西南戦争

2018年05月29日

本日は歴史に関する事で、特に「明治維新」に関しての考察と成ります。

明治維新と言えば、西欧における大航海時代以後、爆発的に文明力を増大させ、世界中に侵略し領土と国力を増大させた西欧列強国相手に、このままでは国家を侵略されかねないと危機感を抱いた、当時の日本の若者たちが地位や地域を越えて団結して、改革の妨げとなっていた徳川幕府を打倒して新政府を設立し、敵である西欧からの技術や政治システムを取り入れる事により、近代化を推し進めた一連の大改革の事です。

大化の改新と並ぶ日本史上最大の改革で、今日の日本の基盤となった社会の基盤となった文明開化の運動です。

この明治維新は、海外の国から見た場合、奇跡としか思えない事なのだそうですが、ある程度の日本の歴史を調べた場合、それほど奇跡と絶賛する様な事では無いと言う事が分かります。(偉大な改革なのは認めますが)

今回の考察では、なぜ当時の日本が明治維新と言う大改革に着手でき、成功の果実を手にすることが出来たのかを考察して行こうと思います。


★欧州列強の到来は予測されていた
明治維新を語る上で、それ以前に語らなければ成らないのが、明治維新を成功させることが出来た日本の知識や技術などを総合した文明力や、当時の人達がどれだけ危機感を抱いていたかの情報力や認識力です。

そして、それらの力を育み育てた江戸時代と言う一時代の事です。

ついこの間の教育(現在でもそうかも)では、江戸時代の日本は鎖国を行い、海外との関係を絶ち天下泰平の平和を享受し、今でいう平和ボケに浴していたと言われています。

しかし、現在のこの認識は間違いだと言う事が、色々な資料を調べると分かると言うのが、歴史の専門家の人達の意見となります。(チャンネルくららを参照)

当時の幕府はオランダを通して海外の情報を入手しており、西欧列強が日本に向かって迫っていると言う事を、認識していたと言う事が現在では分かっています。

それでも日本が平和ボケしていたという認識が、何故現在の日本人に伝わっているのかと言うと、明治開国による一連の混乱が始まる少し前まで、経済的に好景気に浮かれて海外の情報に無頓着な状態が数十年続いていたからのようです。

それ以外の時期は、例えば江戸時代初期から鎖国の時代までは、朱印船貿易による海洋ネットワークにアクセスできる時代が続いた事により、海外の情報は比較的に取り入れていましたし、鎖国以後もオランダを通じて情報を仕入れています。かの徳川吉宗もキッチリと海外の情報を仕入れていたようです。

この様に開国の混乱が起こる数十年前からのみ、海外の事から目を逸らしていたと言う事が現在では分かっています。

幕府にしても全く危機感が無かったと言う訳でも無かったようなのですが、それ以前の財政問題で足を取られていたようです。

当時の幕府が全く役に立たない所が、足を引っ張る状況だったとは言え、日本人全員がそうだったというわけでは無く、危機感を持っていた地方の大名や下級武士などは、幕府を無視して外国の知識や物資を勝手に購入して、知識や技術を高める事を行っていたと言われています。

そして、幕府が動かずとも勝手に動ける、その様な人材育成を江戸時代250年の間に行っていた事が、日本が明治維新を成功させる事が出来た原因と思われます。


★元禄バブルの崩壊と改革
ブログ主が明治維新を成功させれる人材を国家レベルで育てる事で出来る「国家体制」を作る切っ掛けが成立した時期は、元禄バブル崩壊とそれによる享保の改革だと思っています。

元禄バブルと言うのは、1688年~1704年間の元号の時代に起きた好景気経済です。当時の日本は戦国時代も終わり天下泰平の時代が続いたため、人口爆発による生産力と消費力の拡大とソレを見越した投資による、経済のバブル化が進行しました。

そしてそのバブル経済が崩壊し長期に渡る不況に突入したのです。ご存知の通りこの元禄バブルでこさえた不良債権処理に、かの暴れん坊将軍でも有名な徳川吉宗が乗り出し、享保の改革と言われる大改革を行ったのです。

そしてブログ主が明治維新を成功させた原因は、この享保の改革に有ると考えています。

理由は享保の改革以降、日本では人口が全くと言っていい程増えていないからです。

江戸時代の日本は、現在とは違い自給自足の経済が確立されており、バブル景気の様な好景気とは言え、基本的に海外から膨大な食糧を輸入すると言う事は無かったはずです。

その様な国家で、投資の行い過ぎによる見せかけの富の膨張が起こったり、バブル崩壊による大量の不良債権が発生したとしても、通貨や信用レベルによる富の毀損が起こるだけで、実際の国家全体で国民を養う生産力に大打撃があるわけでは有りません。

ましてや当時の日本は、コメを基軸とする石高制を採用していましたので、享保の改革による生産の効率化と、不良債権の処理が済めば、国内で養える人口は増えて豊かになる筈です。

にも拘らず、享保の改革以降の財政健全化した後の日本では、人口の増大が殆ど起こっていません。これが意味するところは、生産効率は上昇したが、人口の増大には繋げずに、一人ひとりの教育に資本を注ぎ込み、国家全体で知恵や技術による文化文明の質の向上に繋げたと考えることが出来るのです。

