幸福

2019年04月21日


今回は、前回の「戦争と平和の循環構造」の続きとなります。


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★解放された世界と、閉ざされた世界における、正と負の循環
歴史的に見て前述で述べた循環構造の変化による社会変革が生じた時、どの様な事になったのだろう?

代表的な例を挙げると江戸時代の元禄バブル崩壊による社会変革で、この時は貿易赤字だった海外との交易を断ち、国内での産業の効率化を行い、不良債権処理を行った。(徳川吉宗の時代です)

この時は長い太平の世で武士も軍事力を失っていたため、生産物の供給不足があるからと言って安易に海外に侵略する様な事は行わなかった。最もこの時、足りなかった物はあくまでも嗜好品くらいだったため、それらを日本国内で生産できる生産体制を整えればよく、当時の知識人が生活に必要な物資を効率的に生産できる体制を構築する事で対処した。

また外国に対して鎖国体制を採用していたため、不良債権処理の影響を受け少子化しても、ある程度期間が立てば現在の様に人手不足に成ったと考えられ、人手不足から自然と雇用と所得は回復したと考えられる。

これは鎖国の影響で海外から低賃金で働く奴隷労働者が流入する事が無かったため当時の人々の雇用が守られた事が要因で、この外部性の影響を考慮する必要が無かった事が、元禄バブル崩壊後の社会改革が成功した理由であると考えられる。


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これとは逆に解放された世界における正と負の循環の代表例と言えば、戦前の世界恐慌期が挙げられる。これは当時に帝国主義諸国で生じたバブル崩壊による資本逃避から始まった世界的な混乱で、世界全体がデフレ化し、最終的にブロック化経済になる事で、その環境下で生きて行けないナチスドイツに戦端を斬らせた事件が例として挙げられる。

この頃は各国共に当初は鎖国政策を強いてはいなかったが、雇用の悪化や移民や難民と言った低賃金労働者の受け入れによって、社会不安が増大し、最終的に国粋主義の膨張によって経済のブロック化現象が起き、そのブロックに入れないドイツが市場を求めて戦争を起こした事がソレである。(日本が大陸に進出したのは、どちらかと言うと大陸に築いた資産防衛と言う面があるため、日中戦争事態はブロック化が原因で生じたとは言い難い)

最終的に各国共に戦時動員等で強制的な国債発行や増税で、富が末端に行き渡った結果、どこもかしこもデフレから脱却したり、敗戦した国も産業資産の国有化や強制的な再配分で、戦争から周辺を経て平和に続く正の循環構造に進む事が出来たのである。


上記で上げた、閉ざされた江戸日本の元禄バブル崩壊、そして開かれた帝国主義時代の世界における大恐慌期は、共に経済的な暴落から発生した循環構造の変化なのだが、江戸日本の様に外部から影響を受けずに国内改革に慢心できる環境が作られていたが、帝国主義時代の世界の様に外部の影響を受けて、国内改革の作業が頓挫し更なる混乱のドツボに転落する事例もある。

これは「外部からの負担の押し付け」が有るかどうかの問題で、この外部からの負担(移民難民、他国からの軍事圧力等)によって、循環の転換期を安全に乗り切れるか如何かが影響を受ける事になる。


★戦争が起こってほしいと思う人が増える
上記のように戦争こそが富の再配分を促し、時には格差を縮小させる事態に至る道を作ってしまう事もある。

これは戦争と言う行為が安全保障のために行われるため、その負担を被らない国民は非国民扱いされて国内で生活しずらくなり、その生活圏で暮らすために身を切らざるを得なくなるためで、更に国土が侵される事態にまでなると基本的に資本の集中によって事態を打開する様な、国家としての生存本能が働くため強制的に資本の徴発から逃れられる人が居ない事から生じる富の再配分機能と言えます。

そのため平和な時代から不穏な時代への転換点で、立場上の不利益を被ったり、世代間の格差に不満を抱く人は、戦争による資本と格差の破壊を望むようになる。

本来生物の生存圏争いと言う観点から見た場合、生存圏争いによる破壊が生じると、勝者こそが利益の受益者になる。しかし、これが人間が構築した経済と言うモノを前提に置いた場合、必ずしも勝利者が受益者となる結果が生じるわけでは無くなる。

