9.11

2018年10月14日


前回より続く「地理と歴史と資本の流れで見る日本の戦略まとめ」の三回目となります。

時期は戦後復興から現代までの間の流れのまとめとなります。

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⑥「戦後処理」と「冷戦」と「アジアの台頭」
戦後、焼け野原になった英仏独日をしり目に、覇権国家として台頭した米国と挑戦国として対立する事になるソ連によって新たなる時代が作られる事になった。

大戦が終結した直後の世界では、地理的にユーラシア大陸内部のハートランドを領土とするソ連が、太平洋への出入り口たる千島列島を手に入れた事と、更にユーラシア外円部の諸国が戦争の影響で軒並み疲弊して居た事の二点が有る。これは米国から見たらソ連から米国へ至る道にある国家全てが、ソ連の軍事侵攻を阻む壁として役に立たなくなったため、ソ連にのみ込まれて米国と対立するリスクが上昇していた事が認識でき、米国の不安要素として存在していた。

そのため米国が復興支援や軍駐留による防衛を受け持たなければ、ユーラシア諸国がソ連の援助を受け共産化したり、侵略されたりする可能性が有り、この状況が米国の安全保障を著しく脅かす恐れがあり、米国がこれらの諸国より前に出てソ連から諸国を守らなければ成らない状況となった。これが東西冷戦体制と呼ばれる時代の始まりである。


・信用されていないアメリカ
米国は第二次世界大戦において、条約的同盟国だけでは無く、地政学的及び資本的な同盟国である「敵対しているはずのドイツ」にも兵器や兵器を作る部品を供給しており、唯一、条約を結ばず地政学的及び資本的な敵国である日本を潰そうとする、地政学的バランシング政策を実行した居た事が確認されている。このためユーラシア諸国から、既存秩序破壊を行い、殺し合いを行わせる国家であると認識されていた可能性が有り、その事が米国の第二次世界大戦後の外交を難しくしていた可能性として考えられる。

だからこそ表向き「ソ連のコミンテルンに騙され日本に圧力を掛け戦争になった」事にする為、米国では社会主義者を弾圧する赤狩りを行い、ソ連から米国の間にある諸国(特に日本)にソ連側に走られない様な情報操作を行う必要があったと考えれらる。

これらの行動を行った事でソ連と対立してでも日本や同盟国を守り復興させる意思が有る事を示さなければ成らなかった状況に陥っていたと推察できる。

ただし、この米国の経済援助によって後の西側諸国が復興した事も事実である。


・中国大陸の覇権
太平洋戦争が終結した後、空白地帯となっていた日本の支配地域である満州に、ソ連の意向を受け中国共産党が入り、正式にこの地を支配する勢力となった。その後、中国共産党は満州の産業能力とソ連の援助を背景に、国民党との戦いを有利に進め、正式に中原を支配する大国として成立し、その後、東トルキスタンやチベットにまで兵を進め、領土的にも米国やソ連に迫る大国に発展した。

しかしこの中国の大国化によって、潜在的な軍事強国である中国がソ連と長大な国境を接してしまい、中ソの潜在的な対立関係が作られてしまう事になった。


・欧州の鉄のカーテン
中国大陸の内戦と並走する形で、欧州ではドイツに占領政策を布いていた米ソのドイツ国内通貨政策から端を発した緊張が、ついにはベルリン封鎖にまで発展し、後の鉄のカーテンと呼ばれる欧州冷戦構造が表れ始めていた。

この対立によって、米国と西ヨーロッパは、北大西洋条約機構(NATO)を結成し、対立するソ連が傘下の東側諸国と共にワルシャワ条約機構を立ち上げた。この両勢力の軍事同盟機構の結成により冷戦が確固たる形で始まる事と成った。


・日本復活の朝鮮戦争
欧州にて正式に冷戦が形成され始めた頃、極東アジアにおいても、朝鮮半島に置いて冷戦の炎が燃え上がった。(冷たい戦争なのに燃え上ると言う表現は、おかしなものがあるが・・・)