事実、江戸時代の日本は、世界でもまれにみる程に識字率が高い国で、これも享保の改革で捻出する事の出来る様になった生産リソースを、人口を増やすよりも、教育の質を上げる事に費やした結果であると考察する事が出来ます。

享保の改革で有名なの知識人は、二宮金次郎(薪を担いで本を読んでいる人)等が有名で、当時から知恵や技術者の力を使って、人々の生活を改善するのに貢献した人が多くいた事が語られています。


★江戸時代の資本の蓄積、特に人的資本が明治維新を成功させた

元禄バブル崩壊以降の日本では、不良債権の処理過程で生産力の向上を図り、一人当たりの生産効率を上昇させ他と思われます。その結果として世界屈指の識字率を誇る国になり、それらの人材が明治維新を成功させる事になりました。

また識字率が高いと言う事は、文字の読み書きによっての意思疎通や、物覚えなどの教育を行いやすい事を意味しています。

文字の読み書きができ教育が整っていると言う事は、文字を通してあらゆる分野で人材を活用できる事を意味しています。

当時の日本は、あらゆる産業に転用可能な人材と言う資本を整えて置く事に成功したが故に、産業革命の工業化が可能だったと思われます。

日本以外のアジアやアフリカの国々が、産業革命を起こせなかったのは前提条件である自然環境による工業能力の発達不足以外には、この識字率の低さが原因と思われます。

江戸時代末期に米国との通貨問題で、金銀の交換比率が海外とは違うレートで固定されてしまった為に、日本の金が海外に大量流出する事により経済が混乱すると言う事が起きました。

しかし、どれだけ大量のマネーが流出しても、育てた人材を失ったり、商品を生産する能力が崩壊したわけでは有りませんでしたので、マネーが無くても人材を働かせる事により、外貨を稼いで海外から知識や技術やシステムを導入することが出来たのです。

逆にお金が有っても人材が居なければ、保有している金銀など短期間で無くなり、工業化など達成する事は出来なかったでしょう。


★維新以後、巨大な外敵が居た
明治維新が成功した最大の理由が、巨大な外敵が存在していたと言う事です。

南から海を越えて、英国とフランス、北からハートランドを制したロシア帝国、太平洋を挟み新興の米国が迫り、日本は欧米列強に囲まれ四面楚歌状態でした。

領土的にも大国では無く、四方向を包囲され、挙国一致体制でなくては、独立を維持する事は出来ないと言う認識が当時の人達にあったと思われ、必要以上に内乱を続けて国力を疲弊させると言う愚行を行わずに、明治維新を行うことが出来たのでは無いでしょうか。

実際領土的に大国で経済力も有った中国は、市場規模の大きさから自国の国力を勘違いして、生産能力が無いにも関わらず西欧の国々を下に見て、工業化を成功させれずに没落してしまいました。

日本は小国であり人材が揃って居たが為に、明治維新に成功したのだと思います。


★全員が負けたから

明治維新が成功したもう一つの理由が、旧体制の勢力の中に勝利者が居なかった事です。

明治維新の時に起こった短期的な内乱は、基本的に薩長同盟と徳川幕府が争いました。そして勝利した薩長同盟も明治新政府が行った廃藩置県で、全ての利権を失い政治的な地位から追われてしまいました。

明治新政府を作り上げた人たちも、その時点での「非効率的で地方の力が強い状態の国割では工業化を進め難い」と言う事が分かっていたため、また「新政府内で薩長勢力だけが勢力を伸ばした場合、他の国の人達が不平等感を持ち得てしまう事を恐れたため」、恐らくはそれらの理由で、一斉に各藩の藩主が集まった時を見計らい、その場で廃藩置県を実行し、旧藩主たちは全員が失職させる事と成った。

表向きは、旧藩主の全ての大名たちが、電撃的な廃藩置県で権力を失い敗北したため、少なくとも旧藩主たちは、全員が同じ敗北者であると言う認識を共有し、藩ごとの恨みは緩和されたと思われます。

※注意:旧藩主関連とは関係なく、内乱で犠牲になった関係上で新政府に憎しみを抱く藩も有ったり、山口県(旧長州藩)が新政府内で短期的に行政分野で強い影響力を行使した居た事実は存在している模様なので、完全に全員が敗者であったとはいえないかも知れません。

更に明治政府内でも、「西南戦争」や「大久保利通の暗殺」等で必ずしも勝利した方が勝者として残り続けることが出来なかった点も無視はできません。

また、国内経済においても、幕末通貨問題で国内経済が疲弊しており、その状態をもたらした欧米の国は敵であると言う認識を日本国民に抱かせる事となり、挙国一致に近い体制を維持し工業化を進める上での団結力になっていたのでは無いか、と考察する事が出来ます。

もし国内のどこかの勢力が圧倒的な勝利を収めて、独裁体制を維持したのでしたら、それを恨む国内勢力から、大規模な反発が続いていたでしょう。ですが全員が負けたからこそ、「お互い様」と言う雰囲気が作られたのでは無いでしょうか?


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以上の様に「人材」「外圧」「国内では全員敗者だったため国内の勢力間で恨みが残り難かった」等の点が、日本の明治維新を成功に導いたのだとブログ主は考えています。

皆さんはどの様に考えたでしょうか?

当然の事ながら当ブログで書かれている事は、ブログ主の主観で書かれている事なので間違いや勘違いが有るかもしれません。それを前提の上で読んでください。


本日はココまで!!



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