これは人間以外の生物が争う時、基本的には「相手を食料とするか」若しくは「相手の生存圏を奪うか」のが行われるからである。そのため負けた方は命を失ったり生存圏を失い生き辛くなるため、「敗者=死」が明確となる。

これが人間同士の勢力争い、即ち戦争になると、勝利したからと言って相手を皆殺しにする訳では無いし(歴史上で無い訳では無い)、必ずしも生活できなくなるわけでは無い。(勝利した側も次の戦いに備えなければ成らず、出来る限り占領地で揉め事を起こしたくないため寛容な政策を行う事もある)

また経済活動を行い「生産結果を保存する"通貨"」や「投資により陪乗で富を生み出す"産業資本"」と言うモノを作り運用するため、領域内で先に資産を構築した者ほど有利な生き方が出来る様になる。そのため領域内のコミュニティーでも"人間以外の生物が行う勢力争い"を行わずして、圧倒的に有利な態勢で資産を構築してない人に対して上から抑圧する事が出来る様になる。

これを「先に構築された資産の破壊」と言う観点から、資産の均一化を誘発できる事象が戦争と言うモノである。

これらの資産の均一化が起こる過程として、

「通貨の過剰発行によるインフレーション」
「安全保障の確立のためのマンパワーの配備」
「資産破壊による資産価格の低下と、再造像の為のマンパワーの配備」

の三要素が挙げられる。


①通貨の過剰発行によるインフレーション
一つ目の要素として、現在の国家では戦争目的(安全保障の確立)を達成するために不換紙幣の大量発行による国家運営が行われる。不換紙幣は紙に中央銀行の保証を印字して流通させただけの媒体で、刷り過ぎれば市場に出回っている物資やサービスとのバランスが維持できず、物価の上昇に寄与してしまう。

そのため本来は、物資やサービスを生産できる産業資本を有する資本家に生産依頼が集中し逆に富の集中を促してしまう。


②安全保障の確立のためのマンパワーの配備
第二の要素として、国運を掛けた戦争に負けるわけにはいかないため、いままで必要とされていなかった者にまで声を掛けられ、戦時動員体制が構築され、これに発行したり増税したりして捻出された資金を注ぎ込み、今まで富を取得できなかったものにまで富が行き渡る事になる。

これにより平時では必要とされていなかった人が必要とされる体制になるため、平時の不況よりも、戦時の方が人を必要とされる風潮が作られ、平時に必要とされてない勝った人も自身の必要性を確認する事が出来る様になる。

また戦時で贅沢品が忌避される風潮も生まれるため、全ての生産資本を有する資産家に富が集中するとは限らず、実際に戦場で戦う人を遇する為に、資産家よりも末端で働く人に対してより多くの富の再配分が生じ、富の均一化が進んでゆく。

これは「①」だけでは資本家にとって富の集中が生じてしまうところを、この強制的な徴用によって末端の人達により多くの富が行く構造が作られる事から、富の偏差の均一化が進むのである。


③資産破壊による資産価格の低下と、復興の為のマンパワーの配備
仮りに負けたとしても国土が戦場となった場合は、産業資本の破壊からや復興のための国有化の影響で資産家に富が行き続ける構造が破壊されたり、国有化された産業資産から生み出される物資やサービスが国民全体のモノに成ったり、また戦時と同じく復興動員の為のインフレを恐れぬマネー投入が末端まで行き渡らされるため、所得から消費に回り産業資産に投入されるマネーの流れの全てが国民全体に使用され続けると言う形で、資産の再分配が行われる事になる。

現実第二次世界大戦の敗戦国の日本とドイツでは、これ以上にない程に産業資本が国民全体に平均的に行き渡り、格差の是正が行われる事と成った。


これら①~③の流れは、国運を掛けた大戦争や大敗北ほど過剰に行われ富の再分配を加速させ、その必要のない適度な緊張で有る程、産業資本を独占する資本家に富が行く事になる。

