブロック化経済で制限された貿易、制限された人材の移動、途上国との賃金競争の無い所得の上昇を経験し、人材育成や運用も戦前に苦労した世代が行ってくれて、その景気の良い世の中で爆発的に経済成長する日本を見ながら繁栄を謳歌した世代は、

人材とは勝手に育つモノ!
如何にして長時間働き、多くの仕事をこなすか?

これらが実力を測る物差しとなってしまうのです。(無論全ての人がそうだとは思いませんが、かの世代が主力や指導者層に成った時の社会的な風潮や論評が、その様な状況であったと言う事は疑いは無い)


更にその次の世代では、バブル経済崩壊を経験し、日本一国長期不況の時代に突入し、戦前の恐慌経済と似たような状況に突入してしまいました。

そしてその世代の若者が、不況の中で前世代の気付いた価値観の中での実力主義を信じ込まされた結果、人材育成はされない、低賃金長時間労働をさせられる、自殺まで追い込まれる、と言った悲惨な状況に追い込まれるのです。

何故前の世代は若者に対して、その様な仕打ちをするのかと言うと、それが彼らの世代の実力主義の定義だからです。

その価値観は高度経済成長期の、低所得者に優遇された税制、ブロック化経済で他国と競う必要のない世界情勢、そして何よりも戦前苦しんだ世代の身を切った努力による教育奉仕が、皮肉にも高度経済成長期に社会進出した世代の世界観を構築したのです。

これは何も日本だけでは無く、欧米でも似たような状況であった事が分かり始めており、一部の論者から言わせれば、「戦後の奴らが戦前の人の残した努力を食いつぶした」みたいなことを言っております。

★社会的風潮が、人格形成に及ぼす影響
上記の事から、その世代が作り出す社会的な風潮は、その時代の人だけでは無く、次世代の人の人格さえも影響に置いてしまいます。

その社会的な風潮に合う様な生き方が出来て、成功した人は、その考えに染まってしまいますが、成功できなかった人は「何か違う!?」と言う形で、風潮や定義に疑問を抱き、それら実力主義の定義を疑いの目から深く考える事になるでしょう。

そしてこれらの考えの多様性と発信が、次の世代に影響を与え、次世代が育つ土壌を育む事になるのでは無いでしょうか?


この中で重要で、且つ危険なのが前時代的な価値観の下で成功した人の脳裏に刷り込まれた優越性なのです。


★仕事ができる人、地位の高い人が職場や人間関係を破壊する事もある
時代に合わない実力の価値観を要した上司の下で、その価値観の合わせて高評価を得た人は、時として職場や人間関係を破壊してしまう事が有ります。

これは上記で上げた優越性の問題です。

では何に対する優越性かと言うと、前時代の価値観での実力主義の定義に当てはまらない人に対しての優越性である。

例えば、不況の時代で正社員に採用されなかった人は、単純労働や低付加価値労働を強いられ、また幾らでも替えが効くため、ある程度時時が経てば切り捨てられ、人材としての育成がされないまま使い潰されます。

他にも多くの仕事処理できる人が高い地位に言った場合、彼の能力はあくまでの処理能力ですので、組織の運用や人材育成が行えるかどうかは未知数です。

例え人材の育成が達成されたとしても、それは指導官の実力なのか?指導を受けた人が学び取るのが上手だったのか?の因果関係の判断は付きません。

特に現在の様に、低賃金労働者の人材が常に雇用市場に多めに投入されている状況では、企業側が労働者側に強く出れますので、人材育成を行う必要が少なくなります。育った人材や勝手に育つ人材を雇う方が安上がりに成ります。

この状態が長く続き、実力があると思っている人が、実力が無いと認識した人に対してつらく当たる様な事が有ると、本来は育てれば戦力になる人も会社が辛く成って、また自己の生存権の為に会社を辞める可能性も出来ます。

そうなれば人材の補充が追い付かずに、残った人に負担がかかり、連鎖的に退職者が続出する事にも成り兼ねません。この場合、実力があると思っていた人は、実務の処理能力があるだけで、組織の運用能力などは持ち合わせて居なかったと言う事になります。

★実力が無い人が、会社の改革を促すかも
では実力の無い人の価値とは何なのでしょう?

この場合の実力主義の定義は、実務の処理能力の高さと定義します。
その場合、低賃金労働者が市場に溢れている現状では意味は有りませんが、それら労働者も存在せず、募集しても会社側が欲しいと思う人材が集まらない様な場合は、会社が求める以外の人材(例えば教育がされておらず実務経験が伴わない人)でも雇い、経験や教育を積まさなければ成らなくなります。

その様な社会情勢になった場合の実力主義の定義は、

"少ない人材で、育っていない人材で、如何にして組織を効率よく運用できるかの運用能力"と
"如何にして人材を育てるか"の

二点が重要になると思われます。

この様に実力が無いと言っても、その実力の無い人でも会社の改革に影響するかは、十分考えられます。

これは高度経済成長期を支えた、戦前世代の実力主義の定義と重なるのでは無いかと、ブログ主は考えています。


★サイクルでものを見る
これらの社会的な情勢で人の考えをや風潮を見定める時には、必ず歴史を遡って見た方が良いと思われます。

歴史を見れば同じような状況に成った時代が必ずあるので、その時代や、更にその次の時代を見れば、人の考えがどの様に移り変わるのかを理解する事が出来るのでは無いでしょうか?

