覇権国

2018年03月11日


本日は、英国とフランスの欧州における覇権抗争を地政学の視点から考察します。

英国とフランスと言えば、ヨーロッパ諸国の世界進出である大航海時代にスペイン、ポルトガル、オランダに続き世界各地域に進出し、植民地政策と帝国主義を前面に押し出した対外侵略政策を推し進め、世界帝国を築いた大国です。ここ近年ではその国力は衰えていますが、100年前には文字通り世界の国々の中でも主役でした。

今回は、その両国の大航海時代以降の地政学戦略を、歴史を紐解いて簡単に説明しようと思います。


★英仏の成り立ちとヨーロッパ

フランスは古来にガリアと呼ばれており、ユリウスカエサルのガリア戦記でも知られている地域で、ローマ帝国崩壊後にこの地と現ドイツ地方などを制したカール大帝がフランク王国を興し、フランク人の国として成立させた。

英国も元はブリテン島南部がローマ帝国の領土であったが、帝国崩壊後は混乱の極みにあり戦乱の時代(七王国時代)に突入した。西暦1000年頃に、デンマーク王の統治に入りもしたが、最終的にフランスのノルマンディー公が英国の中心地帯であるイングランド地方を征し、正式にイングランド王に即位した。ただし四代で潰えたため新たにフランスから国王が迎え入れられた。

その後フランスの王位継承権を掛けて、イングランド王とフランス王との間で、百年戦争が起こり、イングランドは大陸に保有していた領土を喪失し、正式に島国になった。

以後、英国とフランスは島と大陸ですみ分ける事と成った。

また大航海時代に突入して以来、欧州内部での抗争をソコソコにして、共に海外進出を推し進める事となりました。


★英国とフランスの欧州覇権戦争

欧州各国が大航海時代の海外進出により、世界各国から富や労働力を欧州に持ち込んだ結果、ヨーロッパ諸国は豊かになりました。その富が一般市民に届くまでに時間は掛かりましたが・・・

その結果として中規模国家の国力の上昇や富の偏差が起こり戦争などに繋がりました。その中で国力を伸ばし、欧州の覇権を争ったのが英国とフランスです。

イギリスは欧州から孤立した島国。

フランスは、陸軍国にして欧州一の人口大国。

この覇権争奪戦を制したのは、英国でした。その戦略は独特で、欧州の地形と自然環境の影響を受け成立した国家群と、自国が孤立した島国であると言う特性を逆用するオフショアバランシング(沖合からの遠交近攻)戦略と言われるモノです。


①英国のオフショア・バランシング
「バランシング戦略」と言う戦略は、巨大な勢力が出現した時に、その勢力がそれ以上巨大に成らない様に周辺各国が連携して、対応しつつどこか突出した大国が出現しない様にする戦略となります。そして「オフショア・バランシング」とは、島国が沖合から大陸諸国に行うバランシング戦略の事です。

基本的に国家は、軍事力を整備していざ戦争が起こった時に戦える様にしていますが、戦争は生産に結びつかない行為なので、軍事や戦争行為ばかりに力を注ぎ込むと、民間の生産が停滞し国家が疲弊してしまいます。


地図:英国のバランシング戦略
1英国のバランシング戦略


しかし、これは陸軍国家の話で、国境を持たない島国は、人員を取られる陸軍の整備にリソースを取られる事無くこのバランシング戦略を行うことが出来るため、大陸にある陸軍国家の様に絶えず国境線に兵士を張り付け国力を疲弊させるリスクから解き放たれます。

ただし海軍は海軍で、一人当たりの海軍兵を育てるのに陸軍人以上のコストが掛かり、海軍も整備するのに大量の資本が必要となるので、必ずしもリスクが無いわけでは有りません。・・・が、陸軍国家の被る負担よりはマシでしょう。

そして英国は、ヨーロッパ各国が血を流して争っている最中に、必要最低限の支援だけのバランシング政策を行い、自国が捻出した資本を海外の植民地に投資して、海外での生産能力を拡大させ続けました。大量の紙幣を発行しても、海外でそれ以上の安い物資を生産できる様になれば、実質上の国力の増大となります。

英国はこれら資本と製品の還流構造を作り上げる事により、モンゴル帝国さえも超える人類史上最大の国土を支配する帝国となったのです。


地図:英国の投資と貿易
2イギリスの投資と貿易


関連リンク:
≪政府の負債と対外債務 -1- -2-


②フランスのバランシング

この英国の覇権確立にフランスはどの様に立ち向かったのでしょうか?

簡単です。

フランスもバランシング政策を行ったのです。

しかし英国は島国で、ドーバー海峡を越えてグレートブリテン島に陸軍を送り込む事は不可能では有りませんが、不可能に近い行為と言えます。

ではフランスどの様にバランシング政策を行ったのかと言うと、それは英国の海外領土に対して紛争を仕掛け、同時に英国の敵国にも援助して"けしかける"と言うモノです。

これはアフリカの切り取り競争やインドシナでの勢力争いを始めとして、米国の独立戦争の援助や、ロシアの近代化の援助による英領インドや極東への進出を加速させる、全世界グローバル規模でのバランシング戦略です。

この植民地を含めた海外領土の防衛負担増による圧迫により、英国のオフショアバランシングに対抗したのです。フランスのこの政策により、英国は植民地軍を拡充せざるを得ず、同時に後の超大国であるアメリカ合衆国とロシア帝国が国力を増大させる事にも繋がりました。

この政策を行い続けたフランスは、コバンザメ外交でイギリスの後を引っ付いて外交を行う二等国の様に見られる事が有りますが、それは間違いでこの時点でも世界で二位か三位の工業力の有る大国です。最も他国にばら撒きすぎたせいで色々な国が発展し、回り回ってフランスの国益に反する状況に成る事も有ったので、必ずしも成功したかと言うと「???」と言いたいところでしょう。


地図:フランスのバランシング戦略
3フランスのバランシング戦略


★でもやっぱり英国有利

フランスは身を切るグローバルなバランシング戦略を行いましたが、それでも英国の有利は覆りませんでした。これはフランスがどれだけ海外に援助し英国の負担を増やす政策を行っても、当のフランスが英国以上に負担が掛かっていたのが原因と思われます。

少なくとも最大の経済を要する英国本国の防衛に関しては、陸軍を増大させる必要は無いのですから当然かと思われます。

しかし、この英仏の覇権抗争による同盟候補国の援助等が、欧州の争いを世界中に波及させて、多くの国々に産業革命のタネを撒き、現在の世界を作り上げたと言えるでしょう。そして最終的に、第二次世界大戦後の植民地の独立により両国ともに、覇権国及び争奪国としては、表舞台から引き下がる事になったのです。


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以上が英仏の覇権抗争を歴史と地政学の観点から見た記事となります。フランスのロシアに対する援助等は、ロシアがフランスをも超える覇権挑戦国になる原因ともなっおり、第二次世界大戦後の冷戦期にフランスを含む欧州各国に対して圧迫の原因ともなっているので、フランス人としては微妙な処では無いでしょうか。

以上を持って今回の記事を終了させてもらいます。




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