そのため適度な緊張から発生する軍拡競争程度なら行う必要性がなく、大戦争であれば有る程、皮肉な事に富の平等化を推し進める事になるのである。

事実、米国も第二次世界大戦では富の均等化が進み、その後の覇権大国としての経済力の基盤作りに役立ったが、その必要が無い冷戦や国運を掛けた戦争の無い冷戦後であれば有る程、産業資本を有する資本家に富が集中する事になった。


★「不謹慎な事を言うな」と思う人に・・・
上記の事から「不公正な平和から戦争に至る時代」よりも多くの人にとって公正な富の循環を生み出す戦時体制の方が、富の再分配や人が人として求められ生きる必要性が認識できてしまい、幸福を感じられてしまう時代と言えてしまう。

逆を言えば「平和な時代の最終局面こそが、平和と言うモノを勘違いした人間が、戦争を誘発し多くの人を不幸に追いやる行動を起こさせる不幸な時代」と定義する事が出来るのです。

そして最も幸福が感じられるの時代は、悲劇が縮小し不幸の中から幸福が芽生え爆発的に膨れ上がる「戦争が終結し平和復興が始まる時代」で、これこそが人が人として文明的に生きる、上り調子な最も幸せな時代であると言えるのです。

そして此処で最も気負つけなければ成らないのが、この最も幸福な時代のみを経験し、戦争の醜さだけを覚えさせられ、"戦争の始まる直前から戦争に移行する最も不幸な時代を知らない世代"が、その不幸な時代を学ばず、また社会を構成する富の流れの循環を意識もせずに、自己の繁栄のみを謳歌する様な事が有れば、自身の子孫たちを不幸な時代に向かわせる事になると言う点です。

なおブログ主は現実に起こった事を述べているだけで、それが嫌なら平和で不公正社会な時代を公正社会にする努力を、「最も平和で幸福な時代を生きた力を持つ者」が行うべきで、この努力を行わずして平和を語る事は出来ないと言えます。

しかしこの様に歴史と経済を俯瞰して見ると、大戦直前に日本を戦争に巻き込み共産化を目指した敗戦革命論者が居たと言われていますが、資本の想像と破壊の流れを見た場合、敗戦する事自体が資本の再配分を促す事象なので、共産主義革命を目指す必要さえなかったと言うのがブログ主の考察となります。

この様に見ると歴史の皮肉に苦笑してしまいます。

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以上で二回に渡って記事にした、戦時と平時の循環構造と幸不幸に関しての考察を終了しようと思います。

今回の記事は、人によっては異論を抱く人も居るとは思いますが、今回書いた事は「戦争と平和」を、「戦争は嫌だと言う感情を抱くに至る原因」と「戦争は平時よりマシだと思う感情を抱くに至る原因」をいかにして人は思考し「時には戦争に向かい、時には戦争を終わらせるのか」の一考察に過ぎません。


その事を考えた上で気軽に読んで、真剣に考えて見てください。

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2019年04月19日

今回は、「戦争と平和に関しての考察で「戦争の時代は不幸だ、現在の平和な時代は幸福である」との考えを持つ人に対しての警句と言う意味での一考察となります。

戦争と平和と言えば、文学にもなる人類の抱える命題とも言える事ですが、最初に述べた通り、平和な時代を手放しで賛美し、戦争行為を無条件で批判する言論人が多くいる昨今、「平和は良い現象で、戦争は悪い現象」であると一概に得ない事では無いかと最近のブログ主は考える様になりました。(なおブログ主は、トルストイ著の"戦争と平和"は未読です)

これは、平和と言う現象こそが、無条件に無自覚に享受すればするほど、戦争と言う事象を誘発させるモノであると考えられるからです。

ブログ主も若い頃は、戦争とは悲惨な事だと考えていましたが、「お金、労働、等価交換、経済、そして環境の激変」などの多様な要素の連動を考慮するようになった現在では、実は戦争と言う事象は、平和の中で起こりうる可能性が増大し、環境の激変によってその可能性が表に浮上して来る事象であると認識するようになったからです。