朝鮮半島は戦前より日本の統治下にあり、日本からの莫大な投資を得て繁栄していた。しかしその繁栄は、日本の身を斬る投資があって初めて可能だったため、戦後日本より独立した後、朝鮮半島の人々だけで、国家を維持する事は不可能な状況と成っていた。その為、日本を手元に置いておきたい米国と、米国からの進攻を受けたくないソ連の緩衝地帯として、米ソ両国が軍を駐留する事と成り、両国の軍政が始まっていた。

その様な状態で、隣国中国大陸において行われいた国共内戦が終結し中華人民共和国が建国された事、欧州のベルリン封鎖から始まった米ソ対立の冷戦体制によって、朝鮮半島は米ソ中の三大国の干渉地帯としての価値を帯びる事になる。その状況で先手を打ったソ連が朝鮮半島を自国の勢力下におこうと北朝鮮の支援を開始し、その結果として勃発したのが朝鮮戦争である。

この朝鮮戦争により朝鮮南部を軍政下においていた米国が、対北朝鮮との戦いに巻き込まれ、膨大な軍需物資消費を余儀なくされ、その物資生産発注先として日本が選ばれました。これにより日本に朝鮮戦争特需と言われるカンフル剤的な好景気をもたらし、敗戦で落ち込んでいた経済を復興させる契機となった。

ただし戦争事態は終わらなかった。米国が優位に戦線を進めていたにもかかわらず、米国と国境を接したり、ソ連に満州を包囲されたく無い中国が、北朝鮮に義勇軍の支援を贈ったため、戦線は三十八度線にて膠着状態に陥る事になったからである。

これによって、そのまま朝鮮半島の南北分割が確定し、米中ソの三大国の軍事的な激突地帯と成り続ける事になり、幾つかの島を手放すだけで中ソ両国に米国への侵略経路の提供戦略行える日本は、全ての陸上での「戦争リスクを朝鮮半島に、防衛負担を米国に」押し付ける状況を作る事に成功したと言える。そしてこの三大国拮抗状態が維持される事によって、それら大国に隣接する日本以外のすべての国々が、大国間の勢力争いの負担を受けざるを得ない状況となったのである。


・ブレトンウッズ体制から石油のドル建て化

第二次世界大戦終結前から英国から米国への覇権移譲が始まっており、ブレトンウッズ体制によってドルの金本位復活が決まり、ドルの基軸通貨化が正式に確立された。

しかし冷戦の始まりと、米国以外の西側諸国の復興による工業力強化とそれらに国からの輸入受け入れによって、米国の対外赤字が急速に拡大し始め、ドルの金ペッグ制が維持できない状況となり、体制維持を断念。それ以後、世界的に通貨の不換紙幣化が進み、通貨の産業力ペッグ制に移行する事になった。

これにより金の鎖より解き放たれたドルの価値が下落し続け、他の西側諸国の通貨が高く評価される事になる。その状況においても日独の二国は、他の先進諸国に対して大幅な貿易黒字を計上する産業力の強さを見せつけ、これによって米国のモノづくり産業が日独(特に日本)の前に敗北した事が確定した。


貿易赤字の拡大と軍拡負担によるインフレの影響で、ドルの価値の下落を危険視した米国は、中東のサウジアラビアに安全保障の引換によるドル紙幣の石油引換券化を打診し、ドルの裏付けにする事に成功した。

この政策によって中東諸国にマネーが注ぎ込まれ、ホットマネーによるバブル化が始まり、経済の不安定化が始まった。また米国が中東の紛争に引きずり込まれる原因が、この協定によって作られたと考える事が出来る。

