国家の興亡
2018年10月16日
今回は「地理と歴史と資本の流れで見る日本の戦略まとめ」のまとめとなります。
日本の戦略の根底にどの様な思想や哲学が有るのかを纏めました。
★日本の戦い!
日本の生存戦略における戦いは、領土を増やす事でも無く、特定国を滅ぼす事でもない。
基本的に、国家や文明が存続する目的は、それを構成する国民や民族と、それによって構成した結果である共同体の生存であって、必ずしも敵対的な国を率先して亡ぼす事では無い。
簡単な話、相手国を打ち倒しても自国が自主独立した形で存続できない状況に成れば、生存競争における敗北なのである。
逆に敵性国家を倒さなくても、その敵性国を含む周辺諸国をコントロールし、その敵性国が自国の事を自国だけは制御し得ない自主独立不可能な状況に追い込み、自国に手出しできない様にすれば目的は達成できるのである。
ではコントロールとは、どの様な事を行うのか?と言うと、「与える事」を行う事だ。
与える事によって、与えられた物や事が当然の事となり、その状況を前提に国家を運営する事になる。
そして、その与えられていたモノを急激に回収したり、過剰に与え続ける事によって、相手国が自国を安定的に運営できない状況に追い込み激発させれば良いのである。
そうする事によって、自国が存続の為に周辺国と摩擦を起こさなくても良い状況を作り、敵性国が周辺国と安定的な関係を結べない状況に追いやり、リソース不足で自滅に追い込むのである。
以上の事を前提に日本の各種戦略を纏めると・・・
・日本の築いた天下三分割軍拡バブル(地政学戦略)
数百年前の戦国時代の終焉の時より、日本がアジア各国にバランシングとコントロールを仕掛け、自国が経済的に有利に成る状況を作り上る戦略を開始した。
これは秀吉の朝鮮出兵で明朝を巻き込み、財政破綻させ国力を落とす事により、相対的に北部の満州族の力が拡大し、満州族の対応に追われた明朝は、南の東南アジアに関われない状況となり、徳川幕府に変わった日本が東南アジアに進出できる状況を作り出した事である。
そして「東南アジアで稼いだ資本」と「江戸時代で平和になった日本国内の資本」をオランダを介して欧州に送り、歴史に名高い三大バブル(チューリップバブル、南海泡沫事件、ミシシッピ計画)を産ませ、崩壊させる事により、不良債権処理の対応のため、植民地主義を推進していた西欧諸国を帝国主義に走らせ世界進出を加速させた。
その欧州の覇権争いの過程で英仏の世界を舞台にしたバランシング戦略の結果、ロシアの大国化と米国の独立が促された。
そして、100年後の幕末頃に、日本に開国を迫ってきた欧米の内、米国に幕末通貨問題で騙されて大量のマネーを騙し取られてあげて米国の大国化を援助し、戊辰戦争において米国から追加で武器弾薬まで購入して、米国に他国人を殺し合わせる事による富の獲得の蜜の味を味合わせた。
明治時代の日清日露両戦争に勝利し大陸の満州に拠点を持ち、大規模投資を行い、将来の中国統一勢力の拠点づくりを行い、五族協和のスローガンで満州を漢民族で汚染させ漢民族圏にする。
第二次世界大戦終戦時に、満州や北方領土をソ連に侵略させ、米国への侵略経路を与える。そして満州は5族共栄政策により中華民族に汚染されている為、民族の人口比率問題で漢民族の統治者による間接支配をせざるを得ないソ連は、毛沢東に満州を譲らざるを得ない状況となっていたため、国民党と共産党のどちらが勝利しても、その地を産業拠点にした漢民族の大国が成立する事となる。これにより最後の大国である中国が誕生する。
更に琉球列島に米軍を進駐させ中国を牽制させ、北方領土以降北部に海域をソ連に支配させ米国を牽制させ、米国の軍事負担を増大せしめる。これらの地域は、陸の中ソ(中露)と海洋の米国の軍事的プレゼンテーションの場となる。