★戦争が起こる理由は「環境の無視と、生物の性」が要因である
平和な時代が「戦争の要因となる要素が増大する時」と言うのは、簡単に言えば、人間が「有限な知性」しか持たず「繁栄を求める生物と言う存在」であると言う点が重要な点となります。


まず「有限な知性」とは、人間が戦争に結びつく事象の全ての因果関係を理解していないと言う点です。これは当然で歴史上の偉人や天才、おバカなブログ主もその様な関連性の全てを把握した人は居ないはずです。もし分かるのであれば、そもそも戦争事態が起きていないと考えらえます。

これは別に「誰か何処かの野心家が、世界征服を行いたくて、陰謀を巡らせている」と言う事では無く、そもそも世界を構成する自然環境が絶えず変化し、人類の英知を結集させてもその全てを分析予測できるわけでは無いと言う点が重要です。

これは環境の激変によって生命活動を維持するために必要な物資が突如確保できなくなったとき、生存のための土地と食料とエネルギーの確保に走り始め、それらの事象が世界中で生じると、各国同士の安全保障確保の行動が激突し、戦争が発生してしまうと言う事です。


もう一つが「繁栄を求める生物と言う存在」であると言う点で、これは人間が他の生物と言う存在と同じで「常に子孫を残し繁栄させる事を第一の目的として存在している」ため環境が許す限りにおいて、数を増やしてしまう様に生存本能が働いている事です。

上記の二つの要素が重なり合った時生じるのが「安定した自然環境や経済環境で数を増やした人類が、環境の激変でライフスタイルを維持できなくなり、増大させた消費力や人口を維持する為に、他の領域に進出しなくては成らなくなる」と言う事です


これらを簡単に時系列で説明すると・・・

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1.平和は人の命が生み出される
まず平和な時代が有り、開発や技術投資が活発行われ、地域によっては貿易等で域外から自分達で作るより安いコストで物資を調達できる環境が整えられ、その状況が加速して拡大し、人口の爆発的な増大と一人当たりの消費力の拡大が生じる様になる。

この時は将来予測される「拡大し続けるであろう人口と消費力を考えた上での投資」が行われて行く事になる。

 
2.平時から戦時に移行する時は、命の価値が落ちる
問題は「1」の後で環境が激変し、その地域だけではなく世界規模で生命活動と生活を維持する最低限度の物資が今までと同じコストで生産できなくなると、生産できる地域から高コストで調達する負担を背負う事になる。

物資のコストが上昇したので、働いて得れる物資の量が減るか、必要以上に働かなければ物資を手に入れられない様になり、実質的に労働力である「人」と「物資」の価値が激減してしまう。

これは「1」の環境の激変が生じる前の安定的な拡大期に人口を拡大させたがゆえに起こる問題で、人の価値が物資より低下する事によって、この環境の変化期に労働に従事した人達は、環境安定期で所得や物資を得ていた人よりも重い負担で所得や物資を得なくてはならない。

ただしこれらが自然環境だけの問題であれば、物資を確保するために所得を稼ぎ投資しなくてはならないため、人手は必要になるため労働者は重宝される事になるため、最悪な状況には成らないと考えられる。


最悪なのが人間が経済活動を行っている事から発生する問題で、経済的な大規模投資を「1」の時点で行い続け、環境激変後に投資利益を確保できなくなった時、この場合は不良債権が生じてしまうため、投資家は投資の縮小と労働者への仕事の発注を控えてしまう事になる。

そのため平和な人口拡大期に増えた人口全体に仕事が回らず、また所得が確保できなくなるため、不足し高騰した物資を人々が調達する事が出来なくなり、食い詰める人が増大し社会不安が拡大する事になる。

その様な社会風潮の世で育った人たちは、労働者の労働力より生命を維持する物資の価値が高くなるため、また自身の労働力が安値で買いたたかれるため「人の命はゴミの様なモノである」と言う認識を有する人が増えてしまう。またその様な社会で利益を受けれた資本家や雇用主は、自身の羽根井が維持されているため「それが正しい行いである」と認識し、他者を食い潰す事に罪悪感を抱かなくなる。