そうすれば、今現在の時代から次の時代の転換点を見定め、どの様な行動を取ればよいのかが分かるのでは無いでしょうか。

即ち、「実力主義の定義が、実務能力から、実務能力を身につけれる環境を整えれる事の出来る能力に変わるのでは無いかと考えられるので、それを前提に行動しようぜ」と言う事です。

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本日は、実力主義に関しての考察となります。

ここに書かれている事は、あくまでもブログ主の個人的な見解にすぎませんので、間違いが有る可能性が有ります。それを前提の上で閲覧してください。

本日はココまで!!


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nh01ai33 at 08:00

2018年05月14日


今回は戦略や哲学などのモノの考え方の大前提となる「世界観」の事について考察しようと思います。

正直、この世界観と言う概念を知らなければ、物事の考え方が合わない人との付き合い方が分からず、「人間関係の破綻」などの状況になってしまう事も有ります。

では世界観とは何なのでしょうか?


★世界観とは何か?

世界観とは、人が自分の生きて来た経験や教えられてきた教育や伝聞によって形成する自己の価値観である。

多くの人はこの世界観によって、自身の体験する事象を解釈し受け止めようとする。

しかしこの世界観は、経験や教育や環境によって形成されるため、人類全員が同じ経験、教育、環境の下で人生を体験しなければ、共通の世界観を有する頃は出来ません。

現実はその様な事は不可能なので、それぞれの人々が自己の経験や学問によって形成された、他人とは異なる世界観に基づいて、行動し解釈し生きて行く事になります。

当然の事ながら人の人生は千差万別、平和しか知らない人も居れば、戦争の中で生きた人も居る、一度も陸地に足を突いた事の無い船の上でしか暮らした事しか無い海洋民族が居れば、平野に下った事も無い山岳民族も居る、文明との関わりを絶って生きたジャングル奥地の原住民も居る。

景気の良い時代に社会出でた人は安定した就職から社会経験を積むことが出来るので「社会はその様なモノ」だと考え、不況の時代に社会進出した世代は企業と言う存在は「人を低賃金で使い潰す存在だ」と認識する可能性が高くなる。

役所に勤めている公務員と、企業に勤めている会社員では、税金に対するスタンスも違うでしょう。

犯罪者の子供であれば人に後ろ指を指される人生になる事も有り、慈悲に溢れた聖人の子供ならば勝手な期待を掛けれらるかもしれない。

たった一つのボタンの掛け違いで体験で出来る経験は全く違うものになり、形成される世界観も全く違うものになってしまう事もある。

その世界観の違いから、体験する事象から得れる解釈も、また違うものになってしまう。


★世界観の違いは人だけでは無い、国もである

これら世界観の違いから導き出されてしまう誤認による思い込みは、何も人間だけでは無く、人間の築いた国家に当てはまります。


例えば日本ですが、つい二十年前までは「日本は世界大戦中にアジアに侵略した極悪非道な国家である」と言う教育を受けて育った世代が幅を利かせていました。現在ではインターネットが広まり多くの資料や公文書が表に出来ており必ずしも日本は邪悪な国では無かったと言う風潮が広がり始めています。


お隣の特定アジアでは、日本の教育を取り入れる形で日本は邪悪な国であると言う情報を広め、日本を国家団結の為の外敵に仕立て上げる事により自国民族の不満を逸らせる政策が可能となり行っています。

現在の特定アジアの人達は、社会に出ている多くの人達が日常生活では表に出ないと思いますが、いざ国家間のナショナリズムが表に出てくるときは、その様な反日的な世界観の下で日本を見ると思われます。

もっとも日本から流れてきた歴史教育の情報が前提になって広まった可能性もありますし、普通は「証拠も無く自分で自分を貶めて他国にお金を貢ぎ続ける国がある」と言う事は、彼らはだけでは無く多くの人が信じることが出来ないため、日本からの情報が真実であると言う認識の下で利用し、国益にしてしまった事は、必ずしも非難に値するものでは無いのかもしません。(最も情報の出処となった日本も、GHQの指導要領に従っただけの可能性も有りますので、これに関しては日本を非難する事も筋違いでしょう。ただしこのような国家間の破綻に繋がる事も考慮の上で行った可能性も有りますが・・・)


かつて北米に住んでいた先住民は、「土地はみんなの共有物」と言う認識を持っていたと言われています。しかし、欧州から来た移民は土地は個人の取得物と言う認識を持っており、この認識の下で先住民に土地の売買を求める約束事を行ったため、そこから価値観の誤認による悲劇が始まり先住民の掃滅に繋がったと言われても居ます。(うろ覚え・・・)


この様に国家間でも、成立した地域や自然環境や時代によって、その国を形成している人々の価値観が指向性を持ち、その国の人達特有の世界観が表に出てくるため、外交に携わる人たちは、相手国の人の世界観を知らなければ、外交を行う事は出来ません。



★価値観の違いを埋めるには!?