また併合統治時代に財政面で日本に頼り切っていた朝鮮は、自国民で自国を支える事の出来ない地域となっていたため大国を引きずり込み内乱と成る。自然環境的に南北で民族が違うためそこで分裂する事により成立した韓国と北朝鮮は、中ソ(中露)の自国の安全保障を確保する影響力確保のためのシアターと成り、且つ米国が大陸勢力から日本を守るための緩衝地帯としても機能する事になった。
この様に、日本が戦国時代末期からアジア中の富を集積して欧州に注ぎ込み成立した帝国主義の世界で、最終的に米国、中国、ロシアの三大国が日本の資本を基に直接的もしくは間接的に生み出す事に成功した。更に自国領土をこの三大国の直接的な侵攻経路として成立させ、且つ緩衝地帯ともなる極東の国家群を、歴史問題と戦前の投資によるコントロールで、三大国間の安全保障政策の影響を受ける国家として成立させた。
これにより日本が自国の供給能力の少なからずの力を周辺地域(沖縄、北方領土、朝鮮半島)投射できる能力を見せつつ、歴史問題で特定国家を煽り特定国を反発させる事による敵愾心の誘発と、弱腰外交による侵略経路の提供を行う事により、米中露三大国が自国の安全保障のため軍拡競争行わなくては成らない状況を生み出す事に成功した。
世界覇権を有する米国は、それでも尚、日本に味会わされた蜜の味(オフショアバランシングで他国同士を殺し合わせて得れる利益)が忘れられず、今現在でも覇権維持の為に兵器を海外に売り続ける事により、大陸各国の力の均衡を取りつつ、唯一「裏切られたら米本土直撃コースを提供できる日本」に軍事負担を負わせない特権を与えて保護し続けていると言う行動を取らざるを得ない状況に追い込まれた。
これらの安全保障政策を行う米国は、軍事負担の増大から全世界にドルを撒き散らかし、グローバルバブルを生み出す事になった。
関連リンク
・通貨政策と産業構造支配(通貨産業戦略)
戦後の日本は軍事負担の少ない国である。これは他の産業分野にそれらのリソースを投入する事が出来る事を意味している。そのため日本の高度経済成長は、それが理由で達成できたとも言える。
しかし米ソ冷戦以降のグローバリゼーションの進む世界では、物資や人材が安く調達できる世界であるため、必要以上に経済規模を成長させれば、急激に対外依存率を増大させ、第二次世界大戦で米国に追い詰められた日本やドイツや戦後の英国と同じ状況に追い込まれるリスクが増大する。よって現状の世界経済の情勢下では、世界に依存しない様にする経済縮小の不況政策が求められる事になる。
グローバリゼーションの世界に依存するのは危険なので、国内では経済規模を縮小させるための緊縮政策を行い、国民に消費をさせない様にし、子供を産ませない様な社会にする為の各種法案を推進した。また必死に働かせる事により対外黒字を維持し通貨価値(円)を安定させる用意もした。
また冷戦終結直後に米国を圧倒した世界一の付加価値の産業能力を、消費税増税によって、国内の付加価値の低い生産設備から押し出すように海外に移設し、海外の生産能力を日本のサプライチェーン支配力の影響下に置いた。
これらの産業構造を変化させる増税政策を行うに当たり、同時に不況経済化のカンフル剤的な財政出動とセットで行う事により、微妙な不況を演出し、日本国内で使用しないマネーが大量に貯め込まれる事になる。そして不況で経済成長が見込めない日本より海外にマネーが流れ、ホットマネーを受け入れた海外の国は、バブル経済化してし、対外依存度を高めてしまう。
これら消費税に伴うデフレーション政策、もしくはスタグフレーション政策を率先して行う事により、通貨価値を安定させつつ通貨量を増やし、それら貯め込んだマネーを海外に流す事により"「日本が海外に依存する」より「海外が日本に依存する率を増大させる」戦略"として機能し、同時に工場の海外移転により国際的な産業構造の支配や国家のパワーバランスや該当国の投資力や消費力を制御する戦略として機能させている。