この状況が長く続けば、労働者が餓死したり、そこまでいかなくても家庭を持てくなくなったりして、少子化が進む事になる。

これらの事象は、言わずと知れた第二次世界大戦の要因ともなった米国発の大恐慌や、日本の平成バブル崩壊後の社会情勢がソレに当たる。

その様な社会風潮で移民を受け入れる様な事になれば、更に人の命をゴミ化させてしまう事になる。

物資が極端に足りない状況や、労働力が極端に安く買いたたける状態が続けば、物資確保のための他領域への進出や、社会不安の増大からなる国民の国粋主義化などが生じ、戦争に発展する可能性が増大するのである。


3.戦争は人の命が無暗に消費される
上記の事が生じ戦争に発展した場合、最初は物資確保と民心の安定のために国民も戦争を支持し情熱を持って戦争にのめり込むが、その内戦争での物資と人命の消費が、人の生み出せる供給能力を超えてしまい生活が破綻してしまう。

そうなれば戦争するよりも生活を維持する為の戦争を終了させ民需再生を行った方が良くなり、厭戦気分が高まり戦争終結に動く事になる。これはたとえ戦争を仕掛け物資を確保するとしても、相手も反撃し戦争を仕掛けた側の意図を挫こうとするために起こる事象である。

ただしこの戦時では、戦争に勝つために国内の生産力を効率的に集中させ運用する為に、国家による資本と労働力の徴発が行われ、皮肉な事に富の再分配が行われる場合もある。


4.戦時から平和に移行すると人に命が大切にされる

何故厭戦気分になるのかと言うと、これは戦争で手に入れる利益より戦争で失う利益が多くなるため、戦争を終結させた方がお得となるためである。

この時、戦争で失った人手の大きさに愕然とし、生き残った人が必要最低限の物資を生産する為に必死で働くのである。

また戦争で、国内に貯め込まれた産業資本が破壊されてしまうため、「2」で生じた資本家と労働者の間での資本格差が無くなってしまい、同じスタート地点から再出発になる。

更に敗戦国であれば、復興の為に産業資本の一時国有化も行われるため、皮肉な事に富の復興が終わるまでは富の平等な再配分が進む事になる。これを行わなければ、国家を構成する人が、人として生きる最低限のインフラ構築さえできないため、この様な共産主義制度が一時的に適応される事になる。
 
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上記の事象は、戦略家であるエドワード・ルトワック氏の論文「戦争にチャンスを与えよ」に載っていた事を、ブログ主なりに噛み砕いて字面にしたもだ。(著作権の問題でコピペはしません。詳しくは氏の論文や書籍を入手の上で読んでください。本当に為になります。ただし氏の述べている事は、あくまでも戦争の"機能"に関して問題で、経済問題にまでは普及しては居ません)


★「正の循環の継続限界」と「負の循環の継続限界」
前述で重要なのが「限定環境で確立された循環構造の継続限界において、大前提が変わり一つの循環構造のが変化する時、変化の激変で利益を享受できる者と負担を押し付けられる者が居る」と言う事です。

人間は知恵や技術を利用する事で、自然環境の限定的な変化の影響を極力受けない様にライフスタイルを確立させたが、それらを育み育てる通貨によって構築された経済循環の影響は、逆に強く受ける事になった。

ここで問題なのが、人間と言う生き物は、他の生物とは違い「腕力による地位の確立や生存の確保を行う生物では無く、立場や経験により地位や生存圏の確立を行う為、個人の能力よりも社会に進出した時期や働いていた時の経験によって生活を維持する為の力が制限されてしまう」と言う点である。

この為、実力やヤル気が無くても人手不足な時期に社会に出れば雇用や給料はある程度約束されるし経験も積める、逆に実力やヤル気が有っても、需要不足で人手が足りている時は、労働力が安値で買いたたかれ使い潰されてしまう事もある。

これが環境変化特に「経済環境の変化による循環構造の変化からなる労働力に対する価値の変化」が生じると、「先に社会に出て経験を学び地位を確立した者が、その地位からなる人事権を利用し、後から社会に参入する人に不当な低賃金労働を強いて、生きて行くのも苦しい状況に追いやる」等と言った事も起こってしまう。