この通貨安定政策と対外貿易赤字の持続によって、ドルが必要以上に世界に巻き散らかされる通貨になった為、世界経済の爆発的な成長が促された事も確かである。

しかし、その代償として米国は、その世界に依存しなければ通貨価値を安定させられない精弱な経済となった。またこの政策によって常に世界に軍を派遣し世界秩序の維持を図らなければ、貿易の不安定化と通貨価値の下落が誘発されてしまうため、米国は世界秩序を保全する負担を背負う事と成った。


関連リンク

・歴史と地政学で見る冷戦
 ≪-世界の動き-≫ ≪-日本の政策-≫


⑦冷戦終結と米国ドル覇権の終了

冷戦の終結は1989年のマルタ会談によって宣言されたと言われているが、実際には1991年のソ連崩壊が冷戦の終結と認識されている。このソ連解体により、米国は挑戦国であったソ連を破綻させ、唯一の超大国として確定した。


・軍拡競争とエネルギー政策の失敗によるソ連解体

ソ連の破綻した理由は幾つも考えられる。「軍備拡張競争で通貨を発行し過ぎてインフレに耐え切れ無かった為」、「化石燃料に大規模投資したにもかかわらず、購入気体先の国がバブル崩壊とエネルギー資源の多様化で、購入してくれなくなった為」、「社会主義政権の計画的統制経済が市場の需要と供給を満足させられなかった為」、などなど幾つも理由が存在している。

これら政策の失敗と米国との競争に耐え切れなかったソ連は、米国に冷戦の終結を打診し、マルタ会談によって実現した。最もソ連が崩壊するまで、米国の"経済を利用した攻撃"は収まらなかったと言われている。(むしろベルリンの壁の崩壊からが真の抗争が始まったと言われるぐらいである)


・日本のバブル崩壊と米国の覇権国化

冷戦末期に日本は官製バブルを膨らまし、バブルで捻出した資本を米国債購入に投入する事により、米国の軍拡を支え冷戦で貢献した。その後のバブル崩壊の遺症による長期不況で、それ以降国際社会における影響力を低下させていった。

同時にソ連の崩壊によって、日本がソ連に対して米国への侵略経路を提供する戦略は一時的に使用できなくなった。ただしこの時点で日本は米国の国債を大量に保有していたためと、産業の供給能力を失っていた事の二点のリスクがあったため、もし米国が日本に対して国債破棄などを強要したり、日本相手に戦争行為を行えば、日本中心のサプライチェーン寸断による混乱と、米国債信用失墜の混乱が起こるだけと認識でき、何処の国も米国債を購入してくれなくなる可能性が有るため、米国も無茶な事は出来なかったと考えられる。

ソ連に次いで日本も経済不振で、経済覇権国の座から滑り落ちた為、米国の世界覇権が確固たるものとなり世界が安定したかに見えたが、既に米国の財政赤字と貿易赤字の双子の赤字が固定化されてしまい、基軸通貨としてのドルの価値を支えるためには、世界中の国々にドルを使用してもらう必要があり、その為に世界の治安の維持を行わなければ成らなくなった。


・アジア通貨危機と米国のバブル

冷戦後のグローバリゼーションの時代、米国の覇権が確立しつつあったが、米国の放漫財政と日本のバブル崩壊による超低金利の影響で、全世界にマネーが撒き散らかされ始め、世界全体がバブル経済化の様を見せ始めていた。

初めに1997年に成長著しい東南アジアのタイを皮切りに、東南アジア各国で通貨危機が起こり、それ経済的な混乱がロシアや南米にまで飛び火し、世界全体が混乱する事と成った。

日本は、この経済的混乱に対して、低金利と消費税増税の緊縮政策を行った為、経済不況が引き続きつづく事と成り、使い道のないマネーが米国に流れITバブルに火を着ける事になった。

後の日本が政策金利を上昇させる事により、このITバブルを崩壊させたが、続けて小泉政権の通貨安増税政策(社会保険増税、所得安政策)とゼロ金利政策によって、再度使い道のないマネーが米国で渦巻き始め、コレもまたサブプライムローンのバブルに火を着ける事と成った。