更に歴史問題で煽り周辺の大国間の軍拡競争と合わせる事により、過剰なまでの産業の軍事偏重や赤字国債の発行を行わせる事により日本以外の国々を偏った産業と不安定な通貨の国々として成立させ、民間の供給能力と通貨価値を維持する為に、より日本に頼らざる得ない状況に追い込む。
最後に金融緩和や赤字国債の発行率や実質成長を操作する事により、多国間投資における通貨価値を含めた実質金利の操作を行い、いつでもグローバルバブルを崩壊させる力を見せ意識させつつ、米国を無言のコントロール下におく。(口では何も言わない。実際に行っている政策を見て判断させ行動させる)
これが世界一の純資産国である日本の行っている産業戦略では無いかと考えれる。
関連リンク
・冤罪を着せられる事が天国への道(正義の制御)
戦後の弱腰土下座外交によって、日本に対しての捏造された憎しみを周辺諸国に抱かせる事により、これらの国の国民の戦争意欲を操作する事が可能となり、また日本に対してなら何をしても良いと思わせる事により援助資金を騙し取ったり技術盗用や誘致した企業の人質化を行わせれる様になり、それにより技術の"盗用依存による投資意欲の減衰"や"貿易制裁"等で相手国の産業を操作する事が出来る。
更には冤罪を着せ続けた第三国を含む世界の国々も、捏造された情報を信じ込まされてだけとは言え、日本に対して非常に気まずい気持ちを抱かざるを得なくなるだろう。これは、かつてキリストが冤罪を着せられ処刑されたのと同じ事である。
日本は迫害され侵略を受ける可能性を高くする事により、米国を引きずり込む事が出来、逆に捏造された歴史を暴露する(させる)事により、将来的に世界に対しての外交を変節させる事の出来る特権を得た事になる。これにより地政学的な大国間軍拡競争を操作する事も可能となった。これが出来るのも"冤罪"だからである。冤罪だからこそ、別の真実を思われる資料が発掘されて時に、態度を変える事が可能となるのである。
これらの国家戦略を推進している政治家やマスメディアで働いている人達(特に反日メディア)は、日本人を外国人に迫害させる事により国家戦略を遂行しようとしていると見なせる。
この様な世界中の国々の正義の価値観を制御下に置く事によって、侵略の野心や同盟関係のコントロールを行い、通貨戦略や地政学戦略に繋げようとしているものと考えられる。
最も捏造により外国人を日本国内で犯罪に走らせようとしているとしているこれらの情報操作は、これを理解して行っているのであれば、犯罪者として裁かなければ成らないと考えられる。(この行為によって飯を食っているご家族様方も同罪であると見なせます。その様な行為を行わなくても生きて行けるのであれば話は別ですが・・・)
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★まとめ
日本の行っている戦略のを地政学の視点で見た場合、その大前提は、
「目的は自国の生き残り、他国はどうでも良い」
「手放す事によって関係国をコントロール下に置く」
「日本は世界に依存しない、世界を日本に依存させる」
「周辺国の大国化を援助し、自分達の国で制御できない様に膨張させる」
「米中露三大国間の緩衝地帯を弱腰外交でコントロールする。もしくは米国が日本を守りながら他国をコントロールせざるを得ない状況に追い込む」
「産業界の生産プロセスの重要階層を制御し、生産体制全体をコントロールする」
「冤罪を被ってあげて、相手国の正義をコントロールし、偽の正義に仕立て上げ、引けない状況に追い込む」
等々が考えられます。
これらを駆使する事により、
どの地域にどれ程の大国を生み出すか?
どの国との関係を悪化させるか?
どの国を矢面に立たせるか?
どの様に過剰支出を行わせるか?
どの様な経済を作るか?
をコントロールしていると見なす事が出来る。
この考えを前提にすれば、日本の行っている疑問のある行動も程度予測できます。
以前から世間一般で思われている疑問で簡単に考察すると。
例えば先の太平洋戦争で何故あれ程までに下手糞な不味い作戦を用いたのか?