これは実力主義とは別の「タイミングによる利益の享受」に過ぎず、時の政府の構造改革不足による恩恵を受けたに過ぎない。(なお日本の平成バブル崩壊による不景気の時財政改善のために構造改革を行ったが、純粋に経済と赤字国債発行抑制の観点で見た場合、悪化させる為の改革しか行っては居ない)

これによって「正の循環で利益を得た先に社会に出ていた世代は、若い世代に負担を押し付けて自己の利益を最大化させる」と言う行為が確立してしまい、この状況が長く続けば、不満を持った後の世代が革命や暴動や内紛を起こしたり、それが叶わなければ少子化に成り人手が足りなくなる状況が到来する事によって、賃金を上昇させなくてはならない状況に成り、生の循環構造へと立ち戻ってゆくのである。

その間、人を育てたり、正当な給与で若い世代を雇わずに低賃金労働を人を使い潰した前世代は、人手を確保できなくなったり、人を育てる経験を身に付けれない事から真面な労働者を育てる事が出来なくなり、生の循環構造下での社会で生きて行けなくなるので注意が必要である。


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今回は記事が長くなりますので、前後編に分けます。

続きは次回へ!

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2018年01月07日

今回は、民主主義制度のもとで税制度を多数決で決める事の危険性に関してです。


古来から税制度は、富や所得の再分配や、経済の構造転換や過熱を抑えるなどのスタビライザーとしての効果のある制度として有名です。その様な税金制度も、国民全員が直接的もしくは間接的に政治に参加する民主主義制度下では、独裁権力下での税金制度とは、全く違う意味を持ち得ます。

基本的なブログ主のスタンスを提示しておきますが、「独裁権力体制で独裁者が社会全体を見渡して税制度を決めるのは問題ありません」が、「民主主義制度下で国民の投票により多数決で税制度を決めてはいけない」と言う事です。

これを読んで、民主主義制度下で、投票で決められたのならば、ソレに従うのが筋では無いのか? と多くの人が考える事でしょう。

しかし、投票によって、全員で決めたからと言っても、必ずしも満足の行く結果が得られるわけでは無いのです。


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★独裁権力下での税金

独裁権力下での税制度は、基本的に独裁者が市場を見たり自己の考えで税制度を決める。
当然国民の思う通りの税制度や再配分に成るとは限らない。神のごとき知恵の持ち主であれば問題無いが、欲望に負けて身勝手な税制度を作る歴史上の為政者も多くいた。

しかし、どれだけ独裁者が強力な権力を持っていても、自国の国民の全てを敵に回す政策を取れるわけでは有りません。ある程度の飴を、民に嘗めさせる様な政策も取らなくては成らないでしょう。

例として、
1001人の人が住む国がある。
1000人の平民と1人の富豪が住んでいる。
平民の所得は100円である。
富豪の所得は10000円である。
合計での所得は、110000円である。
富豪は所得を二割増やしたいので、独裁者と結託して平民に対して増税する事になりました。

独裁者は、所得の再分配政策として、平民の税金を一円から二円にして、その税収を富豪に与えました。


平民の税金が「1円」から⇒「2円」になり、所得が『98円』になりました。

富豪は平民から巻き上げた税収で、所得が『12000円』になりました。

富豪の所得は二割増しになりました。
平民は所得が2%低下して苦しみました。

但し、独裁者も平民に反乱を起こされたくないので、これ以上の増税をしませんでした。



★民主主義制度下で投票での税金

上記での独裁権力下での増税は、どれだけ平民に対して税金を上げても平民の人数は圧倒的大多数で、どれだけ権力者や富豪の力が強くても平民を全員的に回した時には、数の力で押しつぶされてしまい、勝利する事が等は出来ません。そのため民を締め付ける増税等の行為も有る程度の節度を持って行われます。

ですが、これが民主主義制度の投票等での決め事となると話が全く変わってきます。


例として、
1001人の人が住む国がある。
1000人の平民と1人の富豪が住んでいる。
平民の所得は100円である。
富豪の所得は10000円である。
合計での所得は、110000円である。
国民投票で平民の所得を二割増やすために富豪から徴税する事になりました。