人間同士は最悪「人間違って当たり前、我々は分かりあえないと言う事に関しては、分かりあえる」と突き放して考える事も必要と思います。

特に世代間の価値観の違いは昔から存在し、古来から「最近の若者は・・・」と言う言葉が石碑に彫られている事考えれば、仕方が無いと突き放した考え方も十分成り立ちます。

とは言え、これら世界観を始めとする価値観の違いから、過去多くの人が人間関係を破綻させ、国家レベルに成れば戦争にまで行き着き、最悪国家の滅亡にまで波及したのもまた事実です。


世界観の違いを乗り越えて、ちゃんとした人間関係を築こうと考えるのであれば、大部分の人類の共通の道義によるルールを守る事により、人間関係を必要以上に悪化させない様にして、後に細かい価値観のすり合わせを議論する形で埋め合わせるべきでしょう。

とは言え細かい価値観に関しては、無理に統一して共通の価値観にしようなどとは考えない方が良いでしょう。あくまでも違う価値観を保有していると言う事を認識して、相手のされたら困る事のデッドラインを確認して、行わない様にするための情報集積程度を行っておくべきです。


「人々は分かりあえない」とか「人類共通の道義」の様な統一した認識を有した方が良いのは、慣習国際法の生存や尊厳に関わる価値観だからです。

慣習国際法とは、基本的に人類が文明文化を越えて持ちえる生存権や尊厳に関しての明文化されていないモノも含める「されたら嫌な事は他人にするな」の理念が求めれらる人類普遍の法です。

基本的に国家や人が生きる上で国家や文化を越えて守らなければ成らない価値観で、国家間や個人間での関係を築くのに、この価値観を守らなければ真面な国家や人とは認識されない法概念となります。

同時に、当ブログでも書いた「神の摂理」に関してのルールも守った方が良いでしょう。具体的に物理現象や自然のサイクル等です。これらの「物理法則」「自然循環」「道徳」を認識し守っている限り、余程の極端な価値観の違いの有る土地に行かない無い限り、人間関係のトラブルに巻き込まれる事は少ないでしょう。

ただし、相手や相手国がこれらのルールを守らなければトラブルに巻き込まれる可能性は有りますが・・・


関連リンク


★価値観の違いによる誤認(宗教)
価値観の違いによる誤認が最も起こりやすいのが宗教関係による教えの類でしょう。
例を一つ上げるとすると西洋には「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という教えが有るみたいですが、日本人には何の教えかが分かりません。

この教えは奴隷制度のあるローマ時代の地中海で生まれた教えで、奴隷を殴る時に、穢れた奴隷を手の平では無く手の甲で叩く事によって、手に平を穢れた奴隷に接触させて汚さない様にする奴隷雇用主に対して、奴隷なりの戦いや抗議を解いた教えなのだと言われています。

(確かに、主に利き手である右手で奴隷の頬を引っ叩く時には、右頬を手の甲で叩く事になりますし、そこで左頬を出されて挑発された場合に思わず利き手である右手で返す形で叩こうとしたら反射的に右手の平で叩いてしまい、彼らの言う奴隷の汚れを手の平に移す事になってしまいますからね。こう言う形で暴力に頼らない抗議を行えと言う事で、この様な「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」と言う教義が教えられたみたいです)


この教義を日本人が見た場合、奴隷制度が無いので頬を叩かれたからと言って汚れに結びつける事はしないでしょう。日本国内で個人がこの様な教えを実行した場合、暴力を振るう人に更なる暴力を振るう餌を与えて麻薬付けにするようなもので、子供の頃にこの様な育て方をされたのならば、人格などに問題のある暴力大好き人間になってしまうかもしれません。


現在の日本は国家としても、このキリスト教の教義を意外な方法で実行しています。即ち相手国に、暴力を振るいたい人や国には更なる暴力(戦争)を振るわせてあげて、冤罪を着せて自己満足の正義に浸りたい人や国には、その材料を与えてあげて、引くに引けない状況に追いやっています。

まるで麻薬の様に自己の正義を信じ込ませて、憎しみや侮蔑の感情をそれらの行動を取る人や国に向けさせる戦略を行っているようです。

当ブログで何度か取り上げている様に、日本と言う国は特定アジアに対しての情報戦略と思える日本叩きの情報を常に提供しています。

この様に見ると、日本は意外にキリスト教を取り込んで自国の国家戦略に反映している"キリスト教国家"と見なす事も出来るのです。(クリスマスも祝うしね!)

この様に考えると世界観や認識を誤認させられると外交戦略を踏み外してしまう事が分かりますね。

関連リンク

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今回は人や国家の持つ世界観に関しての記事となりました。

国家レベルの世界観に関しては、この記事以外にも


此方の二点も一緒に読んでもらえればより効果的に分かるかと思います。


では本日はココまでとなります。


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nh01ai33 at 08:00
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