→最初から勝利する気は無かった!
→むしろ敵国を勝たせたかった!
→利用するべき覇権国家を生み出すために
何故既存メディアは、日本人に有りもしない汚名を着せれる様な情報を流すの?
→日本人を迫害させ、戦略活用したい!
→他国を偽善国家、偽善民族に仕立て上げたい!
→他国の外交行動を制限したい!
→三大国間のバランシングを行う為に
なぜ政府は消費税増税に伴う経済不況政策を行うの?
→他国に依存したくない!他国を依存させたい!
→他国の産業を制御下に置きたい!
→他国を自国で自国をコントロールできない国にしたい!
→日本の戦略に利用する為に
この様に考えれば、日本国民が歴代日本の政府が「何故この様な事を行うのか?」とか「何故この様な状況を放置するのか?」がある程度は理解できるものと思われます。
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以上を持って歴史の流れで見る日本の地政学戦略のまとめを終了します。
全四回に渡る記事となりましたが、ブログ主自身、記事に出来の方が微妙に思えますので、時期が来たら書き直すかもしれません。(とりあえず今回これで終わりと言う事で・・・)
また今回の記事は関連記事がかなり膨大な量になりますので、リンクを張っておこうと思います。
≪関連リンク≫
nh01ai33 at 08:00
2018年10月10日
今回は今まで当ブログで記事にした「地理と歴史と資本の流れで見る日本の戦略まとめ」をまとめたものとなります。また量が多いので、複数回に分ける事になると思います。
今回のまとめは、歴史的に日本が行って来た事を、地政学やマネーの流動や注入による各勢力の勃興や衰退と言った、「国家や文明の繁栄」と地政学での「生存戦略からの行動」の観点から考察した事のまとめとなります。
基本的に、どの国がどの国と争い、どの様に資本が流れ、どこの国が繁栄するかを考察したものを、流れとして考察した記事と成っています。
第一回では、戦国時代の末期(安土桃山時代)から欧州諸国が帝国主義に成るまでの間の流れの纏めとなります。
①朝鮮出兵で大陸諸国をバランシングコントロール
まず始まりは、江戸時代に入る前、戦国時代が終わった頃の地政学戦略ですが、秀吉が朝鮮に出兵した事に関しての考察です。
・奴隷貿易と日本
日本人で歴史に詳しい人なら、ある程度の人数の人達が知っている事ですが、戦国時代の九州では、カトリック宣教師と結託した現地の大名が、日本人を奴隷として海外に売り渡す事を行っていました。
この行為は南蛮貿易での支払いが、奴隷を輸出しなければ支払えない為に行われていた事です。しかし天下統一の過程で秀吉の命令により奴隷貿易を禁止する触れが出された事により、表向きには禁止になった行為となります。
・文禄慶長の役
秀吉の奴隷貿易の禁止とカトリックの布教の制限が掛けられた後にも、上記の特に奴隷貿易の禁止は守られてはおらず、顧客である欧州や南蛮や朝鮮や明朝に売り払っていた事が確認されております。
これは現在の価値観でも慣習国際法的に犯罪行為であると認識でき戦争を仕掛けられ奪回されても文句の言えない犯罪行為です。これが原因かどうかは分かりませんが、秀吉は朝鮮に対して軍事力を向けています。これが俗に言う朝鮮出兵(文禄慶長の役)となります。
この文禄慶長の役によって、「日本vs朝鮮、明朝、女真族の連合」の戦いになり、各国共に大小の違いは有りますが疲弊する事になります。(女真族は同盟は組んではいませんでした。訂正いたします。2018年10月21日)
・明朝の経済破綻
文禄慶長の役で最も疲弊したのは明朝と朝鮮で、特に明朝は文禄慶長の役以外にも「ボハイの乱」や「楊応龍の乱」の内乱が起こり、これらの軍事負担による財政の悪化により明朝の国力が疲弊し、後に台頭した女真族の侵攻を押さえきれず、滅亡する事になります。