平民の所得が、「100円」から⇒「120円」になり……、ませんでした。

富豪の所得が、「0円」になりました。

富豪の所得を全て平民に移転させても、平民の所得は「110円」にしかなりませんでした。

富豪は所得を奪われて抗議しましたが、多数決の国民投票で決まった事なので、数の力で押しつぶされました。


そう、多数決で税制度を決めると、圧倒的大多数が少数の人から金をむしり取る事と成り、金持ちの貯蓄はすぐに無くなるリスクに晒されるのです。

無論これは日本の様な、他国と比べると比較的格差の少ない国の話です。米国の様な1%以下の富豪が富の半分以上を制する国では、富の再配分の意味で裕福層に多くの税金を掛けなければいけません。

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上記の事はかなり極端化して書きました。現実はもっと複雑になっておりセフティーもかけられている為、この様な事になる事は無いとは思いますが、この様なリスクは常に付きまといます。

但し、書いた事にもかなりの真理が含まれており、どれだけ独裁者が強い権力を持っているとしても、国民すべてを敵に回す事などは出来ず、逆に民主主義制度下での国民投票で税制度を決めてしまうと、圧倒的な数の力で少数者の意見が踏みつぶされてしまう可能性が有るのです。

特に国民全員が参加する直接投票などを行ってしまうと、それに逆らう勢力は、民主主義制度下での「悪」にされてしまう可能性が有るので注しなければなりません。

人間が生物であり生存権を掛けて生きる存在である限り、これはしょうがない事なのかもしれません。


★重税による不況は短期的に必要

では国民に対して重税を掛けて、苦しめる様な事をして良いのか?と言う考えも有ると思います。多くの人達が不幸になる状態は正しい事では無い、と思われる人も多いと思います。

では逆に幸福な状態とは、どういう状態なのでしょうか?

「幸福な状態」と「不幸な状態」は、どの様にした認識するのでしょうか?

これに関しては、対比するしかありません。幸福な状態だけではなく、不幸な状態も味わっていなければ、対比自体が出来ません。


そう、実は国政にとっては、全ての人が不幸になる政治体制を作り上げ、本当の幸福は何なのかを真剣に考えさせることもまた重要な政策となるのです。

そして真の幸福、本当に大切な事が分かれば、そこに対して需要が生まれます。

そのため意図的に不幸な状態に追い込む事によって、真の需要を表に浮き上がらせる愚政も時には必要になるのです。


この様に、税制度は常にパラドキシカルロジック(逆説的論理)を前提に考えて運用しなければ成りません。

なぜなら税金の増税とは、基本的に国民の生存権を脅かす行為の一つでもあるからです。国民は当然増税に対して反発する。増税が行われれば消費を減らす行動を行い、結果的に税収が悪化する。国民は真に必要なモノやサービスだけを購入するようになります。企業はそこに対して投資をすれば良いのです。


しかし当然の事とは思いますが、不況や不幸な状態が延々と続きますと、国民は生きる事に疲れて、短絡的かつ破滅的な思想に憑りつかれる事があるため、長期にわたる意図的な愚政は諸刃の剣ともなり非常に危険です。(今の日本の現状です)

愚政、増税も、計画的に程々で押さえて置く事が肝要です。

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民主主義化で税制度を考える場合、パラドキシカルロジック(逆説的論理)の視点で、考えるのは非常に重要な事です。これが出来ないと、国家が維持できない以上の人口を増やしたり、高所得層や高技能保持者に逃げられたりする事が有るため、非常に危険な状況となります。

政治と言うモノは「国民の支持を受けれる良い事を考えた」から、良い結果になるわけでは無いので、綺麗事を言う政治家や企業経営者は、あまり信用しない方が良いでしょう。

ブログ主も、その当たりを考えて投票を行っているのですが、国内要因だけではなく海外の経済状況も日本の税制度に影響を与えるので、考えるのか面倒くさいと思う事も有ります。


重ね重ね申しますが、今回の記事は、分かりやすいように超極端化をしているので、この様な税制度を行ったからと言って、必ずしもそうなるとは限らない事を前提にして読んでください。(最後に書くな)

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