これら日本のバブル輸出によって、米国はバブル経済を押し付けられ、そのバブル崩壊によって浮き彫りになった不良債権を更なるバブルで覆い隠すバブルリレー経済が定着する事と成る。


・続発する中東の混乱と引きずり込まれる米国

上記の世界的な混乱で最も打撃を受けた地域の一つが中東で、冷戦終結以後、乱下降するドルの影響と、米国の通貨安定戦略の影響で、戦争に巻き込まれたり介入を受けたりと治安が崩壊してしまう。更に米国のIT金融政策(インターネット取引による連続短期売買での市場の混乱)による富の偏差に不満を抱いた一部イスラム原理主義勢力が、米国のテロ行為を行うなどして、中東に米国を引きずり込む更なる要因として働いた。

この中東の混乱に巻き込まれた米国は、更なる軍拡に突き進んだ。また戦前の米国に同じようなテロ支援をされ被害を受けた日本も、米国の対テロ戦争を全面支持し、米国を中東に引きずり込む要因を作り上げた。(この米国支持によって、日本は戦前に米国が行っていた対中(国民党)援助が、米国から見ても戦争を報復行為として行われる悪行であった事を提示して見せた)


・中国の台頭と米中冷戦

これら世界に対する治安維持と中東混乱での軍拡を強いられた米国は、更なる過剰支出に追いやられたためか、相対的な国力低下(生産力)に追いやられた。

この間に国力を爆発的に膨張させた国家が存在している。中国である。これは米国が中国に投資する以上の規模で、日本が対中投資を加速させた事に原因があると思われる。

更に、日本の政策金利の上昇に端を発したと思われる世界的な金融危機において、いち早い経済対策を行い、ホットマネーの受け入れによってバブル経済化した中国が、世界第二位の経済規模を有する大国に変貌した。

さらに日本の民主党政権が、この中国の外交に対して弱腰事無かれ売国外交を展開し、中国を図に乗せると共に、日本国民の対中感情を悪化させ日中の対立構造を作ってしまった。これ以降、経済政策で貧富の格差が上昇した中国は、国内に対しての面子のため、対外外交を強弁な形で行う事が多くなり、周辺諸国との軋轢を拡大し始めた。

これに巻き込まれたのが米国である。当初米国は日本と中国の間でバランスを取る様な外交を行うも中国の対外政策が帝国主義の風を帯び始めると、中国を敵対国家としての認識を持ったのか、対立構造を作り始めた。

これのよって米ソ冷戦に続く新たなる冷戦、米中冷戦が開始されたのである。

つまり日本の戦略が、日本に隣接する大国に侵略経路を与えて激突させるバランシング政策だとしたら、成功したと言える状況に成ったのである。

関連リンク
・歴史と地政学で見る冷戦後のグローバルバブル
≪-前編-≫ ≪-後編-≫


・結果:以上が戦後復興から現代までの流れで、敗戦後から10年も経たずに現在と同じ米中ソの世界三分割の情勢が作られ、日本が全ての防衛と投資の負担を米国に押し付ける事の出来る状況が作られていた事が分かる。(最も当時の中国は、領土的には大国であったが経済的にはミドルパワーでしたが・・・)

米国は自国の蒔いた種とは言え、隣接する国々をソ連側に追い込まない様な外交を強いられ、冷戦末期には国内の産業がボロボロに成る程の疲弊が強いられた。

その間に国力を回復させた日本と欧州が大国として返り咲き、欧州はEU(ヨーロッパ連合)として統合され、日本はバブル崩壊で停滞したが、次の米国に対立させる挑戦国である中国を育て上げ、現在に至る世界情勢を構築する事と成った。


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以上で「地理と歴史と資本の流れで見る日本の戦略まとめ」の現在までの流れとなります。次回は、これらの流れを作り出した、日本の戦略構想の根幹にある考え方の考察となります。

次回へ続きます!

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