そのため秀吉の朝鮮出兵は、明朝の国力を下落させ相対的に巨大化した女真族の明朝侵攻を誘発したと言えます。
・清朝の台頭と周辺慮国の貿易構造の変化
女真族の台頭により明朝の軍事リソースが北部の勢力に向けられた時、明朝の裏庭であった南シナ海は実質上の空白地帯となりました。
朝鮮出兵で疲弊した日本は、関ケ原の戦いで家康が国内を掌握した後に、政権交代による朝鮮との国交回復と琉球を介した明朝相手の間接貿易を行いながら、力の空白地帯となった東南アジアへと進出した。
これ以前の秀吉の朝鮮出兵の事までをも地政学戦略の一環として見た場合、文禄慶長の役は、明国の南シナ海の海上支配力のリソースを、北部の騎馬民族の対応に費やさせるコントロール戦略と見なす事が出来ます。
この戦略により軍事大国であった日本は、南シナ海に置ける海上支配力を構築し、現地に進出していたポルトガルを始めとするオランダ以外の他の欧州勢力を、その軍事力によって圧倒する事に成功した。(国家として行った戦略であるかどうかは、未確認です)
これにより日本とオランダの二国が、南シナ海での海上権益を確保する事になった。
関連リンク:詳しくは下記へ
②東南アジア進出と欧州の帝国主義化
前項で説明した日本の東南アジア市場の取得による富の集積と、同盟国のオランダを通じての欧州への影響に関しての考察となります。
・朱印船貿易と徳川幕府
秀吉の朝鮮出兵により起こった中華圏の勢力の激変により、徳川幕府に政権交代した日本が間髪入れずに東南アジア市場に食い込みました。長い戦乱で鍛えられた日本の侍や商人は、東南アジア市場で巨額の利益を得て確固たる影響力を構築する事に成功したのです。
更には現地で勢力を保っていたポルトガルを放逐し、英国を寄せ付けず、現地の市場を制しました。(日本の侍が現地の王朝や、欧州の商人に雇われ傭兵として戦争行為をしていたと言われている)
しかし、色々な説があるものの、如何なる理由によるものなのかは確定的では無いが、鎖国政策を行い始め日本列島に引っ込む事になった。そこで現地に赴いていた日本人を追放したり、貿易していた国との繋がりを絶ったりして、海外との繋がりを必要最小限度にとどめる事と成った。
唯一貿易を許されていたのは、朝鮮半島、琉球を通じての明朝もしくは清朝、欧州では唯一オランダで、この三国だけとなった。
・選別されたオランダ
オランダが欧州で唯一日本との貿易を許されたのは、江戸時代初期に起こった島原の乱において、幕府側に協力し、日本国内におけるカトリック勢力の駆逐に貢献したからと思われる。(表向きはですが・・・)
また日本の徳川幕府と友好関係にあり、東南アジアにおいても有る程度の協力関係を築いていたと思われるため、現地で戦っていた日本の勢力から敵対的な勢力として見なされずに生き残っていた事も考慮すれば、日本が引いた後の東南アジア市場の支配と対日貿易の独占を得たオランダは、アジア貿易で莫大な利益を得て欧州での経済覇権を確立する事になった。
・西欧諸国の帝国主義化
オランダは、日本の助力を得て、東南アジアにおいて日本の支配する市場を独占貿易を行う事により莫大な利益を得る事が可能となった。しかし人口も少なく軍事小国であるオランダでは、隣接する英仏の軍事的な圧力に対応するにも多大な負担を被る事になり、貿易で得た富を毟り取られたり、国防やバランシング政策で景気良く発散したりと欧州中にばら撒く事になる。
これにより得をしたのがイギリスとフランスの二国で、欧州一の人口大国であり陸軍大国であるフランスと海軍大国として台頭した英国が、オランダから滴り落ちてくるマネーを元手に覇権抗争を繰り広げ、陸上国境を要しないイギリスがオフショアバランシングを採用し欧州大陸内諸国を争わせる事により、軍事的覇権と経済的覇権の双方を得る事になる。
そして、日本の元禄バブルの崩壊と貿易の制限により、アジアから富の注入が無くなった時に、欧州を越えて大西洋全域にまで広がっていたバブル経済が崩壊する事になり、このバブル経済膨張の過程で蓄えた負債を返済する為に、今まで投資していた軍事力と言うモノを利用して次の富を得て負債を返済しなければ成らない状況に陥り、それにより植民地主義から、より収奪性の高い帝国主義へと変貌する事になったと考えられる。
・迫りくる帝国主義の欧州列強
西欧諸国が帝国主義化により貿易取引を主体にした世界進出が、領土と労働力と資源の支配に変化し、英仏の覇権抗争を欧州国内でのみでは収まらない状況となり、海外領土での覇権争いを意図したフランスの支援により、米国の独立やロシアの大国化に結びつき、地球を半周しながら西洋の勢力が日本にまで迫り来る事になる。
それら帝国主義の波が日本に到来したのは、欧州や日本でのバブル崩壊より約百年後で、これによりアジア中の富をオランダ経由で欧州に注ぎ込んで、帝国主義の波を生み出した徳川幕府の命脈を絶つ事と成る。
・欧州は貿易距離的に日本の裏側(南米じゃないよ)
なお帝国主義の波が日本に最後に来たのは偶然ではないと思われる。何故ならば日本は西欧諸国の貿易距離的な真裏に当たっていたからである。
直線距離的に日本の真裏に有るのは、南米のブラジルやアルゼンチンの沖合になるが、貿易の事を考えると、山脈等の障害物や貿易を行う上での敵対的な勢力も考慮しなければ成らない。西欧と日本が貿易するのであれば当時はオスマントルコが有るため、実際にはエジプトのスエズ行路を利用できず、アフリカ南部の喜望峰やケープタウンを経由する大周りをしなければ成らない。
その時に日本列島の真裏にあるブラジルやアルゼンチンの沖合近くを経由する事になるため、その地域が中継地域となる日本と西欧の貿易では、ブラジルやアルゼンチンの沖合は最も遠い地域としては位置づけする事は出来ない。
そのため西欧で何かあれば、その影響が最後に及ぶ地域は極東になる事が予測できるのである。
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③幕末と明治維新
西欧諸国の帝国主義化による世界進出と、英仏の世界覇権を掛けた世界全体を利用してのバランシング戦略や投資合戦の影響にて、独立したアメリカ合衆国や大国化したロシア帝国までもが一斉に極東アジアに到来し、日本周辺は大国の激突地域への変貌する事になる。
これにより危機感を抱いた日本の若者の行動により起こった政変が、明治維新である。明治維新は当時の実力者では無く、むしろ中小の若き末端の侍たちが実現させた政変として、またアジア初の近代化を成し遂げた改革として、歴史書に記される事と成った。
・対米開国と幕末通貨問題
西欧諸国が帝国主義化し日本の近海に表れる様になってから、日本の国防は根本的に見直しが必要となった。幕府側でも危機意識は有ったようで、対応を行おうとしていたようでは有るが、約200年間、軍事関連の技術が成長していなかったため軍事的圧力には風下に立たざるを得なかった。
幕府は欧米諸国の中では、まだ弱小勢力であった米国との交渉を進め、不利益に成らない程度の友好関係を結び、他の欧州列強諸国に対抗しようと考えて交渉を行おうとして見たいでは有るが、この米国との交渉の結果、後に"幕末"発生の原因と言われる通貨問題を引き起こしてしまう。
この通貨問題は日本国内の「金と銀」の交換比率が海外との交換比率と違う事を目を付けた米国の外交官であったタウンゼント・ハリスが、そのままの交換比率を維持したまま国外の金銀も交換するように要求し、この交換比率の違いから日本国内の金が大量に海外に流出し、経済的な打撃を受け国民の不満を爆発させてしまい、そこから倒幕運動に繋がったの事件である。
・戊辰戦争と悪の米国の誕生
日本を混乱に陥れた米国は、当時の米国内で問題成っていた、産業構造の違いから発生した混乱を(後の南北戦争)を、日本から巻き上げた金を利用して解決し、一躍大国へと躍進した。
これにより日本の金を内乱で使用する武器弾薬購入へと変え、南北戦争を終結させ、後に国内産業を整備する事にも使用したと推察できる。(この折に欧州へ武器購入費が大量に流れ、欧州諸国を潤している)
また南北戦争で余った武器や弾薬は、米国の押し付けた通貨問題で国内が混乱し戊辰戦争が勃発した日本に、英仏経由で売りつける事により、これでまたも日本から毟り取る事に成功した。
この行為により米国は、騙してマネーを巻き上げて、武器弾薬を売りつけて殺し合わせ、隣接する国の国力を弱める事により利益を得れると言う蜜の味を覚え、このイギリスと同じオフショア・バランシング戦略を行う国家として、この後に大成する事と成る。
別の観点から見た場合、その様な蜜の味を味わえる破壊的な行為を行い、利益を得れると認識させる事によって、憎まれる国家と成るような道を進む様にコントロールする目的で、「日本は米国に富を毟り取られてやった」とも言えるのでは無いだろうか?
・日本の全てが列強に負けた
結局、日本は欧米列強全てに利用され殺し合いをさせられていると言う事実を突きつけられ、ソレに危機感を抱いた当時の明治新政府や各藩の合意も有り、廃藩置県が断行され、何処の藩主も最終的な勝利者とは成れなかった。明治新政府が設立して居た当初権勢を振るっていた長州薩摩も、西南戦争や欧米の大国に危機感を抱く人の影響からか、それら権力の乱用も一時的なモノにとどまった。
結局のところ、敵は欧米と言う視点から見た場合、勝利者は誰一人としていない敗者の群れであった。この様に真の敵を作り、誰もが最終的な勝利者になれなかったからこそ、これらの妥協が成立したと言える。もし欧米にさえ勝利していたのであれば、明治維新後の団結は存在しなかったかもしれない。
また通貨問題から端を発した経済的な混乱でも日本が大丈夫だったのは、「実際働いて金を溜め込むだけの産業能力と、その産業を支える事の出来る人的資源を鎖国の時代に育てていたためである」と考える事が出来る。(法廷通貨価値の担保は、その国の産業能力である)
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結論:この戦国末期から幕末直前までの流れを見た場合、日本主導で集めたアジア中の富が、オランダ経由で欧州へ送られ、そしてこれらの富が、地政学的に多様な産業が育まれ、小中勢力の覇権争いが起こらざるを得なかった欧州においてバブル経済発生と崩壊による経済的勢力的な混乱を起こす要因として働いた。そしてヨーロッパ大陸に対してオフショア・バランシング政策を採用できる英国に資本が集中する事により、英国をして世界最大の領土を誇り世界の海を制する覇権国家に仕立て上げる事になった。
過程と結果を見れば、日本がアジア中の富を集約してオランダ経由で欧州に送り、産業革命と帝国主義を発生させた。
と言えるのでは無いでしょうか?
更に後に欧米が日本に迫り、その時に日本で生じた幕末での行動が金流出に繋がり、米国を大国化させ、ユーラシア諸国に対して武器弾薬を売りつけ戦争させる事により利益を貪る国家に仕立て上げた。
と考える事も出来るのでは無いでしょうか?
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「地理と歴史と資本の流れで見る日本の戦略まとめ」の第一回目を終了します。
今回は、戦国時代の終焉期から明治維新までの事を、日本の地政学戦略からなる通貨の流れの制御によって興亡した世界情勢を俯瞰的な視点で考察してみました。
今回の長い記事となりますので、複数回に跨ると思います。
次回は、明治時代から第二次世界大戦の敗戦までの流れになります。
本日はココまで!!
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